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スレッドNo.818

銃後    野田俊作

銃後
2001年12月01日(土)

 昨夜から沖縄に来ている。来る飛行機にはアメリカの兵隊らしいのがたくさん乗っていた。アフガニスタンに行った海兵隊の補充だろうと思う。雰囲気はきわめて明るかったので、すぐに戦場へ行くわけではなさそうだ。アメリカの軍隊は民間機で移動するんだ。しかも、自国の飛行機じゃなくてもいいんだ。
 嘉手納基地をかかえる沖縄市内のホテルに泊まったが、アメリカ人の男性がたくさん泊まっている。見たところ兵隊ではないようだが、男性ばかりだから観光客ではもちろんないし、ビジネスマンにも学者にも見えない。いったいなんなんだろう。那覇ではなくてわざわざ嘉手納基地の近くで泊まるのだから、やはり戦争と関係があるのではないだろうか。こちらは、そんなに明るくなくて、深刻そうになにやら話しあっていた。
 嘉手納基地の入り口のチェックがきわめて厳しいらしくて、車が長い列を作って待っている。なんだか、数日前に警戒のレベルが上がったとかいうことだ。海兵隊をアフガニスタンに上陸させたからだろう。
 私のほうは、基地に行ったわけではなく、アドラー心理学についての講演をしにきたのだ。楽しく話をして、あとは仲間と島酒をしこたま飲んだ。



内親王誕生
2001年12月02日(日)

 雅子妃が入院されたことは知っていたが、その後のことが沖縄ではまったく話題にならない。朝、石垣に向かうため那覇空港へ行くと、「新宮様ご誕生おめでとうございます」とポスターが掲げてあったので、ああ、お生まれになったんだなとはわかったが、男児なのか女児なのかがわからない。空港のテレビは、たまたま今日開催されている那覇マラソンの中継をしていて、皇室関係のニュースは流れていない。そこで、しかたなく、『沖縄タイムス』を買った。一面トップに「雅子さま女子出産」という記事が載っている。そうか、内親王だったんだ。
 沖縄県民へのインタビュー記事があったが、もちろん祝福している人も多いのだが、中に次のようなものもあった。

☆県内の平和活動家の男性(51)
 まったく関心はない。一人の女性が子どもを産んだことはおめでたいと思うが、別に天皇家と私は関係ないし、もともと天皇制には反対している。マスコミの特番はやめてほしい。くだらないことだ。

☆県内平和団体で活動する女性(87)
 新しい生命を生み出す素晴らしさはみんな同じ。男子でも女子でも無事出産されたことはめでたい。だが皇太子妃だからといってこれで一日中大騒ぎになるのは奇異に感じる。心の中で見守っていればいいのでは。

☆買い物途中に新聞の号外で知った浦添市内の主婦(39)
 昨晩からテレビで報道されていたので知ってはいたが、皇室に特別な感情があるわけではない。子どもが生まれたのだからおめでたいではある(ママ)。昨日も一日中このニュース一色になるのかなと家族で話していた。

 本土の新聞で、こういう意見が3人も並べて書かれているということはないよね。やはり沖縄の人は感じ方が違うんだ。そう思って石垣に着いて、出迎えに来てくれた友人に、「雅子さまが女の子を産んだんだってね」と言ったら、関心なさそうに「そうだってね」と言ってくれただけで、すぐに別の話題になった。



しまちゃび
2001年12月03日(月)

 石垣島の友人たちによると、よく内地のOLさんが退職して流れてくるんだそうだ。なぜか28歳が多いのだと言っていたが、サンプルの偏りもありそうだから、年齢までは信憑性が高くないかもしれない。彼女たちは、機織などの「地場産業」で暮らせるだろうと思ってやってくるのだが、一日働いても5万円ほどにしかならない。それで、仕方なく夜の仕事もしたりする。そのうち疲れ果てて内地へ帰っていくのだそうだ。
 西表島などの離島へ行くと、子どもは中学を出ると石垣の高校へ行き、そのまま島へ帰ってこないで、石垣で住んだり、那覇や東京へ出て行ってしまうので、老人ばかりが残る。島に残っても仕事がないのだから、仕方がない。島にいる若い人は沖縄本島や県外から来た移住者だ。もっとも、先ほど書いたように、他所から来た人が誰でも移住に成功するわけではなくて、成功した人だけが残っているのだ。残る人は生活力があって、工夫してなんとか仕事を作り出している。島で生まれた子どもは、そこまでして島に残る気がない。
 島の人は言う。「ここは別に『楽園』ってわけじゃないから」。日本全体に景気が悪いが、沖縄はもっと悪い。さらに離島はもっともっと悪い。経済政策が根底的に間違っていて、農山漁村を切り捨て、離島を切り捨て、大都会でだけ暮らせるようにしている。それが、最近は、いわゆるグローバリゼーションで、世界レベルになってきて、アメリカでは暮らせるが、それ以外の国では暮らしにくくなってきている。そのうち、日本全体が「離島化」するかもしれない。「しまちゃび」というのは琉球語で「離島苦」のことだ。日本全体が「しまちゃび」に苦しむ日が来なければいいのだが。



しまちゃび(2)
2001年12月04日(火)

 石垣島で教師をしている友人と酒を飲んだ。泡盛の三合瓶があっという間に空になった。「景気が悪いね」と言うと、「そうなんですか?」と言う。あれれ、そういう実感がないんだ。石垣島でも市内じゃなくて僻地の小さな学校に赴任しているので、リストラなんて周囲にないし、ホームレスのおじさんもいないんだ。「でも、あなたの学校の子どもたちが卒業しても、結局島にいられなくて、都会へ出て行くんだろう。そのとき、就職がないかもよ」と言うと、「ふうん、そうなんだ」と、暢気なことを言っている。
 彼は、以前は本島の学校にいたが、そこはあまり住み心地がよくなかったようだ。数年前石垣に転勤してきて、それからはすっかり現地適応している。毎日5時に仕事がひけて、カヌーに乗って釣りに出て、楽しくおもしろく暮らしているようだ。「沖縄へ移住したいなら、教員採用試験を受けて教師になればいい」と彼は言う。あなた、そんなこと言うけれど、本島の学校にいたころは、学級崩壊してベソかいていたじゃないか。沖縄だって、あなたがいるような僻地をのぞいては、ちゃんとポストモダン的混乱状況の中にあって、不登校もあれば学級崩壊もあるだろ。そこに沖縄独特の問題、たとえば中学生の飲酒があって、そこにさらに離島苦、すなわち子どもの未来の暗さがあって、状況はちっとも明るくないんだぜ。
 ま、そうは言うものの、赴任地を気に入り仕事を気に入っている教師のほうがいいね。子どもたちは教師からたくさんのエネルギーを受け取って育つわけで、状況が暗ければ暗いほど、楽観的で明るい教師と暮らすのがいい。

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