催眠と超能力 野田俊作
催眠と超能力
2001年09月25日(火)
むかし、大学のゼミで、エリクソン催眠を習った。エリクソン催眠というのは、ミルトン・エリクソン(Milton H. Erickson, 1901-1980)というアメリカの精神科医が開発した催眠の技法だ。ゼミの指導教官の高石昇先生がエリクソンのもとで学んでこられて、日本に紹介された。ふつうに話をしているうちに催眠に入れてしまうという、おそろしいテクニックだ。
催眠トランスに入るというのは、奇妙な体験だ。ものの見え方や聞こえ方や触った感じが変わるし、考え方も変わるし、感情も変わる。性格全般に変わってしまう。いつもの自分(これを仮に『自我』とよぶことにする)とは違う人格なのに、しかも、それもまた自分だということがわかる。自我とは違う人格(これを仮に『ペルソナ』とよぶことにする)は、実はずっと昔から自分の中にあって、ときに意識的にその状態になってみたり、ときに無意識的にその状態になってしまったりする。つまり、人間は本来『多重人格』で、そのうちの主たるものが自我で、多くの場合は自我で暮らしているが、必要に応じて他のペルソナを使うようだ。
何度もトランスに入っていると、いつもの自分である自我が、たくさんあるペルソナのうちの一つであるにすぎないことが実感され、まったく相対的なものだと思えてくる。自我のやり方にこだわることはないので、問題解決のためにもっとも適したペルソナになればいいのだ。エリクソンは、よく性的なたとえをする。職場で同僚といるときと、異性とベッドルームにいるときとは、同じ人格でなくてもいいのだ。
私の中に、二つ、奇妙な人格がある。一つは、「なんとなく道がわかる」という能力を持ったペルソナで、たとえ知らない土地でも、どちらへ行くと目的地かわかるのだ。登山の時に重宝している。もう一つは、「おいしい食堂がわかる」という能力を持ったペルソナで、なんとなく店の前を見ているとわかるのだ。友人たちは、「どうしてわかるのだ?」と責めるので、「小人さんが見えるんだ」と言っているが、実際はもっと直感的なものだ。超能力というには、ちょっとチャチだな。たぶん、動物的な力なのだと思う。鳩の帰巣本能のようなものかな。残念なのは、予知能力を持つペルソナを持っていないことだ。私の祖母などは、予知能力を持っていたように思う。
科学は自我が作ったものだから、自我以外のペルソナにおこる現象を知らない。だから、こういう話をすると「非科学的だ」と言われてしまうのだが、誰でも、催眠トランスに何度も入っていると、自分の中に、こういう力のあるペルソナを見つけるんじゃないかと思っている。
催眠と自由意志
2001年09月26日(水)
「催眠を使って、人を思いのままに操作できるか?」とよく質問される。ある程度はできる。たとえば、ある女性がいて、私はその人と性的関係に入りたいと思っているとする。しかし、その女性は、それを拒否する。そこで、その女性に催眠をかけて、私と性的な関係に入るように暗示する。そうすると、承諾するかもしれない。しかし、催眠にかけても拒否する女性もいる。(実体験じゃないよ、たとえ話だよ)。
シラフでは性的関係を拒否していたのに、催眠にかけると承諾した女性の場合、彼女の中に、私との性的な関係を望むペルソナがいたのだ。しかし、彼女の自我は私と性的な関係に入ることを拒否していた。シラフでも催眠下でも私との性的関係を拒否する女性は、私との性的関係を望むペルソナが一人もいないのだ。
これは、人の「自由意志」という問題にかかわってくる話題だ。自由意志というのは、自我の意志をいうのか、それともペルソナたちの意志も含めてもいいのか。現在の社会では、自我の意志を自由意志というのであって、自我以外のペルソナの意志は自由意志とはいわない。しかし、今世紀は催眠の世紀になりそうな気がする。エリクソン催眠が一般常識になるのは、そう遠い未来ではない気がする。そうなると、人々は自由に催眠トランスに出入りして、さまざまのペルソナを使い分けるようになるかもしれない。そうなったとき、自我の意志だけを自由意志というのでは、困ったことになるかもしれない。
自我は望まないがペルソナが望んで行為した場合にも自由意志を認めるということになると、責任も認めるということになる。私自身はむかしからそう思っているので、「ついうっかり」行為したことや、「われを忘れて」行為したことや、「酒の上で」行為したことについても、責任があると思っている。逆に、そう思うためには、自我以外のペルソナの自由意思能力を認めなければならない。
そう考えるなら、催眠を使って、「人を思いのままに操作することはできない」と答えなければならなくなる。ペルソナもまたその人であり、ペルソナの行為もその人の自由意志にもとづくのであり、ペルソナの行為もその人の責任だからだ。これは、倫理学を根底からゆるがす考え方だな。