野田先生の補正項から
外傷神経症(5)
2001年06月29日(金)
アメリカ精神医学会が『診断統計マニュアル(DSM)』を決めたときの基本的な方針は、観察可能な症状だけから疾患を定義することだった。逆にいうと、心の中に想定される見えない精神病理を疾患分類の基準にしないということだ。つまり、DSMは、きわめて行動科学的なのだ。だから、外傷後ストレス障害(PTSD)も、心の中の見えない精神病理をいっさい想定しないで、観察できるできごとだけから、行動科学的に定義されている。つまり、「心の傷」というような観察不可能な精神病理学的な思弁をいっさい排除して定義されているのだ。
それなのに、ある心理学者たちが、勝手に「PTSDとは心の傷だ」と言った。これは、DSMの精神をふみにじるやり方だ。せっかく科学的に疾患分類をしたのに、そこに根拠のない思弁をかぶせて、それがあたかも事実のあるかのように宣伝したのだ。残念なことに、世の中ではそれが常識になってしまった。私は、外傷神経症としてのPTSDの存在は認める。しかし、心の傷の存在は認めない。心の傷は、フロイト系統の特定の臨床心理学が主張しているドグマであるにすぎない。
このドグマがどうして具合が悪いかというと、必然的に、「子どもに心の傷をつけないようにしよう」という方針が導き出されて、子どもを過保護にし、結果的にかえって状態を悪化させるからだ。このことはずいぶん前にわかっている。『スポック博士の育児書』という本があって、これがフロイト系統の「心の傷論」で書かれている。すなわち、子どもに「心の傷」をつけないことをモットーに子育てすることを勧める。スポックとその賛同者がその方針で実際に育児指導をしたことがあるのだが、その結果、子どもの発達は遅れ、思春期になって神経症的な子どもが多く出たという統計がある。このデータはもちろん発表されなかったが、ちゃんとそれをすっぱ抜いた人がいて、本[1]になって出版されている。
大阪教育大学付属小学校事件でも、「子どもが心の傷を負わないように保護しよう」という動きが盛り上がっている。これは、今までのデータから見て、有害な動き方だ。もちろん、子どもに「心の傷」を負わせろと主張しているのではない。まずは、自然のままに放置するのがいいと主張しているのだ。今までの校舎で今までどおり授業をして、様子を見ればいい。その結果、神経症的な反応をする子どもがいれば、薬物療法を含む適切な治療をほどこせばいいのだ。
[1] E. Fuller Torrey: "Freudian Fraud", HarperPerennial, New York, 1992
夏日
2001年07月01日(日)
今年もいよいよ暑くなってきた。寒さには強いが暑さには弱い。しかも、今年は、パートナーさんは「脱クーラー運動」を提唱していて、帰宅するとクーラーがない。クーラーがないのは、どこからどう考えてもいいことなのだが、暑い。この「どこからどう考えてもいいこと」であるのが、つらい。
コンピュータのしつけ(3)
2001年07月03日(火)
以前に、ノートパソコンのしつけの話を書いたが(5月11日)、今度はデスクトップ・パソコンの動作が次第におかしくなって、とうとう辛抱できないほどクレイジーになったので、リカバリすることにした。Windows Me マシンで、昨年10月に購入して、リカバリは2回目だ。ちょっといくらなんでも頻度が高すぎる気がする。たしかに周辺機器はいっぱいぶらさげているが、そんなに怪しい使い方をしているとは思わないのだが。
ともかく、バックアップをとって、システムを入れなおした。あれこれアプリケーションを載せては、調子を見て、ちゃんと動けば「システムの復元ポイント」を記録して、次に進む。こうして、調子が悪くなるまで次々とアプリケーションを載せていく。Windows Me の「システムの復元」というのは便利な機能だが、しかし、こういう機能がないと安心できないのはいいことではない。しょっちゅう壊れるってことを想定した機能じゃないか、これって。
