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スレッドNo.744

野田先生の補正項から

サメ騒動
2001年08月09日(木)

 パラオではサメをたくさん見た。ダイバーはサメを見るのが好きだ。他の魚とは違う神秘的な美しさがある。ダイバーがサメに襲われることはまずない。サメによく襲われるのはサーファーだ。水面でバチャバチャやっているのが、オットセイだの弱った魚だのに見えて、間違って襲うのだそうだ。そうはいうものの、潜っているときに、すぐ近くをサメが通りかかって、ちょっとこっちを見たりすると、思わず目を合わせないようにしてしまったりして、まったく怖くないわけではないが、そこがまたいい。
 パラオから帰ってくると、山陰地方の海岸にシュモクザメの群があらわれたとニュースで言っている。私などのセンスでは、「それは見に行かなければ!」なのだ。シュモクザメのことをダイバーはハンマーヘッド・シャークと英語でいうことが多いのだが、とても人気のある魚種だ。それが群でいるとなると、見逃す手はない。インターネットで、どこかのダイビングショップが見物ツアーを企画していないか探したが、残念ながら見つからなかった。いつもいくショップの社長をそそのかしてみようかな。
 ところが、陸の上の人々はサメが好きじゃないみたいで、海水浴場を閉鎖してみたり、ヘリコプターで監視したり、はては水産高校の練習船がハエナワでサメを捕獲しようとしている。『ジョーズ』なんて映画の見すぎじゃないか。海水浴場をネットで区切ればいいだけのことじゃないか。ころすことはないと思うな。平時はやかましく自然保護を言っているのに、ちょっと気に入らない動物がやってくると敵視するというのは、矛盾していないか。
 先ほども書いたように、サメは、基本的には危険な動物ではないと思う。サーファーや海水浴客が自衛さえすれば、事故はおこらない。仮にサメが危険な動物であったとしても、海ではサメの方が先住民なんだぜ。しかも向こうは生活がかかっているんだ。人間は海に遊びに行くだけじゃないか。たまに遊びに行くだけの人間の都合で、まじめに働いている(?)サメを駆除するってのは、あまりにも自己中心的じゃないですか?



行きたくないヨーロッパ
2001年08月10日(金)

 秘書が、「近くのホテルでビア・バイキングというのをやっていて、フラメンコ・ダンスがあるそうだから、仕事がひけたあと行きませんか?」と言う。私に言い寄っているわけではなくて、他のスタッフも誘っているようだ。残念!。「フラメンコ」と聞いて、悪い予感がした。フラメンコそのものは嫌いではないが、ホテルでアトラクションにやるフラメンコなんて、ひどいんじゃないかと思ったのだ。それに、ここのところ飲みすぎているしな。渋っていると、秘書が「でも、ステーキが食べられるんだそうですよ」と言った。この言葉にクラクラきて、行くことにした。
 予想どおり、ひどい演奏だった。ペンギンさんの踊りみたいなダンスだし、ギターは駅前で歌っている若者並みだし、歌は、ダリウス・ミョーの音楽みたいに、ギターとは違う調で演奏されていた。スペイン語はカタカナで書いてあったしね。耐えられないので、トイレに逃げ出して、演奏が終わるまで外にいた。終わったらしいので帰ると、どこかのおじさんたちが「アンコール!」と叫んでいる。バカ言うんじゃありませんよ。でも、バンドは調子に乗ってもう一曲演奏して、私はもうしばらく悶絶しなければならなかった。
 ステーキは、予想に反して、バイキングではなくて、引換券があって、小さなのが一切れ当たっただけだった。八つ当たり気味につけ加えると、ビールは私の好きな銘柄ではなくて、どちらかというと嫌いな銘柄のものだった。プンプン。
 それはそれとして、一緒に行った男性スタッフが、「スペインへ行きたいねえ」と言う。すっかりヘソを曲げていた私は、「行きたくない」と言った。しばらくすると東ヨーロッパの話になって、「プラハに行きたいねえ」と言う。「行きたくない」と私は言った。
 ヨーロッパへは何度か行ったことがある。そこで何がおこるかは、もう知っている。今さらもう一度行ったって、ああいう街を歩いて、ああいうレストランでああいうものを食べて、城跡で類型的に懐古して(注)、それでおしまいなことは、あらかじめわかっている。そんな時間と金があったら、たとえばタヒチ諸島へ行ってダイビングしたり、ネパールへ行ってトレッキングしたり、ブラジルへ行ってピラニアを釣ったりしたい。
 私が言いたいのは、50歳をすぎると、あと何年生きていられるか、あと何年元気でいられるかを、計算しながら暮らさなければならないということだ。プラハへは、元気なら70代になってからだって行ける。しかし、タヒチやヒマラヤは、そうはいかないかもしれない。先でできなくなるかもしれないことを、今しておきたいのだ。たしかにヨーロッパはいいところだが、今は行かなくてもいい。78歳くらいになって行って、30代ではじめて訪れた日々のことをなつかしく思い出しながら、ウィーンのアンバサダー・ホテルのカフェでクリームの入ったコーヒーを飲んでみたり、夜は『メリー・ウィドウ』でも見に行ったりすればいいんだ。50代には50代のことをするさ。

