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スレッドNo.763

アナーキズム

アナーキズム
2001年09月09日(日)

 なだいなだ・小林司『20世紀とは何だったのか―マルクス・フロイト・ザメンホフ』(朝日選書)という本を読んだ。きわめて面白かった。両氏共に私と同業の精神科医なので、関心の持ち方に共通点があるように思う。一方、20歳ほど年上の昭和ひと桁なので、戦後派の私と感じ方が違うところもかなりある。

 冒頭は次のようにはじまる。

なだ:いま、共産主義も社会主義も全部まとめて、何でもかでも粗大ゴミみたいに捨て去ろうとするような、そんな流れになっているね。しかし、この100年のあいだに一体何があったのか、その中でマルクスやレーニンがどんな役割を果たしてきたのか。それを現状の中で考え直さなくてはならない。粗大ゴミのように捨てるにしても、すくなくとも存在していた意味まで捨てるわけにはいかないものね。
小林:そう。社会主義にはいいところもあると思うんだ。一口に社会主義といってもイギリスやスウェーデンなどの例もあるし、ソ連型社会主義がだめだから他の社会主義も全部だめということにはならないだろう。(p.4)

 対話らしく、話はあちらへ行きこちらへ行きするが、この二人の結論は、だいたい次のようなことらしい。

なだ:社会主義について考えるなら「アナ・ボル論争」に戻る必要があるね。社会主義の大きな系譜として、アナーキズムとコミュニズムの二つの流れがある。アナーキストたちは、一党独裁の危険を認識していた。プロレタリアートでさえ、権力を握ってしまえば抑圧者になってしまうという主張を繰り返してきたわけだけれど、その「アナ・ボル論争」は、もう一度見直す価値がある。現在のソ連・東欧の行きづまりは、アナーキストたちが指摘したボルシェヴィキの欠陥が証明されただけで、現状を見ながら過去をふりかえってみると、浮かび上がってくるのはアナーキストたちの予言の正しさだ。(中略)
小林:アナーキズムというのは、すべての権力、つまり政府、警察、軍隊などの政治権力、財産などの経済権力、宗教などのイデオロギー的権力をなしにすることによって社会問題を解決しようという考えですよね。
なだ:そうです。私有財産は否定するんだけれど、それを国家に捧げてしまい、官僚の支配を仰ぐのが共産主義。人民全体の財産とするが、財産そのものは私企業的に独立させるというのが、バクーニン風の集産主義。権力を奪取しようと考えるよりも、権力をいかに弱めるかという闘争をすればいいんで、権力を自分で取ったら、必ず自分が支配者の論理で抑圧せざるをえないという矛盾をかかえてしまう、そういう主張なんだ。(pp.159-161)

 ああ、この年代の人らしいなと思う。昭和初期に生まれた彼らは、私などよりもはるかに人間の本性に対する信頼が強いのだ。政権を奪取しないで、市民が良識でもって政府の機能をチェックしようというのだが、その市民がけっこう「欲ボケ」なんだよね。むかしのアナーキストたちのような、禁欲的な知的階級だけから市民ができているのならいいけれど、そうじゃないんだよ。テレクラや出会い系サイトに夢中な人もいるし、株や競馬やマージャンにうつつを抜かす人もいるし、社会的地位をかけのぼることしか関心がない人もいる。

 私がいわゆる深層心理学を学んで知ったことは、人間は結局、私利私欲でしか動かないということだ。そういう人間同士が助け合って生きられるような、そういうシステムを考えないといけない。アナーキズムはだめだと思うな。やはり政府もいるし法律もいるし警察もいるんだ。そういう文化装置をうまく使って、私利私欲が結果的に利他的に働くようなシステムを作る。資本主義的自由主義の理想のほうが、集産主義的アナーキズムよりも現実的だと思う。
 しかし、なだ氏や小林氏は、あの世代の最良の人たちだし、彼らが、そういう風に考えることは、そういう先輩を何人も知っているので、理解できる。いい人たちなんだ。



日本人同士外国語で話す
2001年09月10日(月)

 ある友人が、どういうわけか、最近エスペラントを学び始めた。他の仲間もいる場所で、その人とエスペラントの話をしていたら、まわりにいた人が、「エスペラントで話してよ」と言う。それで、すこし話をしてみせた。その友人は、おそらく数週間か数ヶ月かしか学んでいないはずなのだが、それなりに喋れたので、やはりエスペラントってすごいなと再認識した。英語じゃ、とてもこうはいかないよ。
 それはそれとして、日本人同士でエスペラントで喋るのは、なんだか気恥ずかしいものだ。エスペラントでなくても、英語だってそうだな。外国人が混じっていると、日本人同士が日本語で喋るのは失礼かなと思って、日本人にも英語で話しかけることにしている。そういう場合でも、日本人同士が英語で喋るのは、なんだか気恥ずかしい。まして、日本人ばかりの中で英語で喋ることは、まずしない。
 自分の知らない言語で話しあわれることに関連する話がある。むかし、フランスへ行ったことがあって、そのときフランスのエスペランティストと知り合いになった。その人は、戦争中、レジスタンスにいた。ナチの兵隊がいる前では、仲間同士は、フランス語ではなくてエスペラントで話をしていたんだそうだ。フランス語だと、ドイツ人にも知っている人が多いが、エスペラントなら安全だと思ったのだ。いつもそうしてうまくやっていた。ある日、そうしていると、ナチの兵隊が一人やってきて、エスペラントで、「ドイツ人にもエスペラントがわかる人間がいるから、気をつけるように。私は大丈夫だけれど、そうでない人もいるからね」と忠告してくれたんだそうだ。冷汗ものだね。
 私の外国人の友人たちの中でも、特にユダヤ系の人は、自分のいるときに日本人同士が日本語で話すのをいやがるように思える。アメリカで生まれ育った人はまだいいが、ヨーロッパから亡命してきた人やその子どもは、特に敏感に反応するように思う。彼らの歴史の、そういう暗い部分をいくらか知っているので、たとえ気恥ずかしくても、なるべく彼らにわかる言語で日本人同士話しあおうと思っている。(野田俊作)

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