定年後の夫が心豊かに暮らせるには
Q
夫43歳。別に猛烈社員というタイプの人ではなく、ゴルフ以外は趣味がなく、休日は1日中家でテレビを見ながらゴロゴロしています。会社帰りに同僚と飲みに行きますが、会社を離れて親しい友はいません。お節介だとは思いますが、これでは定年後どうなるか心配です。夫は、「私にはあなたがいるから別に親しい友だちはいらない。定年後は毎日パチンコでもして暮らせばいい」と言います。それではボケてしまうんではないでしょうか。夫が心豊かに過ごすために私にしてあげられることはないでしょうか?
A
できることはあるんでしょうか?これは困った問題なんです。
一番根本的な問題は、コミュニティーのあり場所が、日本の男性の場合、職場だということです。職場に住んでいて、友だちがいて、そこから家庭に出勤して来る。会社へ行ってデスクにつくと「やれやれ」とくつろぐ。1日楽しく暮らせる。うちへ帰ると緊張してくる。カミさんを見て、うるさい子どもを見て、緊張して晩の間過ごして、朝、生き生きと職場に帰ってくる。こういう社会を作っちゃったんですね。ここ何十年の間に。
この国には手厚い保障制度があります。年金やいろんな手当など。これは世界でも珍しい制度です。江戸時代のお城の人間関係を明治政府が真似をして、それを会社が真似をしたんです。もとをたどれば江戸時代の大名家と同じ構造を今の大企業が持っている。社員を丸抱えして幸せにする義務があると会社は思っている。また労働組合を通じて「われわれを幸せにする責任はお前らにあるぞ」と社員たちも思っている。その構造自体がヘン。
人間が住む場所は本来は「地域」なんです。お隣やお向かいさんと一緒に暮らすもの。お城へ勤めているお侍以外は、昔はみんなそうだった。江戸時代はお城との距離が遠くなるけど、戦国時代のお城は普通の家だったし、江戸時代みたいに格式張っていなかったから、今の会社みたいに丸抱えしてなかった。
丸抱えする異様な社会ができたんです。ほんとはお百姓さんと漁師さんみたいに、地域で住んでいて、遊ぶなら隣のおっちゃんと、話し合うのも町内で話し合って暮らすのがノーマルなコミュニティのあり方です。勤めている間はそれでいい。定年になったときこの世に居場所を失う。うちへ帰っても落ち着かない。知らない女と知らない子どもがいる。夜には知っていて、昼間は見たことがない人たちがいる。全然知らない会話をしている。母と子の対話などが耳新しく聞こえる。何をしていいかわからない。自分の所属している社会ではないから、まったく何をしていいかわからない。そうなると、手は2つしかない。1つはボケる。1つは癌になる。だいたいどっちかを多くの人は選ぶ。定年後1年以内にボケるか癌になる確率はすごく高い。所属を失うから。体が、「もう死のう」と決心する。
対策は、ます家族ぐるみで、奥さんと2人で、他の夫婦と遊ぶことを始めたほうが賢明ではないか。旅行なんかでも、夫婦どうしのお友だちで行動すると、だんだんコミュニティーが家庭のほうにある構造が作れてくる。10年がかりくらいで少しずつご主人をおうちのほうへ取り戻してはいかがでしょうか。(野田俊作)