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スレッドNo.813

他の子どもと比べたくなる&子どもを尊敬・信頼する

Q
1,すぐに自分の子ども(5歳)とまわりの子どもと比べてしまいます。そしてダメなところできてないところがどうしても目についてしまい、腹立たしく思うことがあります。例えば恥ずかしがり屋で引っ込み思案なところ。どうすれば比べずにいられるでしょうか?
2,子どもを尊敬する・信頼することについて教えてください。

A
 「PASSAGE」出てくださいな。それではアカンのかしら。この方はPASSAGE出たのかしら?子どもはひとりひとりみんな違うんです。どの子が将来社会のために役に立ち、この国を担うか、僕らにはわからないんですよ。われわれは未来を知らないんですよ。良い大学を出て高級官僚かなんかになって、そこから国会議員かなんかになって、それで国内や外国から賄賂をもらって、それで国を売ることだってあるかもしれんし、まあ高校なんてなんとかごまかして出て、プー太郎になって働いたり遊んだりしていて、カラオケ24時間かなんかやってて、その子が突然世のため人にためになんかするかもしれない。わかんない。僕たちは、なんか戦争のあとにできた大きな物語にわれわれ自身が洗脳されていて、僕らの価値判断の基準がハートのレベルじゃないんですよ。全部ボディーかマインドのレベルなんですよ。ボディーかマインドで善いか悪いか判断する資格がないんです。それはやめたほうがいいんですよ。だから比較のしようがない。善いとか悪いとかわかんない。この子はこの子なんです。この子はどうしようもなくこの子なんです。これが1。 2は、じゃあこの子をどう世のため人のために使いものになる人にするかが僕らの仕事なんです。子どもの使い道って僕言うんだけど、怠け者は怠け者の使い道、働き者は働き者の使い道、お勉強できる子はお勉強のできる子の使い道、お勉強の嫌いな子はお勉強の嫌いな子の使い道、みんなと楽しく遊ぶ子は遊ぶ子の使い道、ひとりで遊ぶ子はひとりで遊ぶのが好きな子の使い道があるはずじゃないですか。だから親がそれを工夫してあげないといけない。自分のことを言うと無難ですが、私の母親はあるときに私に言いました。「あなたの将来は精神科の医者か弁護士しかないわよ」って。「そんだけカラスをサギだと言いくるめる口ばっかりなんだから、その商売ならば大成するだろうけど、他へ行くとロクなことをしない」と言いました。それを僕は凄い当たっていると思いました。僕は商人とか政治家とかになると、凄い自分を悪く使うと思う。人を嘘で騙し、国を誤り、極道になると思うんだけど、精神科医とか弁護士とかいうのは初めから「人を守る」システムになっています、何してても。何やってもあんまり儲からないシステムになっている。そこなら安全だと思って、「弁護士しようかなあ、精神科医しようかなあ」って思って、弁護士ってねえ、国選弁護人かなんかになって悪い奴の弁護をしないといけないじゃないですか。誰がどう見たって“悪い奴”って、世の中にいるんです。滅多にいないんですけど、いるんです。僕、裁判所へ勤めましたので、よく知ってます。「これはあかんで」と思う人がね、「これはまあ死刑はないけど、一生とにかく刑務所に入っといてもらわないとしょうがない」と思う人が、申し訳ないけど人口のほんのちょっといるんです。それも弁護士になったら、「ああのこうのどうの、ドラえもんがどうの」ゆうて変な弁護しないといかんじゃないですか。それってイヤだなと思ったの。自分の良心に恥じることはしたくないって。でも精神科の医者だと自分の良心に恥じることはしなくていいでしょう。悪い精神病者はいませんから。犯罪者になる精神病者はいますから、それは間違ってなるので、本当の職業犯罪者みたいに悪い人はいませんからね。だからまあ精神科のお医者さんになろうと思いました。そんなふうに親が子どもの使い道を考えるべきだと思います。「この子は一体どんなふうに使えるだろうか」って。それは子どもと相談してみないといけない。子どもは世間が狭いから、そんなによくわからないんですよ。親だって世間狭いけど、親のほうが世間広くしようと思えばできるからね。だから、自分の子どもを何か自分の子どもじゃないものに改造しようとする計画を捨てて。タンポポはタンポポだし、スミレはスミレなんです。スミレに向かって、「お前タンポポになれ、タンポポになれ」と言うと枯れるんですよ。スミレはスミレで立派に咲いてほしいの。タンポポはタンポポで立派に咲いてほしい。それが子どもを尊敬するということです。子どもたちは僕たちの知らない未来に向かって、僕たちの知らない花を咲かせるんです。僕たちに一部分をお手伝いできるけど、彼らの人生の全部を知ったり助けたりできない。(野田俊作)

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