 (注)「城跡に類型的に懐古してその後われら町に降りゆく」という短歌からの引用。高校時代の恩師、中川信三郎先生の御作であろうと思われる。先生が授業中に黒板に書かれたのだが、御自作だとおっしゃったかどうか記憶にない。広島で詠まれた歌だそうだ。



エスペラントとアドラー心理学
2001年08月11日(土)

 また新潟に来ていて、アドラー心理学の講義をしている。この講座は、富山大学の向後千春さんが受講してくれている。彼は、熱心なエスペランティストだ。それに較べて、私は、きわめて不熱心なエスペランティストだ。
 時間をどう使うかを、たえず考えている。たとえば、小説は好きだが読まないとか、映画も好きだが見ないとか、ヨーロッパは好きだが行かないとか、そういうことだ。エスペラントも、好きだがしないもののうちのひとつだ。すくなくとも、エスペラント運動にのめりこむことはしない。他にすることが多すぎるのでね。
 運動には参加しないが、日本エスペラント学会の会員は続けているし、たぶん今後も続けるだろう。ときどきエスペラントで書かれた本を読んだり、ときどきエスペラントで詩を書いたりはする。つまり、消費者としてしかエスペラントに参加していない。供給者としては参加したくないのだ。
 高校時代から大学時代にかけて、それでも、いくらか運動に参加したことがある。その時代に、ある先輩エスペランティストが、「エスペラントは思想があるのがいけない。思想なんか捨てて、エスペラントを使って金儲けができるようにならないと広まらない」と言うのを聞いて、ほんとうにそうだと思った。彼はもちろん反主流派で、創始者ザメンホフはもちろんのこと、現代でもほとんどのエスペランティストはそうは考えていない。しかし、私は彼に共鳴したので、思想運動としてのエスペラントには参加しないで、エスペラントが実用になることを生活の中で示せばそれでいいんだと思うようになった。エスペランテイストたちは寛容なので、そういう私を許してくれている。
 アドラー心理学も同じことだな。私はアドラー心理学運動に頭の先から足の先までのめりこんでいるが、そうでない人、消費者としてアドラー心理学を使う人、がいることは、ちっともかまわないし、かまわないどころか、それが正常なアドラー心理学の使用法だと思っている。
 かまわないのだが、誰かが思想運動としてのアドラー心理学をになっていないと、アドラー心理学の存続そのものが危うくなる。今のところ私にお鉢が回っているので、その間は熱心なアドラー心理学運動家でいようと思っている。お鉢が他の人にまわれば、私は消費者になるかもしれない。
 アドラー心理学に思想があることは、エスペラントに思想があることと同じほど、普及の邪魔になっている。だから、「アドラー心理学に思想があるのがいけない。思想なんか捨てて、アドラー心理学を技術として使って育児や教育や治療をしていれば、それでいいんだ」という人がいれば、それはそれでもっともだと思う。すくなくとも、そういう人たちに対して寛容であるべきだと思う。
 ただ、「アドラー心理学とはなにか」ということを正面から語るときには、アドラー以来、思想がその中核であり、理論や技法は理想実現のための手段であったということは言わなければならない。私がある人たちに腹を立てているのは、その人たちが思想抜きのアドラー心理学を講義したり本に書いたりするからだ。人に教えるのでなくて、自己使用するのであれば、それは干渉できないことだと私は思っている。彼らは、間違ったことを人に教えるのがいけないのだ。たしかに、純正さと寛容とを両立させるのは難しいことだが、供給者と消費者とを区別することで両立可能なのではないかと思っている。
 エスペラントとアドラー心理学は、19世紀末から20世紀初頭という同じ時代に、ドイツ語圏のユダヤ人という同じ文化状況の中で生まれた思想だけあって、とてもよく似ている。要するに、「人が他人を常に人として扱う」というユダヤ的な課題に、ザメンホフは国際共通語という手段で、アドラーは育児法の改革という手段で、アプローチしようとしたのだ。
 この思想とユダヤ教との関係とか、19世紀末から20世紀初頭にかけて、どんな人たちがどんな方法でこの理想にアタックしたかとかを、調べたいなとかねがね思っている。今はちょっと暇がないけれど、そのうち勉強してみよう。

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