トランスとサマーディ 野田俊作
トランスとサマーディ
2001年11月29日(木)
「催眠トランスのことを、サンスクリットでなんというか知ってる?」と、友人の仏教フリーク(熱狂的愛好家)たちに聞いたら、「わからない」と言う。「サマーディ(三昧)だよ」と言うと、びっくりしている。トランスとサマーディは同じものだと思う。
サマーディに入ると悟るかというと、そんなことはないようだ。道元『正法眼蔵・四禅比丘』に、四禅(サマーディの4つの段階)を四果(悟りの4つの段階)と混同してしまう比丘の話が出てくる。これは出典があって、『大智度論』17巻だ。
仏弟子の中に一人の比丘(びく=男性の出家修行者)がいて、もっとも深いサマーディである第四禅を得て思い上がってしまい、最高の悟りである第四果を得たと思った。はじめに初歩のサマーディである初禅を得て、初歩の悟りである予流果を得たと思い、第二禅を得たときは、これは次の段階の悟りである一来果だと思い、第三禅を得たときは、これは不還果だと思い、第四禅を得たときは、これは最高の悟りである阿羅漢果だと思い込んだ。そう思い込んで舞い上がってしまい、それ以上修行しようとは思わなくなった。命が尽きようとするとき、四禅に相当するあの世の姿が見えてきて、間違った了見をおこし、「これは涅槃じゃないぞ。きっと仏が私をだましたんだ」と思った。この間違った了見のために、四禅のあの世の姿を失い、地獄の姿が見えてきて、ついに命が尽きると地獄に生まれ変わった。
仏弟子中有一比丘。得第四禅。生増上慢。謂得四果。初得初禅。謂得須陀洹。得第二禅時。謂是斯陀含果。得第三禅時。謂是阿那含果。得第四禅時。謂是阿羅漢。恃是自高。不復求進。命欲尽時。見有四禅中陰相来。便生邪見。謂無涅槃。仏為欺我。悪邪見故。失四禅中陰。便見阿毘泥梨中陰相。命終即生阿毘泥梨中。
ちなみに、四禅というのは、『岩波仏教辞典』によると、
初禅は欲望から離れることによる喜び(離生)
二禅は禅定から生ずる喜び(定生喜楽)
三禅は通常の喜びを超越した真の喜び(離喜妙楽)
四禅は苦楽を超越した境地(非苦非楽)
ということなのだそうだ。四果のほうは、預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生まれかわれば悟りを開く位。一来とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位。不還は欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。阿羅漢は今生の終りに悟り(涅槃)に至り再び三界へは生れない位、なのだそうだ。
催眠を使うと、容易に深いサマーディに入れる。四禅というのは、きっと、自分の身体の感覚も、世界の存在の感覚も、思考もなくなって、ただ「見ている私」だけが残っているようなトランスのことだと思うが、そういう状態になるのも、そう難しいことではない。しかし、だからといって悟りは開けない。それは、深いトランスに入った経験があると、よくわかる。
遊びの師匠
2001年11月30日(金)
父の法事で、私の子ども時代の遊びの師匠T氏に会った。高知の人で、大阪大学の理学部で高分子だかなんだか化学系の研究をしていた。父が気に入ってかわいがっていて、よく出入りしていた。夏休みには、私や弟は彼にあずけられて、一緒に高知へ行った。
私の娘の一人に坂本竜馬にちなみのある名前をつけたという話をしたら、高知県人の話になった。鈴木商店というのがむかし大阪にあって、造船に投資していたのだが、第一次大戦で船の価格が高騰して儲けたこと、片岡という高知の須崎の人が経営者だったこと、やがて社運が傾くと金子という、これも高知の須崎出身の番頭さんが、高知出身の浜口首相に政府が援助してくれるように頼んだが失敗したこと、その金子氏が昭和19年にボルネオでアルミニウムの鉱山を開発しようとしたが、高知県人を雇うことにし、「学歴はいらないから、孫子の兵法を読め」と言ったこと、鮎の養殖を始めたのも高知県人で(名前を言っていたが忘れた)、大阪と宝塚に大きな屋敷を持っていて、そこに水が循環する池を作って鮎を入れたのが最初であること、坂本竜馬には子どもがいなかったが甥がいて、幸徳秋水らの大逆事件に連座したこと、その人はその後も生きていて、講演に来たのを聞いたことがあること、などなどなどと、高知県人にちなんだ話が延々と続いた。宗教学者のミルチャ・エリアーデが『ムントリャサ通りで』という小説を書いていて、その中に、延々と昔のことをしゃべる校長先生が出てくるが、そんな感じだった。とても面白かった。
考えてみると、私の子ども時代には、他に三人、こういう話をしてくれる人がいた。一人は海洋少年団の団長をしていたO氏で、中学の技術の先生だった。キャンプで焚き火を囲みながら、軍隊時代のことなどをたくさん話してくれた。もう一人は関西大学で西洋史の先生をしていたA氏で、フランスやスペインの巡礼の話やら、中世の旅の風習の話やらを聞いた。そういえば、私の父も物知りで、中国の歴史書を引用しながら、さまざまの話をしてくれた。医学の話はさっぱりしなかったな。
そういう「強烈薀蓄(うんちく)オヤジ」が何人も周囲にいたことは、私の人格形成と深くかかわりがあると思う。だって、私もそうなってしまったもの。薀蓄だけじゃなくて、今日会ったT氏と、海洋少年団のO氏は、私の遊びの師匠だ。海の遊びも山の遊びも、基本的な技術は彼らから習った。子ども時代にそういう大人が回りにたくさんいたことは、私の幸運だ。私もそういう「薀蓄オヤジ+遊びの師匠」になれるといいと思っているが、手ごろな子どもがあまり周囲にいないのが残念だ。