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スレッドNo.857

悪夢    野田俊作

悪夢
2002年01月29日(火)

 朝、起きがけに、悪夢を見た。卒後研修を受けた大学病院が舞台だ。年齢は、だから25歳くらいか。新米の医者だ。正月から、あれこれ忙しくて、いけないと思いながら出勤できなかった。夢の中の今日は、1月10日過ぎだ。出勤して医局に入って挨拶すると、先輩たちはこちらを見るが、挨拶を返してくれない。完全に無視されている感じだ。ちゃんと理由は言って休んでいたのだが、やはり怒っているみたいだ。困ったな。白衣を着て病棟へ行く。私の受け持ち患者はいるかな、と見ると、一人もいない。外来担当医が私に患者を回してくれないのだ。干されている。そこへ教授がやってきて、「お前、この上、来週からスペインへ行くんだって?」と怒る。学会でスペインへ行くことになっている。言い訳しようとするが、思いつかない。
 気分悪く目覚めた。病院勤務は15年間したが、こんなことは実際にはなかった。しかし、夢の中では、とてもリアルに不適応を起こしている。医師としても自信がなくなっているし、研究者としても、自分でイカサマだなと思っている。アドラー心理学では、こういう夢は、「こんなことになると大変だから、しっかり働くんですよ」という無意識からの警告だと解釈する。実際、そうして生きてきたし、これからもそうして生きていくだろう。
 それはそれでいいのだが、人格は複数あるとこのごろ考えているので、そういう立場から考えると、私の中にそういう自信のない、オドオドした人格(ペルソナ)があるのが面白い。子どもの頃から「自信満々だ」とか「なんでもキッパリ言い切りすぎだ」とか「もうちょっと謙虚になったら」とか、さんざん助言されてきた。しかし、一向に直っていない。傲岸不遜な人格だ。ところが、夢の中のような状況になると、崩れ落ちそうなくらい気弱な自分が出てくる。実際にはそんなことはなかったのに、その人格は確かに存在する。なぜなんだろう。ともあれ、そのことを無意識的には知っているから、そういう状況にならないように、「勤勉に働き、有能さを披露する」という形で自分の行動を制御することによって、余計者扱いしないようたえず環境に働きかけることで、自分にとって快適な自分と快適な環境とを作り出しているんだな。この解釈って、性格診断理論の新しい展開になるかもしれない。と、このように、ころんでもタダでは起きない私。
 子どもの頃から威張っていたことの証拠写真を掲示しておく。左側にいるのは祖母だ。

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