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スレッドNo.810

フォスター・チャイルド    野田俊作

フォスター・チャイルド
2001年11月20日(火)

 戦争が終わったら、アフガニスタンにフォスター・チャイルドをひとり作ろうと思っている。フォスター・チャイルドというのは、財団法人フォスター・プラン協会というところがやっている援助活動で、発展途上国の子どもに月5千円の学資を出すのだ。10年あまり前、パートナーさんと2人でマレーシアへ行ったことがある。そのとき、子どもたちのために何かしてあげたいねということになって、フォスター・チャイルドを作ることにした。私のほうは個人的には貧乏なので、大阪の事務所にお金を出してもらって、子どもを3人持っている。企業の社会的責任というものだ。パートナーさんは個人で1人の子どもを養っている。今はたまたま、4人全員がタイだ。インドネシアやスリランカの子どものこともある。一定の年齢になると援助を打ち切って、別の子を援助する。それで、たえず援助する相手国が変わる。
 月5千円というのは、日本ではたいした額ではないようにみえるかもしれないが、多くの発展途上国では、子どもが1人1月暮らせる金額だし、国によっては家族が1月暮らせる金額だ。発展途上国に対しては、さまざまの援助の方法があるだろうが、食料や医療の援助に較べて、教育を受けられるように援助することは、それらの国の自助努力を援助しているわけだから、投資効果が大きいのではないかと思っている。
 関心のある方は、ぜひフォスター・プラン協会のホームページにアクセスしてみてください。



物語の終焉
2001年11月21日(水)

 大塚和夫『イスラーム的―世界化時代の中で』(NHKブックス)という本を読んだ。イスラムのことだけでなく、今の世の中全体について示唆的なことがたくさん書いてあった。

 中に、次のような言葉がある。

 イスラーム・ファンダメンタリズムが盛んに語られだした1970年代とは、啓蒙・自由・解放などといった「大きな物語」の権威が失墜する、いわゆるポストモダン的状況がささやかれはじめた時期でもある。実際、これまでもたびたびふれてきたように、G.ケペルのいう「神の復讐」、すなわちイスラームのみならずキリスト教やユダヤ教における宗教復興の兆候が見えだしたのがこの時代である。さらに日本における新宗教や合衆国のニュー・エイジ現象なども含め、この頃からグローバルなレベルにおいて「宗教から科学へ」という啓蒙思想の説く「物語」への反抗が目立ちはじめた。今日的なイスラーム復興運動とりわけイスラーム主義運動は、西洋起源の民主主義や社会主義・共産主義とは異質の、イスラーム・ウンマ(引用者注:共同体)の再興という新たな「解法の物語」を提供したというモダンの側面をもつ。だが、別な角度からみれば、啓蒙思想―その重要な特性の中には、脱もしくは反宗教性、すなわち人間中心主義的な世俗主義の強調が含まれる―に対抗する、ポストモダン的な現象ということもできるかもしれないのである。(pp.214-215)

 テロ関係やアフガニスタン戦争関係のニュースを見ていると、イスラム世界は、宗教的な戒律を捨てて「近代化」しようとしている大衆と、ごく一部の狂信的で暴力的な過激派からできているかのように見えるが、実際はそうではなく、

 今日のイスラーム復興には、過激な武闘派のそれのみではなく、むしろその背景に広い範囲にわたる穏健で非軍事的なさまざまな潮流・傾向が含まれている。すなわち、七〇年代以降ムスリム世界では、とりわけ都市部に住む比較的高学歴の若者の間に、「宗教熱心な者たち」が増えだし、礼拝・断食などの義務を遵守する傾向が強まってきている。(p.129)

 のだという。これはイスラム世界だけのことではなく、全世界的なことで、だから日本でもそうで、そういう時代状況が、たとえば私に仏教の勉強をさせているんだな。もっとも、日本では、仏教やキリスト教などのいわゆる「既成宗教」の教団魅力がないので、若者は新興宗教に走ったり、あるいは『陰陽師』の映画でも見て満足しているようだが。
 ところで、老人たちが信じている仏教と私が信じている仏教とは、どうも違っているように思う。そのことについても、この本はうまくまとめてくれている。引用すると長くなるので、まとめて紹介すると、次のようなことになる。

 E.ゲルナーという宗教学者が、宗教現象を、カトリック的な特性群(C特性群)とプロテスタント的な特性群(P特性群)に分けた。大塚氏も指摘しているが、日本式にいうと、真言宗的な特性群と浄土真宗的な特性群といってもいいと思う。

C特性群 多神教的 偶像崇拝的 儀礼重視 聖職者中心
P特性群 一神教的 偶像廃止的 生活重視 信者中心

 現代のイスラム復興で盛んになっているのは、P特性群のほうなのだそうだ。イスラム世界のことはわからないが、仏教については、老人たちのがC特性群の仏教で、私のがP特性群の仏教だということになるだろう。
 もっとも、私は排他主義的なP特性仏教信者ではない。それは、四国遍路を歩いたり、大峰山脈をさまよったりする中で、土俗的な信仰も悪くないことに身体的に気づいたからだ。それはそれでいいのだけれど、「都市部に住む比較的高学歴の」私としては、「南無大師遍照金剛」だけでは、ちょっとかなわない。やはり、知的にきちっと理解しておかないといやなんだ。
 ともあれ、イスラム世界の人々も私も、同じ世代の同じ空気の中に暮らしているのだとわかって、なんとなく一歩彼らに近づけたように思っている。

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