数学的思考 野田俊作
四国遍路(6)
2001年11月08日(木)
第11番藤井寺は、真言宗ではなくて、臨済宗の寺だ。四国霊場のほとんどは真言宗だが、中に臨済宗や曹洞宗や天台宗の寺も混じっている。門前の茶店のおじさんによると、むかしは真言宗だったのが、後継ぎが絶えて臨済宗になったのではないかということだ。もっとも、たしかな根拠があるわけでもなさそうだが。
この寺の本尊の薬師如来はなかなか男前だ。ただし、これはコピーで、本物は国宝か何かで、一般公開せず、本堂の後の蔵の中に隠してあるのだそうだ。コピーが本物に似ているのかどうか、見たことがないのでわからないが、私が好きなのはコピーのほうだから、本物に似ていても似ていなくてもいい。
四国霊場では、田舎へ行くと薬師如来が増える。むかし、病気になった人は、薬師如来にすがるしか方法がなかったのだ。悲しい時代があったのだ。
兼平
2001年11月09日(金)
ある本の中に謡曲『兼平』からの引用があって、妙に美しかったので、手持ちの岩波古典体系の『謡曲集』を見たが、収載されていなかった。しかたがないので、謡本を買ってきた。兼平というのは、今井四郎兼平のことで、木曽義仲の家来で、最後に義仲と二人きりになって討ち死にする人だ。気に入った一節とは、次のようなくだりだ。
そののち合戦たびたびにて、また主従二騎に討ちなさる。「今は力なし、あの松原に落ち行きて、御腹召され候へ」と、兼平勧め申せば、心細くも主従二騎、粟津の松原さして落ちたまふ。兼平申すやう。「うしろより御かたき大勢にて追つ駈けたり。防ぎ矢仕らん」とて、駒の手綱を返せば、木曽殿御諚(ごじょう)ありけるは、「多くの敵を逃れしも、汝一所にならばやの所存ありつる故ぞ」とて、同じく返したまへば、兼平また申すやう。「こは口惜しき御諚(ごじょう=お言葉)かな。さすがに木曽殿の人手にかかりたまはんこと、末代の御恥辱。ただ御自害あるべし。今井もやがて参らん」との、兼平に諌められ、また引つ返し落ちたまふ。
さてその後に木曽殿は、心細くもただ一騎、粟津の原のあなたなる、松原さして落ちたまふ。頃は睦月の末つ方、春めきながら冴え返り、比叡の山風の、雲行く空もくれはとり、あやしや通ひ路の、末白雪の薄氷、深田に馬を駈け落し、引けども上がらず、打てども行かぬ望月の、駒のかしらも見えばこそ、こは何とならん、身の果て。せんかたもなくあきれはて、このまま自害せばやとて、刀に手をかけたまひしが、さるにても兼平が行方いかにと、をちかたのあとを見かへりたまへば、いづくより来たりけん、今ぞ命は槻弓(つきゆみ=槻の木で作った弓)の、矢ひとつ来たつて内兜に、からりと射る。痛手にてましませば、たまりもあへず馬上より、をちこちの土となる。
平家物語だとか太平記だとか謡曲だとかは、こういう血なまぐさい場面を、かぎりなく美しく荘厳する。実際の戦争というものは、けっして「頃は睦月の末つ方、春めきながら冴え返り」というような耽美的な風景ではなかろう。それをこのように飾るのは、戦争を美化するためではなく、鎮魂のためであることを思い出せば、これらの文学を素直に読むことができる。そうして読むと、「心細くも主従二騎」が「心細くもただ一騎」になってゆく人の生の悲しさに泣くこともできるし、そういう運命を避けようとしながら、どうしようもなくそういう運命に巻き込まれてゆく人の業の深さに思い至ることもできる。
いわゆる「反戦運動」でもって戦争を避けることができるのかどうか。戦争を憎むことでもって平和に暮らせるものかどうか。「修羅物」とよばれる謡曲のほとんどは、戦死した死者たちの霊が甦って、旅の僧がそれを鎮魂する、というストーリーだ。こういう演劇が、やがて厭戦気分を盛り上げて、戦国時代を終わらせ江戸時代の太平をもたらしたのではないかと、私は思っている。
数学的思考
2001年11月10日(土)
むかしの共通一次試験の問題に、数列
A(n) = ( ( 1 + i * sqrt(3) ) / 2 ) ^ n
(ただし、i は虚数、sqrt() は平方根、^ はべき乗の記号)
がとりうる値はいくつか、というような問題があって、当時高校生だったパートナーさんの娘が質問に来た。私は、もともとが工学系の頭なので、複素数を見るとすぐに極座標形式で書いてしまう。そうして、
1 / 2 + i * sqrt(3) / 2 = r * ( sin(x) + i * cos(x) )
と考えると、 r = 1, x = π / 3 であることが容易にわかる。
