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スレッドNo.861

情報漏洩委員    野田俊作

情報漏洩委員
2002年02月12日(火)

 日本アドラー心理学会の役員は、インターネットの某所に秘密の会議室を持っていて、年中その場所で話しあっている。そこで話しあわれたことのほとんどは、役員でない一般会員に知らされない。知らせるほど大切なことはちゃんと知らされるので、知らせるほどでない些細な事項たちが知らされないのにすぎないのだが。もちろん、会員が「知らせろ」と請求すれば、どんなことでもすぐに知らせる。ただ、知らせたところで多くの会員はただ面倒に感じるだけだろう。知らされて面倒に感じるような無数の些細な事柄があり、それを処理しないと組織は動かない。
 日本アドラー心理学会のような小さな組織でさえこうなのだから、たとえば日本国というような大きな組織では、もっともっと多くの事柄が、誰も知らないところで話し合われ処理されているはずだ。われわれの学会では、すべての話し合いを知っている人が何人かいる(私はすべては知らない。役員会のメンバーではなく、事務局のメンバーなので、すでに決定されたことは知っているべきだが、まだ決定されていない事項の細目を知っている必要がない)。しかし、国家では、すべての話し合いを知っている人は誰もいないだろう。
 このように、一部の人間が閉鎖的にものごとを決めていると、一般民衆は政治に無関心になって「お任せしますからよろしくね」と言っているか、あるいはパラノイア的になって「政治家はきっと悪いことをたくらんでいるに違いない」と疑うか、いずれかの反応をすると思う。運営がうまくいっている間は無関心派が多数だろうし、うまくいかなくなるとパラノイア派が増えるだろう。無関心もパラノイアも具合が悪いと思うのだ。大衆が、ふだんからある程度の関心を政治に対して持っていてくれるのが、役員としてもやりやすい。そうすれば、パラノイア的にすべてを疑う人物も減る。
 そこで、国家は、一方で内閣官房長官が記者会見をしたりして表側から情報を公開し、一方で「情報漏洩」という形で裏側から情報を漏らす。どういうルートで漏れるのかよく知らないのだが、新聞や週刊誌に、政府高官しか知らないはずのことが書かれたりする。あれは、誰かが不用意にポロッとしゃべったものじゃなくて、ちゃんと指揮系統があって、漏らすべき情報を厳選して漏らしているに違いない。これは日本アドラー心理学会やその他の小組織でも見習うべきだな。役員会で「情報漏洩委員」というのを任命して、公式には言えないたぐいの情報を漏らす。その中にはガセネタや役員の私生活にかかわることなどもすこし混ぜておく。「会長と事務局長がなんだか知らないが激論した」だの「某理事は次期会長を狙っている」だの、真偽とりまぜて情報漏洩すれば、大衆の政治への関心があがるんじゃないかな。
 民主主義というのは面白いシステムだ。きれいな表側だけでは動かなくて、情報漏洩だの、その逆の諜報活動だの、そういうことがあってはじめて動く。そういうことについては、ちゃんとした研究があるんだろうか。



このごろの若い者は
2002年02月13日(水)

