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スレッドNo.803

自分は悩まなくなったが、他人の子どもの非行化や暴力が気になる

Q
 アドラー心理学を学んで、自分の悩みはなくなった。他の人で、子どもさんが非行に走っているとか家庭内暴力を起こしているというのが気になり始めました。
A まあまあ一段階良いことではありますね。
Q 向こうが何も悩んでないのに、そのことについて口を出すのはお節介になるのではないかと思います。でも気にはなるんだけど、そこでどうしたらいいか?
A
 昔、知り合いの統合失調症の患者さんが、尾道の海の上を渡っている橋から飛び込んで自さつを図って、アップアップしているところへ漁船が通りかかって「助けてほしいか?」と聞いたから、「助けてほしい」と言ったら助けてくれた。もし、「助けてほしくない」と言ってたら、あれは見捨てて行ったんでしょうかね(笑)。
 ですから、いっぺん注文を取ってみたらどうですか。「何だったらご相談に乗りますけど、どうでしょうか?」と。注文を取ってみるとわかることがある。外人さんが道で困っていると、僕は英語がしゃべれるから“May I help you?”と言うんだけど、黒人さんのおじさんが2,3人困っていて、英語で聞いたが、向こうは黒人さんの英語でしゃべるから全然わからなくて、全然お助けマンになれなかったことがあった。助けられないかもしれない。気の毒だとは思うけど、手を出してみたがどうしようもなかったということもありうる。われわれ自身にもゆとりがほしい。ほんとに助けられるものかどうか考えてみたい。「何だったらご相談に乗りますから、気軽に声をかけてくださいね」と言って、あと何にもしないで見ているとお節介にならないで生きられる。余計なお世話で、「あの人が来たために、余計に話がややこしくなった」と言われない。
 漢方医学のことわざに、“病を得てこれを治せずんば、中医なり”というのがあります。「病気になってこれを治さなければ、中ぐらいの医者にかかったと同じだ」ということ。病気になって下手な医者にかかるよりは、全然医者にかからないほうがはるかにマシ。何だってそうで、藪医者ぶりを相手に押しつけると、相談するよりもっと悪いことになる場合もある。
 人を援助することに反対ではないです。少々お節介になるのもそんなに反対ではないです。僕らの心の内側がドロドロしていっぱい“甘え・甘やかし”の後遺症が残っている間に、あんまり人を助けにかかると、自分の内側のドロドロを相手に押しつけるということを知っていたほうがいい。知ってさえいれば安全です。知らないで、「私はまったくの善意でやっているんだと」思って、ドロドロにするヤツが一番具合が悪いですね。(野田俊作)

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