A(n) = sin( π * n / 3 ) + i * cos( π * n / 3 )
であるから、A(n) = A(n+6)で、6つしかとりうる値はないという答えを出した。
ところが、今の高校では、複素数の極座標形式の表示は教えないので、この解法はバツなのだそうだ。あらま。模範解答を見ると、なんだか技巧的なことがしてあった。なぜ、そんな奇妙な解き方をしなければならないのか、私には理解できなかった。
その後、友だちの数学者にこの話をすると、「あら、これって1の6乗根じゃない。だから、とりうる値は6つよ」と、一瞬の間に答えた。うへえ、理学部は発想が違うんだ。
どの解法だっていいんじゃないか。どれも数学的なんだから。それを、極座標形式は教えていないだの、1の6乗根なんていう発想は許せないだの、そういう杓子定規を言うから、数学嫌いが増えるんじゃないのかな。
そもそも、この問題を作った人は、1の6乗根であることを知っていたか、あるいはすくなくとも極座標形式でどうなるかを知っていて、そこから問題を発想しているに違いないと思う。それを隠しておいて、難問を作り出しているわけで、これは意地悪としかいいようがない気がする。子どもに数学を教えるようになってからわかったのだが、中学や高校の数学の問題は、中学生や高校生の知らないレベルの数学でもって先に答えがわかっていて、それを無理やりに中学や高校の数学のレベルで解かせようとしているものが多い。読者にわかるたとえを出せば、小学校で教える「鶴亀算」は、中学に入って連立方程式を習うときわめて簡単に解ける。ということは、小学生用に鶴亀算の問題を考える人は、あらかじめ連立方程式で考えておいて、それを子どもに鶴亀算でもって解かせようとしているのだろう。これと同じことを、中学や高校の教材でもやっているようだ。こういう教育法って、どういう意味があるのだろう。
橋本裕さんという高校の数学の先生の日記ホームページに、ここ数日、数学教育についてのご意見が掲載されていて、関心を持って拝読している。たとえば、次のようなことが書かれている。
高校時代数学が得意でも、大学にはいると、まるで数学がわからなくなり、挫折するケースが一般的である。その理由は高校で習うのは「受験数学」で、本物の数学ではないからだ。受験数学に習熟することで、かえって数学的才能が損なわれているのである。
「受験数学」の特徴を上げると、①問題が与えられていて、②必ず解答があり、③決められた短い時間内に解け、④解き方が指定されている、ということだろう。「受験数学」が対象としているのは、限られた人工的な架空の世界であり、必ずしも混沌とした多様な現実世界を対象としていない。(中略)受験数学の達人は受験に出題される、ただ煩瑣なだけのおよそ趣味の悪いこうした人工的な問題は解けても、現実の多様な現象を前にして、ほとんど無力でしかない。数学に必要な創造的能力は、決して「受験数学」に習熟することでは得られない。(11月8日)
私が最初にあげた問題などは、受験数学の典型じゃないかな。私は、「高校時代数学が得意でも、大学にはいると、まるで数学がわからなくなり」のちょうど反対で、高校時代、数学は苦手科目の筆頭だったが、大学に入ってから数学が得意になった。ただし、教養部時代の「ε,δ論法」は、とうていついてゆけなかった。学部に入ると、当時の大阪大学の医学部は数理医学のメッカみたいなところで、生理学や生化学や内科学の時間に、黒板に行列や微分方程式がならんだものだ。ベンゾジアゼピン環に塩素をつけたりフッ素をつけたとき電子密度がどう変わるかを計算して薬理作用の違いを説明したり、心臓から流れでる血流を偏微分方程式で記述したり、ネフローゼ症候群に対して副腎皮質ホルモン剤が有効であるかどうかを線形判別関数でもって予測したりする仕事は、とほうもなく眩しくて面白かった。
数学的思考というのは、複雑な現象の背後に潜む単純な論理性を見抜く作業だ。そういうことが、これらの授業を通じて深く納得できた。そういう意味での数学的発想は、臨床心理学を専攻するようになってからも、きわめて役に立っている。作家曽野綾子が「私は2次方程式もろくにできないけれども、65歳になる今日まで全然不自由しなかった」と発言したことを橋本さんは批判されている。2次方程式だけをとりだせば私だってそうかもしれないが、数学的思考なしで、これまでの私の精神科医ないし心理療法家としての仕事はなかったと思う。そして、数学的思考は、高校数学でもってやしなわれたのではないのだ。