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スレッドNo.751

野田先生の補正項から

右傾化してるんだ
2001年08月18日(土)

 「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書の話の続きだが、名城大学の伊藤俊一さんという日本史の先生が「愚一記」という日記を公開してされていて、そこで、問題の教科書を批判してされている。伊藤さんは、その本に初歩的な誤りが多いことや、読み物としては読めても教科書には適さないことを指摘されたうえで(詳しくは伊藤さんのホームページをご覧ください)、次のように結論される。

 要はこの教科書問題は、政治的なサヨク・ウヨクの問題と、素人の方々によって書かれた教科書の出来・不出来の問題が不幸な結合をしていて、文部省はウヨク的教科書も通さねばならないから、普通に検定をすれば1000を越えるような(←あくまで概算です(^^;)修正意見をつけねばならないのに、それでは10~30箇所程度の他書と比べて採択妨害と取られかねないから150箇所程度(←正確には137箇所でした。+扶桑社の自主訂正9箇所)で目をつぶって通し、私がここで誤りが多過ぎる不良教科書だと指摘すれば、まちがってサヨクのレッテルを張られかねないという構図に陥っている。(8月17日)

 正鵠を射た(せいこくをいた)ご意見だと思う。

 私が関心を持ったのは、「誤りが多過ぎる不良教科書だと指摘すれば、まちがってサヨクのレッテルを張られかねないという構図」だ。へえ、そんな時代になったんだ。私が若いころは反対で、ヒダリ側の文献の不正確さを指摘すると「右翼反動だ」などと言ってボコボコにやられたりしたもんだ。日本はずいぶん右傾化しているんだな。
 そう言えば、小泉首相が8月15日に靖国神社に参拝しなかったことを非難して、「15日でなければ価値がない」と言っている議員たちがいたし、彼らは実際に15日に参拝していたようだ。13日だって15日だっていいじゃないか。そういうことにこだわるって呪術的だよ。もっとも、しばしば私も呪術的なことにこだわるが、そのこだわりを他人に強要しようとはまったく思わない。科学的思考を万人に普及することには賛成だが、呪術的思考は個人的な趣味にしておいたほうがいい。
 ミギもヒダリも、自分たちの呪術的思考を普遍化しようというところに問題があるのかな。「つくる会」の教科書も、そういうことなんだろう。伊藤さんは、その前に科学的に正確な教科書を書くべきだと主張されるわけだ。もっともなことだ。



右傾化してるんだ(2)
2001年08月19日(日)

 先日、新潟県長岡市で仕事があって、予習のために、司馬遼太郎『峠』を読んだ。小説は読まないことにしているのに、なにかと口実を設けては読む。まるでアルコール依存者のようだ。

 主人公の河井継之助は幕末の長岡藩の武士で、陽明学かぶれであった。家老となったのだが、薩長の倒幕軍がおこると、彼なりに熟慮した結果、抵抗することにした。その結果、長岡藩を滅ぼしてしまう。彼がなぜ抵抗することにしたかというと、朱子学風の大義名分論によってではなくて、陽明学風の「行動の美学」にもとづいて判断したからだと、司馬の小説からは読み取れる。マクロの正義(あるいは損得)から説きおこしてミクロの行動を決めるのではなく、ミクロの美学(あるいは倫理)から説きおこしてマクロの政策を決めるのだ。『峠』の河井像には、司馬の解釈が入っているので、ほんとうはどうなんだかわからないが。
 日本人は、陽明学徒風の人物が好きだ。「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」だの、「みずから省みてなおければ、千万人といえどもわれ行かん」だのといった、儒教ファンダメンタリズム(=根本主義。1920年代、アメリカ・プロテスタント諸教派内に起こった論争的保守的運動)に凝り固まって、身辺潔白に暮らし、思うことを歯に衣着せずはっきり言い、常に行動的で、必要があれば攻撃的ないし反体制的になる、そういう人物と出会うと、ころっと参って、手もなく信用してしまう。河井もそういう人物だったのだろう。長岡の人々は、冷静に考えたら、河井の言うことを聞いたら国が滅びるかもしれないことがわかっただろうに、彼の人物に惚れてそういう可能性を見落としてしまったわけだ。
 小泉首相も、そういう風な人物だ。これまでの総理大臣は、朱子学風で、鷹揚に構えていて、マクロからしかものを考えなかったので、国益はそれなりに保たれた。また、人物としての魅力に乏しくて、ときにひどくうさん臭かったから、国民はいつも冷静で、その結果、国はそれなりに安全だった。小泉氏が国を危険に陥れるかどうかわからないが、靖国神社参拝でもわかるように、彼は自分のミクロな行動の美学をなにより優先するので、気をつけないとマクロのレベルでとんでもないことがおこりそうだ。しかも、彼は陽明学徒風にかっこよくて、国民は熱狂している。冷静になって、しっかり考えないと、危ないかもしれない。
 ともあれ、『峠』を読んで、ひとつには、陽明学というのは個人の行動規範としてはそれなりに評価できるかもしれないが、政治原理としては問題があるのかもしれないことと、ひとつには、「かっこいい指導者には気をつけないと国が滅びる」ということと、このふたつのことを学んだのは、収穫だった。

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