パートナーさん(以下P):「このごろの若い者は」って、大昔から言うでしょう。
私:古代エジプトのパピルスにも書いてあるそうですね。
P:でも、人類は進歩して賢くなったじゃない。
私:そうなのかなあ、私はだんだんバカになっているように思っているんだけれど。
P:大学を出る人が増えたし、科学だって進歩したし。
私:船釣りに行くとね、船頭さんが賢いんだ。登山して樵(きこり)さんに会うと、あの人たちも賢いしね。
P:それはそうね。
私:大学で伝達されているのは知識で、漁師さんや樵さんが伝承していたのは知恵で、時代が進むにしたがって、知恵がなくなって、知識だけが増えたと思う。これが、人類がだんだん堕落していると私が思う第一の理由です。
P:第一ということは、第二以下もあるわけね。
私:第三までありますが、第二は、倫理的な問題です。「世界ウルルン滞在記」なんていうTV番組に出てくる南の島のおじさんとかって、とても礼儀正しく誠実じゃないですか。
P:それはほんとうにそうね。
私:今の日本の若者だけじゃなくて、われわれの世代の人間だって、ああいうプリミティブな暮らしをしている人に較べると、倫理的に堕落していると思う。
P:道徳がないってこと?
私:ええと、私は、「道徳」というのは権力者が民衆に押しつける行為基準、「倫理」というのは超越的な基礎を持った、したがって権力者に押しつけられたんじゃない、行為基準、というように用語を使い分けているので、道徳ではなく倫理です。政府は道徳再武装をめざしているみたいだけれど、それでは問題解決にならない。
P:「超越的」っていうのは、宗教的ってこと?
私:いや、そうでもないんです。むかしの農村みたいに、小さな人口の単位が何世代も同じ場所に定住していた時代があったじゃないですか。そういうとき、個人がどう振舞うかは、ムラの伝統で自動的に決まっていて、誰もその伝統を疑わなかったし、その伝統の根拠を尋ねなかったでしょ。そのとき、その伝統の根拠は「超越的」だって、私は言います。「いったい、どうしてそうしないといけないの?」って尋ねて、「それはね」と、理性が納得する答えが出せるのなら超越的じゃない。
P:でも、伝統的にある振舞い方が決められていても、因習かもしれないじゃない。だから、「なぜそんなことをしなければいけないんだ?」って問うていかなければならないんじゃないの?
私:みんなそう言いますね。それがモダニズムというもので、倫理を堕落させた原因なんです。倫理には根拠はないんですよ。それは、第三の問題とも関係しています。第三の問題は、宗教が堕落していること。古代人のアニミズム宗教は、自然と調和して生きる方法で、とても高貴な宗教だったと思う。生活の仕方が変わって、狩猟採取生活から農耕生活になると、自然との直の触れ合いがなくなって、アニミズム宗教は没落し、シャーマニズム宗教になるように思う。縄文式時代はアニミズムで弥生式時代はシャーマニズムだということだ。
P:だから卑弥呼が出てくるのね。
私:そうなんでしょうね。さらに、農耕生活から都市生活になると、自然との関係はまったくなくなって、養老孟司先生風に言うと、「都会とは、要するに脳の産物である。あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり脳の産物に他ならない。都会では、人工物以外のものを見かけることは困難である。そこでは自然、すなわち植物や地面ですら、人為的に、すなわち脳によって、配置される。われわれの遠い祖先は、自然の洞窟に住んでいた。まさしく『自然の中に』住んでいたわけだが、現代人はいわば脳の中に住む」(養老猛司『唯脳論』ちくま学芸文庫,p.7)ということになって、宗教も「脳の産物」になる。仏教とかキリスト教とかイスラム教とかいった、ソフィスティケートされた抽象的な宗教になるわけだ。
P:だんだん高級な宗教になるということじゃないの?
私:今は、仏教やキリスト教よりもっと「高級」な「科学技術教」になって、物質的繁栄だけを約束する宗教が全盛だ。古代人のアニミズムは、漁師の知恵と同じで、知恵なんだ。知恵のある暮らしとアニミズムやシャーマニズムとはワンセットなんだよ。一方、大学で伝達される知識と物質万能主義はワンセットなんだ。
P:でも、むかしは結核とかがあって、たくさんの人が死んだでしょう。
私:そうですね。ミクロに、ある人だけを見ると、病気で死ななくなったのはいいことだね、たしかに。けれど、エコロジカルに見るとどうなんだろうね。私も医者だから、これ以上は言えないけれど。
P:危険思想ね。で、結局、あなたは、原始時代に還れという主張なの?
私:それが可能ならね。縄文式時代の暮らしにむかって、ゆっくりと時間をかけて戻っていくのがいいと思う。
P:ナウシカ主義者ね、あなたは。
私:『風の谷のナウシカ』ね、そうかもしれない。

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