あらたしき年のはじめ 野田俊作
あらたしき年のはじめ
2002年01月01日(火)
わはははは、とうとう一年書き続けたぞ。ネタが切れて困ったこともあったけれど、困ったことよりも楽しかったことのほうが多かったように思う。今年も一年、楽しんで書いていこう。
話は変わるが、元日は、実家に挨拶に行くことにしている。母と、3人の息子と、その子どもたちが一同に集まるのは、一年でこの日だけだ。といっても、今年は、私の上の娘が来られなかった。1日から仕事なのだそうだ。真ん中の弟の上の娘も、お昼ごろ、仕事に行くといって出て行った。元旦から仕事に行かなければならない時代になったんだ。
むかし、まだ小学生のころ、正月の3日だか4日だかにパンが食べたくなったのだが、パン屋が5日だか6日だかまで休んでいて悲しかった思い出がある。今は1日からコンビニもあいているし、スーパーマーケットでさえあいているところがある。これはいいことなんだか悪いことなんだかわからない。便利だからいいじゃないかとも思うが、「ハレ」としての正月が「ケ」としての日常に犯されている気もする。
ともあれ、今年もよろしくお願いいたします。あれこれ勝手なことを書きますが、ご愛読いただきますように。
正月早々
2002年01月02日(水)
元日だけは飲んだくれて、今日から論文を書いている。社会構築主義とアドラー心理学の関係の論文なのだが、この社会構築主義(social constructionism)という用語がけっこう面倒くさい。ガーゲンというその筋の権威によると、社会構築主義とそれに類似の名称がたくさんあって、それは次のように区別できるという[1]。
根源的構成主義(radical constructivism):合理主義哲学に深く根をおろした観点で、現実であると考えるものを個人の心が構成する方法に注目する。クロード・レヴィ・ストロースやエルネスト・フォン・グラザーフェルドなどはこの立場だと考えられている。
構成主義(constructivism):より穏健な見方で、心が現実を構成するが、それは外界との系統的な関係の中においてであると考える。ジャン・ピアジェやジョージ・ケリーなどの名前がこの立場と関係づけられている。
社会構成主義(social constructivism):心が現実を自分と世界との関係のなかで構成するとき、精神過程は主に社会的関係に影響された情報をうけとるという議論。レフ・ヴィゴツキーやジェローム・ブルーナーの仕事がこのアプローチの例である。セルゲ・モスコヴィチと共同研究者たちの「社会概念」に関する仕事もしばしばこの立場をとるが、個人が参加しているより大きな社会的慣行に着目点を置く。
社会構築主義(social constructionism):自己と世界を分節するための媒体としての言説と、そのような言説が社会的関係性の中で機能する方法とに第一義的な着目点がある。
社会学的構築主義(sociological constructionism):社会的構造物(たとえば学校や科学や政府)が人々の上に行使する権力が自己と世界の理解に及ぼす影響を強調する。アンリ・ジルーやニコラス・ローズの仕事が例である。
また、次のようにも説明している[2]。
「構成主義」という言葉と「構築主義」という言葉を多くの学者は相互に変換可能なものとして使う。しかしながら、本質的な違いがあることも理解していただきたいのだが、構成主義者にとって世界構築の過程は心理学的なものであって、「頭の中で」起こるのである。これに対して、社会構築主義者にとっては、われわれが現実だとうけとるものは社会的な関係の産物なのだ。これは知的にも政治的にも小さな違いではない。構成主義は西洋の個人主義の伝統と同盟して、個人の心が関心の中心になる。しかし、多くの構築主義者は個人主義的伝統に対して批判的であり、理解や行為の関係主義的な代替案を探求している。
ううむ、わかったような気もするが、よくわかっていない気もする。ともあれ、私はいったいどれなんだろう。ピアジェやケラーの構成主義は認知主義の一種だから、コミュニケーションを重視する私の考えとは似ていない。ガーゲンは、フーコー風の権力の分析を社会学的構築主義と呼んで、社会構成主義から分離しているが、もしそうなら私は社会構築主義に近い。しかし、社会構築主義者は、単一の、統合された固定的自己をもつ人々の代わりに、おそらくわれわれは、断片化されていて、お互いに必ずしも調和しない、多数の潜在的諸自己を持つのだ。
と言うが[3]、私は複数の自己(ペルソナ)は認めるが、それらの背後に単一の、しかも合目的的な無意識を想定しているので(そうでなければアドレリアンでなくなる)、そうなると合理主義者でかつ個人主義者あって、ポストモダンとはいえず、構成主義者に近いことになる。ううむ、なかなか複雑だな。そんなことを正月早々考えなければならないので、酒びたりというわけにもいかない。
[1] Gergen, K.J.,: An Invitation to Social Construction. Sage, London, 1999, p.60.
[2] ibid., p.237.
[3] ヴィヴィアン・バー著,田中一彦訳『社会的構築主義への招待』川島書店.
浩→野田先生のお正月は凄い!