MENU
81,675

スレッドNo.723

野田先生の補正項から

散髪嫌い
2001年06月08日(金)

 やたらに忙しくて散髪に行く暇がなかった。もっとも暇があっても、床屋はあまり好きでないので行かないのだが。なぜ好きでないかというと、少なくともふたつの理由がある。
 ひとつは身体を触られるのが嫌いだからだ。髪の毛だけでなくて、マッサージもそんなに好きじゃないし、洋服の寸法をとられるのさえ好きじゃない。くすぐったいとかそういう原始的な身体感覚のせいじゃなくて、受け身になるのが嫌いなんだと思う。自分がイニシアティブを持っていたいんだ、きっと。なんといったって、第一子だもんね。
 もうひとつの理由は、話しかけられるのがいやなんだ。若い理髪師さんがとくにいけない。「イチローよく打ちますね」だの「ゴルフしますか?」だの、こちらを喜ばせようという善意はわかるんだけれど、私に関心のないことばかり言う。あまり愛想なくするのも、まじめに働いている若者に悪いし、あいまいな返事をしてやりすごすのだが、かなり居心地が悪い。若い人とは関心のありかが違うんだ。いや、私が世間の標準からずれているだけかもしれない。
 さいわい、第二の問題のほうは、中年夫婦が二人で細々とやっている店をみつけて、幾分解決した。その店では、客のカルテを作っていて、趣味などを書いてあるので、「野田さん、どうですか、山に登ってますか?」で話は始まる。むこうはあまり関心がないかもしれないのだが、こちらは勝手に話をすればいいだけなので、そう苦しくはない。山だったら、一年中なんらかの形で関係しているので、話題には困らない。別に、床屋の親父さんに無理に聞かせたいこともないので、最小限の話しかしないのだが。
 しかし、第一の点は、その親父さんは仕事がとてもていねいなので、一向に解決しない。だから、どうにも我慢ができなくなるまで行かない。三ヶ月に一度くらいかなあ。お正月前に行って、それから一回しか行っていないように思う。
 そうしてすごしていると、数日前に辛抱ができなくなった。しかし、スケジュールが混んでいて、いつもの床屋に行く暇がない。ふと、通勤経路に「千円理髪」というのがあるのを思い出した。そこでそこへ行ってみたのだが、カットだけしかしてくれなくて、洗髪もないし顔剃りもないし整髪料もつけてくれない。十分足らずで終わってしまう。会話もほとんどない。ふたつの問題点が両方とも解決している。これからここにしようか、いつもの親父さんのところにしようか、ちょっと迷っている。いつもの床屋だと三千円で三ヶ月に一回、ここだと千円だから毎月きても同じ値段だしね。



札幌にて
2001年06月09日(土)

 仕事で札幌に来ている。たまたま「よさこいソーラン祭」というめずらしいものとぶつかった。仕事は午後からなので、午前中は大通り公園へ行って写真を撮った。この祭があることは知っていたので、思い切り入れ込んだカメラを持ってきた。180ミリF2.8のレンズをつけて、36枚撮りのリバーサルフィルム6本撮った。これは、私としては例外的な撮り方だ。いつもは風景写真なので、マニュアル一眼レフを三脚に乗せて、光を待ち続けて、ごくわずかの写真を撮る。3日山にいて、2本撮るかどうかだ。オートの一眼レフで乱写するなんて、何年に一度しかない。
 中学校のとき写真部だった。そのころ、「道」をテーマに写真を撮ろうと決めた。それ以来、40年間、道の写真を撮っている。私は、風景写真家でもないし、人物写真家でもなくて、道写真家だ。山の写真を撮るが、あれは実は山の道の写真だ。滝の写真も撮るが、あれは沢という道の写真だ。街の道も撮るし、村の道も撮る。水中写真も、海の道の写真だ。道の上でおこるできごとであれば、なんだって撮る。祭は道の上のできごとだ。だから、そういう風に撮る。市街戦があれば、きっと撮るだろう。幸か不幸か、市街戦に出くわしたことはないが。ともかく、道に対する特別な思い入れがある。詳しくは、もうひとつのホームページに書いたので、そちらを読んでいただきたい。
 だから、舞台で踊っているところは撮らない。道で踊っているところは撮るけれど、踊っていなくても、派手な衣装を着て、派手な化粧をして、ただ歩いているところも撮る。どちらかというと、そちらが多い。祭のとき、人々の表情はいい。人間は、被写体として、そんなに美しいものじゃないと、私は思っている。しかし、ある場合には、たとえようもなく美しい被写体になる。祭は、そういう場合のうちのひとつだ。とくに、男の子が美しい。女の子だって美しいけれど、男の子の美しさには及ばない。
 それにしても、この祭はいい。小学生もいるし、おばあちゃんもいる。若者もいるしおじさんもいる。みんなが、考えうるかぎりもっとも派手な衣装を着て、顔にあざとい化粧をして、鳴子を振って踊り狂う。華やいでいる。

