戦国自衛隊 野田俊作
戦国自衛隊
2001年11月14日(水)
アフガニスタンで、北部同盟がタリバン兵を虐さつしているそうだ。北部同盟は、以前にも市民を虐さつしたことがあるとかで、評判が悪い。
最近、『平家物語』や『太平記』を読んでいるので、アフガニスタンの戦争についてのニュースを聞くと、頭の中で二重写しになってしまう。日本の中世もきっとあんな風だったんだろう。日本の場合は、宗教間でも民族間でもなくて、氏族間の戦いだったのだが、残虐さはおなじことだ。アフガニスタンは文化的には中世なんだな。そこへ以前にはソ連、今はアメリカが介入して、現代の戦闘法を持ち込んだ。しかも、今回は、現代のマスコミがすべてを見張っていて、アフガニスタン人のすることを現代の価値観で裁こうとしている。日本の南北朝時代に、いきなり現代のアメリカが介入しているようなものだ。
そういえば、むかし、『戦国自衛隊』という映画があったなあ。半村良のSF小説の映画化で、原作も読んだっけ。角川春樹事務所によれば、新潟・富山県境に演習を展開していた自衛隊一個中隊が、ヘリコプター、装甲車、哨戒艇もろとも突如、戦国時代にタイムスリップした!彼らの前に現れたのは長尾景虎と名乗る武将、すなわち後の上杉謙信であった。景虎の越後平定に力を貸すことを決意した伊庭三尉率いる中隊は、現代の兵器を駆使して次々と諸将を征圧していくのだが……。果たして歴史は塗りかえられるのか?という話だ。アフガニスタンの戦争は、これとちょっと似ている。事実は小説よりも奇なり、ってところか。
SF小説は父母ともに好きだったが、とくに母が好きで、『SFマガジン』の創刊号からずっととっていた。大正14年生まれの女性だから、ひどくモダンな人なんだ。両親が読むと、私や弟が読んだ。中学時代と高校時代は耽読(たんどく)していたけれど、大学に入ると読まなくなった。他に読むものが多くなりすぎたんだ。映画は1979年で、息子と一緒に見た記憶があるが、そのときは息子はまだ6歳だから、見たのはたぶん劇場じゃなくて、もうすこし後にビデオで見たんだと思う。息子もこういう話が好きだったから。
同じような感じのSFだと、豊田有恒『退魔戦記』というのも印象に残っている。これは元寇と関係した話だ。角川春樹事務所によれば、代々脇田家に伝えられてきた古代文書「退魔戦記」。脇田俊夫はその解読にあたるが、そこには驚くべき真相が記されていた。― 蒙古軍の襲来を迎えようという文永年間の日本を、天空を翔けめぐる船に乗った未来人たちが訪れていたというのだ。彼らは蒙古による世界支配を阻止せんと、七百年もの時空を超えた歴史改変の戦いを繰り広げているのだったが……。ということだ。これも、すこし現在の様子と似ていないでもない。
ともあれ、アフガニスタンの話は、中世にいきなり現代が迷い込んだようで、パースペクティブが狂って不思議な感じがする。迷い込んでいる現代のほうは、自分の価値観もまた相対的なものであるにすぎないとは、まったく考えていないので、アフガニスタン人の残虐行為を、なんの迷いもなく非難する。しかし、アフガニスタン人にはアフガニスタン人の価値基準があって、虐さつにも立派な理由があるのかもしれない。こんなことを書くと、現代日本人からは総攻撃を受けそうだな。
抑圧的政治
2001年11月15日(木)
アフガニスタンのカブールが「解放」されたら、さっそく女性のブロマイド(もちろんヌードではない。ただ顔が出ているだけだ)を売っている人がいたし、それを喜んで買っている人もいた。音楽放送も解禁されたし、女性のアナウンサーも登場したそうだが、そういう公的な活動よりも、まったくの「民間」の活動としてのブロマイド売りのほうが「自由」というものを象徴する力が強いように思う。
抑圧の時代が終わって喜んでいる人々の姿が報道されているが、一方で、ブロマイドを売るなどの「放埓」を苦々しく思っている人もいるのだろうか。抑圧的な政権が持続できたのは、罰と脅しによる締めつけのために国民が卑屈になってしまったためもあったろうが、そういう姿勢に賛成する国民の支持もあったのではないかと思うのだ。たとえば、戦前の日本政府が存在しえたのは、強圧的な政治のためだけではなく、政府のイデオロギーを支持する国民が数多くいたからだと思う。「いやいや従っていた」と年寄りたちは言い、たしかにそうだった人もいたろうけれど、戦前は軍国主義者だったのに、戦争が終わると器用に民主主義者に変身した人もたくさんいたという。同じようなことが、イスラム原理主義の国家でもあるのだろうか。
われわれは抑圧的じゃない政府のもとで生まれ育ったので、ひどく抑圧的な国家で暮らす感覚がピンとこない。そのうえ、私個人は、いわゆるサラリーマンをしたことがないので(勤務医はしたが、あれはサラリーマンとはとうてい言えない「気楽な稼業」だ)、抑圧的な職場も経験がない。学校は、中学校だけがひどく抑圧的だった記憶があるが、その他は自由だった。いい生涯を送らせてもらっていると思う。
抑圧された体験が少ないわれわれは、たとえばタリバンのもとで暮らす人々の感覚をよく理解できない。「われわれ」と言ってはいけないので、日本でも、たとえば、女性たちは「抑圧されている」と感じているかもしれないし、実際、今なお男性よりも不自由な生活を強いられているところはあると思う。それはそれとしても、なおタリバン政権下の人々、なかんづく女性、ほど抑圧されているわけではない。そういうわれわれに、抑圧された国家で暮らす人がどのように感じ、どのようにふるまうかは、想像しかできないし、その想像もそれほど実像に近くないかもしれない。
ひどく抑圧的な政府のもとで暮らさなければならないとき、人間はどこまで希望を持ち続けられるのか、逆にどこまで卑屈になれるのか、私にはよくわからない。私が、いつも希望をもって勇気をもって生きようと思っているのは、政府が抑圧的じゃないからで、もし日本政府がひどく抑圧的に変身したら、私だって卑屈になってしまうかもしれないし、それどころか、政府のイデオロギーを本気で支持するようになるかもしれない。人間の性格は一人に一つしかないのではない。複数の人格があって、状況によって違う顔が出てくる。私だって、密告者や抑圧者になるかもしれない。だから、社会状況を、国民の悪い顔が出ないようなシステムにしておく必要がある。そのシステムって、どういうものなんだか、ずっと考えつづけている。