息子はゲーム、主人はアルコールで私は不幸
Q
24歳の息子の仕事もしないで(日中かな?)ゲームをしている姿や、主人がアルコールがあるから早く死のうと言うのを聞くことがつらくて、私が自分の不幸を作りだしているらしい。そういう部分はどこなのか、新しい暮らしのイメージが頭に浮かばない。知るにはどうしたらいいのでしょうか?
A
あのー、「人が悪くて私はかわいそう」と言っているかぎりは決して救われません。さっき、I am OK, you are not OK.と言ったけど、まわりの不幸は私と何にも関係ないんです。私が相手の不幸を作っていることはあると思うけど。相手が不幸だから私が不幸になるというのは、それは因果関係が違うと思うの。どんな不幸のまっただ中でも、幸福に生きる私がいれば、他の人たちも幸福になるだろうと思うんです。じゃあ、人はどうやったら幸福にいられるかというと、人はdispleasure(不快感)とdiscontent(不満)を抜ければいいんだ。体の不快とか頭の不満とかじゃないところで満足している喜びを見つければいいんだ。そのためにはどうすればいいかというと、ほんとに人のために生きているなっていう実感があればいいんだ。じゃあ、自分がどうやったら人のために役に立てるかを考えないといけない。人って誰かも考えないといけない。何をすればいいかも考えないといけない。相談しないといけないけど、少なくとも、「自分の家族はこんなだから」と理由を出している間は救われないと思う。それは自分の不幸と関係ないこっちの不満とか不快なことにすぎないから、それは幸福と何も関係がないと思う。(野田俊作)