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スレッドNo.871

生臭い話    野田俊作

合唱
2002年02月28日(木)

 むかし、女声合唱団の指揮をしていた。「ゾンネンブルーメ(Sonnenblume)」という、ちょっと洒落た名前の合唱団だった。ドイツ語で「ひまわり」のことだ。もともとは、別れた妻がやっていたのだが、彼女は声楽家で、指揮は好きじゃなかったみたいで、押しつけられてしまった。1985年に別居したのだが、そのときの条件のひとつに指揮を続けることがあった。1991年に内輪もめで解散してしまって、お役ごめんになった。コンサートのテープが何本か残っている。できのいいコンサートがあったので、CDに焼いてみた。まさか、自分の演奏がCDになるとは思わなかったな。
 ゾンネンブルーメでは、指揮だけではなくて、編曲もしていた。そういう仕事を、いつかまたしてみたいなと思う。女声合唱はあまり気が向かないのだが、混声合唱だったら喜んでするな。「アドラーコール」という、年に一回だけ成立する合唱団がある。日本アドラー心理学会の総会で歌うのだ。しかし、そこの指揮はしてはいけないとパートナーさんは言う。「あなた、これ以上目立って、どうするのよ」だって。それももっともだ。ま、老後の楽しみにおいておこう。



新幹線の椅子
2002年03月01日(金)

 東京に来ている。「のぞみ」の椅子が身体に合わない。先日来、腰痛がグズグズくすぶっていて、再発が怖い。さいわい、ひどくならずに東京に着いた。グリーン車だと楽だと思う。しかし、会社は貧乏なので、グリーン車の旅費まで出してくれない。自分でも出す気はない。ケチなんじゃないよ、ただ貧乏なだけだ。
 古い「ひかり」の椅子は「のぞみ」ほど窮屈ではない気がする。椅子を設計する時、想定している人体の大きさがあるはずだが、「のぞみ」のほうが「ひかり」よりも小さいようだ。これはちょっと馬鹿げていないか。日本人はだんだん大きくなっているんだし、西洋人もよく利用するし。車両の大きさから椅子の大きさを計算したのだろうか。それはちょっと人間疎外的だな。大きさの問題ではなくて、背中の角度の問題かもしれない。とにかく座り心地の悪い椅子だ。



生臭い話
2002年03月02日(土)

 ある地方にアドラー心理学を学んでいたグループがあったが、世話人の方針に不満な人がいて、新しい学習グループができた。昔からのグループは他の地方の学習グループと交流することなく独自路線で勉強していたが(正にその点が批判の対象だった)、新しいグループは、中心になる人たちが他地方へ積極的にでかけて、全国標準(?)の学習法を取り入れた。その結果、旧グループは次第に日本のアドラー心理学運動全体から取り残されていった。
 今日、新しいグループの世話人さんの一人が東京に来てくれ、古い方のグループが最近発行した冊子を私にくれた。読んでみて驚いた。アドラー心理学理解が後退している。20年近く、私や他のアドレリアンがそのグループに講演に行ったりして、新しい考え方を説明してきたのに、そこで学んだことはすっかり忘れてしまって、1970年代のアメリカ式の古風なアドラー心理学理解に逆戻りしている。アドラー心理学は、理論的にもここ20年ほどでずいぶん進歩したように思うし、学習法もここ10年ほどの間にすっかり変わった。しかし、古いグループは、大昔のアメリカの理論と方法に固執している。さらに他流派の心理学を折衷することさえしている。
 同じようなことは、他の地方でも起こっている。日本のアドラー心理学運動の初期は、全国あちこちに孤立的なグループがあり、相互の交流はなかった。やがて相互交流がはじまったとき、他のグループと積極的に情報交換する世話人さんと、そういうことに消極的な世話人さんとがいた。情報交流しない世話人さんのグループは時代遅れになっていったが、一般会員が他地方に出かけないかぎり、時代遅れぶりはバレない。しかし、一般会員が他地方の進歩的なグループと交流すると、バレてしまって、反乱が起こる。ここ数年、孤立的なグループの内部での反乱が、あちこちで起こっている。ちょうどそういう時期なんだな。
 私は、反乱には関与しないことにしている。その地方の人たちが民主的に解決すればいいことだ。しかし、反乱派が相談してくる。そりゃそうだよ、保守派は閉鎖的で反乱派は開放的なのだから、開放的なほうが私や他の日本アドラー心理学会の役員にアプローチする。相談してくれば、相談に乗らないわけにもいかない。そうなると、保守派にうらまれる。反乱派が新しいグループを作ると、保守派は一気に反動的になって、新しい考え方ややり方を一切拒否するようになってしまう。困ったことだが、対策を思いつかない。

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