精神統一病 野田俊作
精神統一病
2002年01月21日(月)
精神神経学会は、「精神分裂病」という病名をやめて「統合失調症」と呼ぶことにしたのだそうだ。賢い人たちが一生懸命考えた結果なのだろうが、あまり素敵な病名じゃないな。
私の出身の大学のゼミでは、よく「精神統一病」と言っていた。「分裂」よりも、むしろ妙なところに「統一」しているのが病気の本体だと、私の同輩たちは思っていたわけだ。彼らの多くは単科の精神病院で数多くの精神分裂病患者とつきあっている人たちだったから、感覚は確かだと思う。私は当時、総合病院精神科にいて、分裂病者よりも神経症者とのつきあいのほうが多かったから、あまり発言権がなかったし、今でもない。
しかし、「統合失調」というのは、どうも違うような気がする。精神神経学会の人たちの中にも、「おかしな精神統一」が問題だなと気がついている人はいたと思うのだが、schizophreniaというヨーロッパ語の名称にひきずられて、「失調」という言葉を入れたくなったのだろうか。
あるいは、この変更は、社会的差別をなくすることだけが目的であるのかもしれない。「分裂」は響きが差別的で、「失調」はそうじゃないというのだろう。しかしね、概念(signified)をそのままおいておいて名称(signifier)だけ入れ替えて、差別がなくなるものだろうか。DSM(アメリカ精神医学会の「精神科診断統計マニュアル」)などでは、他の精神疾患と明確に区別できるものとして精神分裂病(ないし統合失調症)を操作的に定義してある。精神神経学会には、そこを動かす気はないようだ。だとすると、概念をそのまま温存して、ただ名称を入れ替えただけじゃないか。それって、ごまかしのような気がするなあ。
差別をなくするためには、社会制度上の差別を撤廃しないといけない。つまり、精神病者と一緒に社会の中で生きていくことを、制度として保障(ないし強制)しないといけない。つまり、平等ということと同等ということとをはっきり区別して、「同じじゃなくても平等に」つきあう練習を、みんながしないといけない。一方で、育児や教育の中で強烈な同等化圧力(みんな同じでありなさい)をかけながら、一方で、名称だけ変えて精神障害者差別をなくそうというのは、土台が腐った家のペンキだけ塗り替えて高く売ろうというようなものだ。
精神障害者って、“変わった人たち”なんだよ。変わった人たちだということを知って、それを認めてつきあえば、いい人たちだ。「変わっていてはいけない、《普通》になりなさい」と圧力をかけると、いい人たちでいられなくなるかもしれない。そういう圧力さえかけなければ、ほんとうに純粋で正直ないい人たちだと思う。変わっているけどね。
睡眠時間
2002年01月22日(火)
いつも午前1時ごろまで起きていて、早ければ朝7時半、遅ければ8時半に起きる。ところが、昨日は午後10時半に寝てしまって、今朝は午前9時まで寝ていた。疲れているんだ。催眠のワークショップははじめてで、どうしていいかよくわからないままに2日間をすごした。ひどく気疲れしているみたいだ。
社長業をしているおかげで、出勤はいつも午後1時ごろだ。午前中は論文を書いたり、この日記を書いたり、メールを書いたり、そういうことに使っている。だから、サラリーマン諸氏には申し訳ないが、疲れていれば朝寝坊ができる。朝寝坊ができるのは、まだ若い証拠じゃないかと思っている。朝早く眼がさめて困るということはない。
寝つきはいいほうだ。ベッドに入ると、数分で寝てしまう。それでもときどき眠れないこともあって、そういうときはあっさりと起きて、仕事をすることにしている。午前3時とか4時とかになることもあるが、それでも7時半とか8時半に目がさめる。その翌日はきっと眠れる。
寝すぎると夢をたくさん見る。今朝も、たいして意味のない夢を次々と見ていた。今はもう思い出せない。