リーダー
Q
甘えの中に受動的と能動的とあるんじゃないですか?私の性格は赤ちゃんみたいに末っ子で‘受け入れる甘え’ですが、長男だと逆に‘訴えて甘える’ような性格なんでしょう。それを逆に治すには、甘えを知って、働きかけるように治していけばリーダー的な性格が出てくるでしょうか?
A
出てこないでしょう。受動的な人は受動的なんです。だから、受動的であることをどう建設的に生かすかを考えないといけない。内気な人を外向的にしたり外向的な人を内気にしたり、器用な人を不器用な人したり不器用な人を器用にしたり、能動的/受動的を入れ替えたりするという考え方をぜひやめてほしい。引っ込み思案だったら引っ込み思案のままでうまく生きていくことを考える。やたら出しゃばりだったら、出しゃばりのままで人の役に立つことを考える。それを工夫したい。
Q でも環境によってそういうふうにならざるをえない。リーダー性を望まれるとか。
A そのうち向こうが諦めるでしょう。「あいつは無理だ」と。それでクビにはならないでしょう。
Q でも社会の組織の中ではだんだん「長」になっていく。リーダー性が必要になっていくわけでしょう。
A だから、早い目に無能になること。「ピーターの法則」と言います。ピラミッド型のヒエラルヒー=階層構造がある。新入社員はみんな最初は平社員。このうち何人か出世して何人か出世しない。1人か2人出世できない人が出る。最初に落ちこぼれて。会社は滅多にそういう人をクビにしない。そういうのを飼っておく。その中から出世してまた落ちこぼれる。そこからまた出世して落ちこぼれる。……。
そうすると、各レベルが長いことやっていると、黒丸(落ちこぼれ)ばっかりになっていく。そのレベルで出世が止まった人が溜まっていく。やがて社長以下全員無能です。大きな役所なんかまさにそのとおりです。係長は係長のレベルで無能になった人、課長は課長のレベルで止まった人、部長は部長のレベルで止まった人、そういう人だけで占められる。ごく有能なやつは目立つからすぐその上に行ってそこで止まる。これがピーターの無能レベルです。
幸せに生きていくには、「限界をはっきり知って、無能レベルに達する直前に出世を止める努力をする」こと。自分がほんとは無能でないうちに、無能であるかのようにみんなに思わせること。そうすると無能じゃなく生きていける。
私はだから病院をやめたんです。私は会議がダメなんです。先に決まっていることをウニャウニャと言って何か決めんといかん。病院は10年勤めると肩書きが付くんです。係長補佐待遇。そうなると会議で責任がある状態になる。これはいかん。「何とか長」と付いたりするとどうしようもない。全然管理能力がないからね。絶対出世しない職場でないとダメ。うっかり病院に勤めていると、何もしなくてもどんどん出世する。そうすると必ず無能レベルに達して、「あの精神科部長は無能だ」と、院長からも看護師からも必ず言われる。そんな不愉快な生活はイヤです。だからさっさとやめた。裁判所だと出世しない。医者はスタッフで出世コースから完全に外れていて、一生平社員です。自分の限界をはっきり知ること。
日本だけじゃなくおよそ階層構造の職場のおかしさは、平社員として有能な人には管理能力もあるはずだと思っちゃうこと。全然別のことなのに。与えられた仕事、経理がきちっとできる人が管理職として有能だとは限らない。自分もリーダーシップではダメだと思うんだったら、あっさりそれを認めてみんなにもそう言って、「あいつはリーダーにだけはさせないでおこう」と、人事の人に思わせること。そしたら適切な場所を選んでくれる。大失敗する前に思わせておけば。
会社が従業員を利用して生き残るように、従業員も会社を利用して生き残る。ギブアンドテイク。だから、会社の期待どおりに動くこともない。会社が出世を餌にして、苦手な仕事を押しつけてくるなら、「出世しないぞ」というのを武器にして、あるレベルで止まっちゃうのもいいんじゃないですか。
友だちに一生平教師だった先生がいた。ああいう人は迫力がある。「私は管理職としては無能で、いつも子どもたちと一緒にいたいから」という理由で。定年前には、どこへ転勤しても校長や教頭よりも先輩です。校長や教頭がみんないやがった。あれはいい。迫力があって。いい先生だった。非行の子がみんなその先生にくっついていた。非行少年の親分をやっていた。技術家庭科の先生でね、校内をブラブラしている子を見つけてきて工作したり畑耕したりしてたから、子どもたちも観念してついていった。(野田俊作)