小6クラスに反抗的な子ども
Q
小学校6年生を担任しています。5年生から受け持っています。アドラー的に子どもと接してきましたが、子どもたちとの関係がなかなかスムーズにいきません。
クラスに反抗的な子どもがいて、授業しようとすると大声出したりして邪魔します。その場は、「静かに勉強したいから少し静かにしてくれませんか。協力してほしい」とお願いするのですが、受け入れてくれません。たまに静かなときには「みんなが協力してくれて勉強がよくできました。ありがとう」と言うようにしています。あんまりうるさく言うときは、まわりの子どもが「ほっとけや。遊ばせときや」と言います。初めはひとりで勝手にしていたが、最近はまわりの子どもたちも一緒のようなことをしたがります。クラス全体がざわざわしています。何か都合の悪いことがあれば、「先生がしっかりしろ」とまわりの子どもたちが言います。反抗的な子どもは平気で「センコー」とか「アホ違うか」と言います。「そう言われるとイヤなのでやめてくれない?」と言うが、聞いてくれません。できるだけ怒らないようしていますが、怒らせよう怒らせようとあの手この手でかかわってきます。卒業まであと少しです。気持ち良く別れたいと思っていますが、どうすればいいでしょうか。
A
諦めてください。今からでは無理です、時間的に。今年のクラスは失敗だった。失敗要因はきっと権力闘争でしょう。なんで権力闘争になっているか。きっと喧嘩を売っているんでしょう。先生のほうもいろんなところで。権力闘争とか復讐については、『クラスはよみがえる』に書いてある。
子どもだけが教師に仕掛けているわけじゃない。教師も子どもに仕掛けている。同じことを。ですから、自分がどんなに子どもを怒らせているか、どんなに子どもを傷つけているかに目が行かないと、ここから抜け出せない。いっぺん冷静に考えてみて、なんて上手に子どもを怒らせているんだろうかとか、自分がどんなに上手に子どもに劣等感を与えているのか、そこが見つかるといっぺんに解決できる。
「うちの子ども(生徒)が具合が悪いからなんとかしよう」と思っている限りうまくいかない。「私、あんまり上手な親(教師)でないから上達しよう」と思いだすとうまくいく。自分のやっていること、自分の子どもに対する接し方が、子どもの目で見た自分が見えてくるようにならないと抜け出せない。
きっと、問題を起こす子どもたちに対して、何かの方法で不快感を与えているんでしょう。クラスにいることを楽しくなくさせている要素がある。そういう不快感のことを専門語で劣等感と言う。劣等感が大きいと、子どもはそれを克服するために、あまり大きすぎる場合にはこんなこと、つまり暴れたりします。そうやって先生より強いことを示そうとします。だから、「この子たちはなんでこんなんだろう」と思わないで、「私はなんでこんな教師なんだろう」と思って、しかも暗くならないこと。反省はイチモンの得にもならないから。自分を点検しているだけなんです、これは。感情的に反省しても何もプラスはない。いったい何が子どもたちを怒らせているのか冷静に検討して、それをやめて、子どもたちを勇気づける方法を考えてほしい。
勇気づけるというのは、ただ「ありがとう」「嬉しい」と言っても勇気づけたことにほんとはならない。勇気づけるというのは、勇気づけようと思って暮らすこと。あることが起こったら、今いったい何をしたら勇気づけになるのかなと考えて、そのつど一生懸命に見つけ出すこと。
昔、知恵遅れのおばさんのお産に付き添ったことがあります。婦人科のお医者さんが不安がった。「こんな人はきっと分娩台でパニックに陥るから、先生付き添って」と言われた。案の定パニックに陥った。「恐い恐い」と言う。で、おばさんのほっぺたをパチンと叩いて、「黙れ。お前のおっかさんだっておばあさんだってひいばあさんだって子どもを産んだし、犬だって産むし猫だって産む。動物は子どもを産むようにできているんだ。ガタガタするんじゃない」。おばさんはスッと落ち着いて子どもを産んだ。私、そのおばさんを勇気づけた。「そうか、勇気づけってほっぺたをパチンと殴ることか」と思わないように(爆笑)。
勇気づけというのは、「この人をいったいどうして勇気づけたらいいか」問題意識を持っていくと、そこから答えが出る。答えから勇気づけは出てこない。干魃で雨が降らなくて、やっと降ったから喜んで踊った。「そうか、踊ったら雨が降るんだ」と思って、次に雨乞いの踊りをするのと同じ理屈です。ほっぺた殴ったら勇気づけだと思ったりする。たくさんの種類の勇気づけの中に、場合によってはそんなのもあるけど、それだけが勇気づけではない。
子どもたちを勇気づけるというのは答えがない。正解がない。劣等感を与えないように、不快感を与えないように、くじかないように、怒らせないように、傷つけないように、勇気を与えるにはどうすればいいかずっと考え続けること。あるときうまくいったと思う。次の日うまくいかないかもしれない。そしたらまた考えること。そうやって成長するんです。(野田俊作)