半日かかって、とうとう犯人を摘発できた。プリンタ・ドライバとCD-Rを焼くソフトとをいっしょに載せると調子が悪くなるのだ。プリンタは使わないわけにはいかないので、CD-Rの方を断念することにする。しかし、いつまでも断念しているわけにもいかないので、なにか対策を考えないといけないな。
でも、こういう作業って、ふつうのユーザーはしないよね。しないで、どうしてやっていけるんだろう。やっぱり私の使い方が荒いんだろうか。
ま、それはそれとして、せっかくリカバリするので、「おまけソフト」をほとんど載せないことにした。このごろのパソコンは、購入から廃棄までの間に一度も使わないようなソフトが満載されている。その分の料金も払わされているわけだから、ほんとうは「おまけ」じゃないんだけれど。そういうのを山ほど積んでいるのを、私は好きじゃない。パソコンの中を隅々まで知っていて、隅々まで使っているのが好きなので、わけのわからない界隈があるのはいやなのだ。みんなは、こんなことは気にしないのだろうか。
家族の病気
2001年07月04日(水)
私はいちおう医者なので、家族が病気になると、診察してくれるように期待される。これが困るんだね。私の父も医者だったが、彼は家族の診察はいっさいしなかった。それも見識だと思う。もっとも、母はそのことをいつも怒っていた。私は意気地がないので、父みたいに敢然とつっぱねることができないで、つい引き受けてしまう。そうして、困ってしまう。困る理由はいくつかある。
第一に、ご家庭で必需品の小児科や婦人科は、あまりよく知らない。このごろは小児科の年齢の子どもがいないのでいいのだが、むかし、子どもが小さいころは、小児科疾患の相談をよく受けた。たしかに学校では習ったけれど、小児科は病気がたくさんあって、とても覚えておれないんだよ。誤診するとすぐに死ぬしね。たのむから、小児科の先生のところへ行っておくれ。婦人科ねえ、これもさっぱりわからない。内診はしてあげてもいいけれど、したってなんにもわかるわけじゃないよ。なにしろ、やったことがないんだから。いい婦人科医をみつけることだ。え、どんな病気ならわかるかって。精神科ならわかるけれど、分裂病(統合失調症)、それともアルツハイマー病がいいかな。
第二に、学生時代に、怖い病気から順番に考えるように、きびしくしつけられていて、それが骨がらみで習慣になっていることだ。え、なんだって。熱を出したって。白血病かな。膠原病かもしれないな。このごろは結核も増えているようだし。はい、お口をあけて。あ、のどが赤い。よかった、風邪だ。いや、油断はならないぞ。溶連菌感染かもしれない。こうして、とても心配になってしまう。なかなか「だいじょうぶだ」って言えない。
第三に、検査器具がないことだ。頭が痛いって。くも膜下出血だろうか、脳腫瘍だろうか。ともあれCTと脳波だな。血管造影の準備もしておかなくては。おっと、髄膜炎かもしれないから、脊髄穿刺(せんし)もいるな。もちろん、血液検査も必要だ。あれ、なにもないぞ。そりゃそうだよな、ここは自宅だもん。あのね、私はね、親父とか、私を教えてくれた教授たちと違って、軍医さんをやって前線にいた経験があるわけじゃないから、聴診器と血圧計だけでは診断はできないんだよ。検査の設備のある病院へ行きなよ。
第四に、なんでもない軽い病気のとき、「だいじょうぶ、放っておけばなおるから」と言うと、ひどい不信の目で見られることだ。患者さんだったら、保険請求のこともあるから、いらない検査もするし、いらない薬も出すさ。でも、ほんとうは、ある場合には、なにもしないでも治るんだ。だから、なにも出さない。そう私は考えているのだが、家族は信じてくれない。「冷たい」だの、「ちゃんと診てくれない」だのと言う。
昨日から、パートナーさんの娘が、めまいがして吐き気がすると言う。仕方がないので、それらしく診察して、それらしくありあわせの薬をのませている。内心はかなり複雑だ。