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スレッドNo.738

野田先生の質疑応答

Q
 「病気の人を勇気づける(講演)」に行こうとしたら、家族の体調が悪くなり講演を受けられなかったので、病気の人を勇気づけるポイントをお願いします。

A
「病気の人を勇気づける」と言ったかなあ?そんなの言ってないような気がするけど、まあよろしいわ。病気ということがあるから何か変わったわけでないと思う。僕たちの人間と人間とのつきあいというは、人格と人格のつきあいであって、行動と行動や状態と状態のつきあいではないんです。子どもに向かって話をするときに、「あなたのやっていることは好きではありませんけれども、あなたのことは好きです」と言いなさいと、いつも言うんですよ。子どもの一々の行為はムカついたりするんだけど、それは子どもの人格そのものにムカついているんではないんです、ほんとは。だって、僕らは僕らの子どもが好きだもん。僕らの配偶者が好きだもん。僕らの配偶者が好きだけど、鼻毛抜きながらテレビ見るのは嫌いなんです。だから、行動と人格と区別したいんです。それから、状態と人格も区別したいんです。元気だから好きよ、病気だから嫌いよというのはないんです。病気だから特にやさしくしてあげようとも思わないんですよ。いつものあなた、いつもの私なんですよ。体の状態と関係なく、その人の意識なり、その人の人格なりがあるわけじゃないですか。だから、病気だから病気の人に向かって特別の接し方をするというのは、たいていの場合有害なんです。アルフレッド・アドラーが「器官劣等性」というお話を若いころにしていました。器官劣等性というのは、子どもの生活に支障をきたすような子ども時代の体の障害のことです。例えば、喘息か何かで運動ができないとか、アトピー性皮膚炎で容貌が醜いとか、あるいは目が弱いとか耳が弱いとか、あるいは子どもの腎炎でやっぱり運動制限がかかっているとかいうことがあると、子どもがそのことに対して何か対処しないといけないじゃないですか。その態度決定する対処する仕方に3とおりあると、アドラーは言ったんです。例えば喘息で体の弱い子は、体を鍛えようとするかもしれないんです。一生懸命体を鍛えて、それで凄い強い子になって、それで運動選手になるかもしれない。運動選手にはけっこう喘息の人が多いんです。子ども時代に喘息だったので、それでランニングしてランニングが好きになってマラソンに出た人を何人か知っていますから、だから器官劣等性の補償として劣等な器官を鍛えるというのがあります。棟方志功さんは目が弱いから、だから画家になりました。耳の聞こえない音楽家がけっこういるんですよ。ベートーヴェンとかスメタナとか耳の聞こえにくい音楽家もけっこういます。そこへ意識を集中しちゃうのね。それから2番目は、喘息だから体は諦めて頭を鍛えて賢くなる人がいるんです。哲学者なんかで喘息の人がけっこういます。例えばエマヌエル・カントは喘息持ちです。それからカール・ヤスパースといって、現代精神医学のご先祖みたいな良い仕事を20世紀の初めにやった精神科のお医者さんが喘息持ちで、臨床で患者さんを持つのがしんどいから、哲学者に転向したんです。友だちが「哲学者っていい仕事だね。紙と鉛筆があったら仕事ができる」と言うと、彼は「そんなことはない。大きなゴミ箱もいるんだ」って。なるほどね。紙と鉛筆と大きなゴミ箱があったらできますから、良い仕事だと思うんですけど、体が弱かったから頭を鍛えた人たちもいます。そういう器官劣等性の補償があります。3番目の補償は、自分は弱いから人に頼ろうとする。「私はこういう病気だから何もできない」と言いたくなる。それにしたくないんです。アドラーとしてはそういう障害のある子どもを、自分の障害を盾にして社会参加から身を引く方向に動いてほしくないから、同情しないように手助けしないように、子どもが自分で自分の問題を解決するように、健康な子よりももう少し気をつけましょうねと言っているんです。そしたら大人だって一緒なんですよ。大人で病気になっちゃったときに、僕らが必要以上に手助けしてあげるのは、たぶん本人が病気を自力で克服することを、勇気をくじいちゃうと思う。まあ、いわゆる日本アドラー心理学ふうに言いますと、課題の分離と共同の課題で、その病気とどうつきあうかとか、病気をどう克服するかというのは、基本的に患者さんの課題なんです。患者さんに頼まれたことを引き受けるかどうかは、その都度相談して、共同の課題にしたりしなかったりします。あんまり気を回して、僕たちのほうからあれやこれやしてあげようとすると、患者さんの病気とつきあう、病気を克服する勇気をくじいてしまいかねないんだと思うので、わりとクールにつきあうと思う、たぶん。病気になった途端に、あんまり頑張って看病しないと思う。私の母親は悪いクセがありました。私の一番下の弟が喘息持ちだったんです。彼は「喘息を使いまして」母の全エネルギーを吸収したんです、兄二人から。母はずっと喘息持ちの弟を気にして暮らしました。弟のほうは、母から離れて結婚して子どもができたら喘息は治りました。もう使い道はないからね。そしたら今度は、真ん中の弟が、もう15年くらい前になるんですが、十二指腸潰瘍の手術をやって、その後ずっと病弱なんですよ。母が凄く心配するの。僕のところへ、「あの子が心配だ。何とかならんか」と言ってくるんですよ。「あんたは一生それやる気か?」。病気の子がかわいいんです、彼女は。僕なんか全然病気にならないから、全然かわいくないんですよ。だからあんまりあれをやりますと子どもの自立を妨げて、かえってずっと子どもを病気のままに置いておくことになるかもしれない。真ん中の弟がずっと病弱なのは、あれは絶対母との関係だと、私は思っているんです。病気の克服というのは、基本的に病者の課題だと思い、手伝えるものについてちゃんと一々相談しながら決めていくということだと思います。

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