  蒲公英(たんぽぽ)の穂綿舞ひちる北国のまつりのあさの風の華やぎ

  汗がとぶ狂へる人はひたむきに短き夏を踊り暮らして



高田屋嘉兵衛の顔
2001年06月10日(日)

 札幌から函館に来た。朝早くの飛行機で来て、仕事は昼からなので、午前中は函館山の麓の「元町」というあたりをうろうろした。ここは旧市街で、古い建物が残っているし、博物館もいくつかある。その中に『北方歴史資料館』というのがあって、主に『菜の花の沖』で有名な高田屋嘉兵衛に関係した資料を展示してある。
 そこに、日本の浮世絵師が描いた彼の肖像と、ロシアに抑留されているときロシア人の画家が描いた肖像画とがあって、まるで別人のように印象が違う。日本人が描いたのは、太り気味で愛想のよいおっとりした人物に見えるが、ロシア人が描いた方は、やせて精悍で神経質な人物に見える。ロシアに抑留されたのは若いころで、日本人が肖像を描いたのは晩年だとしても、いくらなんでもこんなに人相が変わることはない。
 「江戸時代の浮世絵師は、金持ちの肖像画を描くときは、いかにも金持ちらしくふくよかに描く傾向があったので、解剖学にもとづいて描く西洋の画家が描いたほうが信頼できる」と解説に書いてあった。彼の銅像を作るときは、そういう理由で、ロシア人が描いたほうの、やせて精悍な顔立ちのものにしたのだそうだ。
 鎌倉時代の「似せ絵」は、とても似ていたのだそうだ。道元の死後、彼の肖像に弟子の懐奘が「あたかもいますがごとく」に仕えたと、ものの本に書いてあるのだが、似ていなければ「いますがごとく」には仕えられないだろう。嘉兵衛の子孫はどう思ったのだろう。



幕末太陽傳
2001年06月11日(月)

 昨夜は函館に泊まった。夜中にBS2で川島雄三監督の『幕末太陽傳』という映画をしていた。大昔の白黒映画だ。なんとなく見てしまったのだが、とほうもなく面白かった。
 主演はフランキー堺で、わけのわからない町人をやっている。この男が品川の女郎屋「相模屋」(歴史小説を読んでいる人なら「土蔵相模」という方がわかりやすい)に上がり込んで、さんざん遊んだのに支払いをせずに「居残り」になる。その男があれやこれや面白いことをするのだが、とても一口では説明できない。南田洋子と左幸子が売れっ子女郎を演じていて、とんでもないつかみ合いの喧嘩をするかと思うと、石原裕次郎が高杉晋作をやっていて、これまた「居残り」なのだが、若くてかわいい。小沢昭一が、なんだかわけのわからない役で出てきて、なんともいえずおかしい。音楽は黛敏郎だったりする。
 ストーリーもおかしいが、ディテールがものすごく凝っている。たとえば、店の前の街道がよく映るのだが、早馬が走ったり、刑場へ引かれる罪人が通ったり、伊勢参りと思われる一行がいたり、とうとうバグパイプを鳴らして行進するイギリス兵の一隊まであらわれたりする。あるいは、女郎屋の朝から就寝までのさまざまの行事が写っていてめずらしい。就寝の合図の拍子木を鳴らすのだが、これが毎回違ったリズムで鳴らされるところなど、人を食っている。フランキー堺扮する主人公は結核病みで、妙な装置を組み立てて薬を調合するのだが、この装置が、なんとなくありそうでなさそうで、とても面白い。その他、あれやこれや、細部にこまごまと工夫が凝らされている。ほとんど病的だ。
 主人公が結核病みで、命がそう長くなさそうだということが、すべての話の伏線になっている気がする。これは、あの時代(1957年、昭和34年)の雰囲気なのだろう。そのころ、私はまだ9歳だったから、時代の空気を吸っていなかったので、想像にすぎないのだが。実存主義真っ盛りの時代だもんね。ラストシーンで主人公が、「まだ死なねえぞぉ」と叫んで走り去っていくところなども、そういう時代の雰囲気の中で理解しないといけないんだろうな。
 今夜も川島監督の作品があるのだそうだが、もう帰宅していて、自宅には衛星放送は入らない。残念。そのうち、ビデオでもみつけよう。

引用して返信編集・削除(未編集)

このスレッドに返信

ロケットBBS

Page Top