自分に自信を持ってもらうには
Q
1)今、中学2年生の女の子ですが、私は娘に「頑張れ」と勉強などで言わないのですが、娘は部活も勉強も満足していません。そんな自分に劣等感を持っているようです。もっと自分に自信を持ってもいいのではないかと思います。どう接すればいいでしょうか?
2)クラスが替わって友だちと別れて学校が楽しくないと言います。人とのつきあい方を学んでいるのだと思いますが、どんな言葉をかけてあげればいいのかわかりません。勇気づけの方法を教えてください。
A
これ、これですね!思春期というものが大きな文脈の中に自分を位置づけることができないとき。そんなとき、私がなんのために生まれてきて、なんのために生きていくのかわからないとき、たった今、クラスの中で好かれているかとか嫌われているかとか、勉強ができるかとかできないかとかいうところに、目が行っちゃうんですね。今の友だちなんかどうせ別れますわ。僕、中学校のときの友だちなんかともう会わないもん。あなた方ももう会わないんじゃない?そんなの、いっとき一緒にいるだけの人なんですよ。それで、こっちから言ってあげなくても、人生が見えている子にはそうなんです。自分が世の中へ出ていって世のため人のために働くんだとわかっている子にとっては、誰かに好かれているとか嫌われているとかは、些細な問題にすぎないじゃないですか。どうせ人は私を嫌いますよ。みんなの賛成するようになんか生きていけないですよ。大事なことは、わたくしはわたくしの信念で、わたくしの誠実さで、わたくしの努力でわたくしの方向性で生きていくことで、それに賛成する人も反対する人もいますよ。一番問題は、わたくしの信念もなく誠実さもなく方向性もないことなんです。なんでないかというと、そういうことについて誰も子どもに教えてあげないからです。長いスパンで以て、子どもがどう生きていけばいいのか、まあさしあたって、人々のために、人々って誰かはっきりさせて、人々のために何をすればいいのか、あるいはかつてみんなは人々のために何をしてきたのか、今この世界にどんな問題があるのか、それに対してあなたは何ができるのか、というような話し合いをしたいと思う。賢い子どもを作りたいんです。子どもたちはとても敏感で純粋ですから、きちっと情報をあげて問いかければ、とても良い答えをくれます。ただし若干非現実的ですけどね。でもいいんです。思春期というのは若干非現実的が味で、完全に現実的だとただのおっさん・おばはんですから、若干非現実的でも彼らは美しい答えを出せるようになると思うんです。そこの対話をしたいわけ。話し合う家族というのは、親が子どもに教えたり、親が子どもを勇気づけたりする家族じゃなくて、思春期になったら対等の仲間として、そこで教えたり教えられたり、語ったり語り合ったりする、そういう家族関係を作りたいんです。日本の親というのは、「私がこの子をなんとかしてあげたい発想」から抜けないのね。これが縦の関係です。ある年齢まで子どもは介助が必要です。いろんなことについて。だいたいいくらなんでも、普通、小学校出たらいらなくなると思うんですよ。対等の話し相手として動けるようになっているはずなんです。ただ、今の子どもたちは親があまりにも子どもを無能力な存在として扱うので、「これはしめしめ」と、そうしておいてもらうとあまり責任を取らなくてすむじゃないですか。ずーっと責任取らないで、大学行っても責任取らないで、大学卒業しても大学院行って責任取らないで、博士課程行って博士号取っても責任取らないで、ずっとプープーと暮らそうというような野望を抱いたりするんです。で、ずっと子どもなんですよ。僕、幼形成熟と言うんですけど、ボディはちゃんと大人に、子ども産めるのに、マインドは子どものままでハートは存在せず、マインドは子どものままで体は大人という存在がいっぱい歩いているでしょう。なんでそんなことが起こるかと言ったら、僕たちがちゃんと子どもを育ててないからです。われわれが子どものハートという存在そのものを忘れて、魂というものが存在することを忘れて、ただ体と計算だけ、マインドの得意技は「計算=ゼニ勘定」ですからね、計算だけでもって僕たちが生きてきて、それが人間の生き方だと誤解して子どもたちに伝えているからだと思う。ココロザシですよ、ココロザシ。魂ですよ、魂。古くさいな、単語が。だから、ハートとスピリットです、はい。(野田俊作)