倫理と理念
Q
有意義なお話をありがとうございました。質問なんですが、倫理は理念であって実際は違うという意見を耳にすることがあります。先生は倫理と理念の関係をどう思われますか?
A
理念ってideaなんでしょうね、きっと。倫理はidealですねえ。ですからエル(L)のある分だけ違います(笑)。英語の試験だと、おんなじだとペケです。頭の中で考えるmindですね、ideaっていうのは。ideaは言葉ですからmindなんですよ。「こうしたらいいかな」って、「こうするのがいいかな」「これは悪いかな」って考えること。倫理っていうのはheartですから、「こう生きよう」っていう決心なんですよね、ideal。アドラー心理学は「人のために生きよう」と決心してくださいです。それは決して強制できることではありませんが、もしあなたが本当に幸福になりたいのであれば、という条件をつけます。「もしあなたが本当に幸福になりたいのであれば、自分のことばかりを考えるのをおやめなさい。他の人たちに対してできることをなさい」って言います。アドラーはよく患者さんにそう言いました。「あなたは無理をして、人から期待されることを何もかもしようと思って暮らすから鬱病になるんです。だからあなたはしたくないことをしなくていいです。無理に何かする必要はありません。ただし、1日に1個だけは人のためにできることをなさい」って。そういう鬱なんかになって、神経症なんかになって、私の所へ来る患者さんを見ていて、つくづく思うけど、ごめんね患者さん、あなた方は1日いっぺんも人の役に立っていない。いっぺんだけでも役に立てれば、その分だけあなたの人生は変わっていくと思う。だからまず「他の人の役に立って生きよう」という大きな決心を最初にしないと動き出さないと思います。「四誓偈(しせいげ)」、“4つの誓いの歌”というのが仏教にあります。どの宗派もやりますねえ。うちは曹洞宗でしたので曹洞宗では一番最初に、「衆生(しゅじょう)無辺(むへん)誓願度(せいがんど):人々はよるべがないから誓いを立てて救おう」と、一番最初は「誓い」なんですよ。その次が「煩悩無尽誓願断:迷いは尽きるところがないから誓いをもって断とう」と、だから2番目は懺悔なんですよ。自分自身を見て、自分自身の問題点をちゃんと調べて劣等感を直視することね。その次が「法門無量誓願学」で、学ぶこと。自分の今までの考え方は違ったと思って、新しい考え方を一から学ぶこと。学ぶというのはさっき言ったように、聞いたことを既に知っている言葉に翻訳するのをやめること。ひと言でも相手の言ったことをそのまま受け取って実践してみることだと思います。それから最後に「仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)」で、とにかくコツコツと一歩一歩実践していくこと。誓いを立てることと、それから自分の問題点をちゃんと直視することと、新しく空っぽになって学び始めることと、それを実際にやり始めることっていう順番が、僕たちが学んでいく順序だと思うんです。みんながうまく学べないのは、どっかの段階をパスしているからなんですよ。最初に、おのれの自分の得のために学ぼうと思ったり、学ぶけど「私は間違ってないもん」と思ってみたり、学んだけど実践しなかったり、実践するけどちゃんと勉強しなかったりすることでうまくいかないんです。だからその順番で学ばれれば、誰でもうまくいくと思う。僕、ダライラマを見てて思った。ダライラマというのは、あれは一応ただのおっさんですね。聖者というタイプではないと思う、インド風に言えば。インド風の「グル」とはちょっと違って、彼は生まれてごく小さいころにごく「賢い子」を選ぶんです。前世のダライラマの転生としてチベット中から賢い男の子を選ぶんですよ。その男の子の中で見込みのありそうな、体も丈夫で賢い子を転生だと言って、小さいころから英才教育をするんです。英才教育はチベットの場合は、公文式仏教英才教育マニュアルがありまして、頭の良い子が小さいときから系統的にやれば、誰でもだいたい二十何歳で完全に「歩く仏教辞典」になれるシステムがあるんです。僕、それに出会ったのが遅かったので、今生では間に合いそうにないから、5歳6歳の子が学び始めるみたいにわれわれ大人は学び始めることができないからね、忙しくもあるし先入観もあるし、記憶力も悪いし。だから今生は諦めまして、この次生まれ変わったらあのシステムで勉強しようと思っているんですけど。完ぺきなマニュアルがあるんですよ。それを彼は小さいときからやりまして、二十何歳で成就しました。それは結局今言った順番で願を立てて、懺悔して学んで実践するの繰り返しなんですけど、この間、日本で会見しているのを見てね、中国の政府や中国人を凄い慈悲をもって哀れんでいるんだと思ったの。普通、西洋論理学だと、ここで中国政府や中国人を怒るところなんですよ。同胞のチベット人がころされているから、怒らなきゃいけないのに全然怒らないで、彼らの煩悩ね、彼らの悟りの浅さを悲しんでいるなあと思ったんです。それは教育システムの成果だと思うのね。あれがハートが開くためのシステムで、ちゃんとシステムどおりやれば、ハートは開くんだ。あれはだから凄い新しいタイプの政治家だと思うんです、怒りでもって応えないタイプの。だから次の時代はああいう人たちがだんだん増えていって、仏教でもキリスト教でもイスラム教でも、怒りでなくてcompassion。bodyはsympathy、mindはempathy、heartはcompassionでね、ボディは同情で、マインドは共感で、ハートは慈悲なんですけど、今compassionてのがこれまた心理学で凄い話題なんです。sympathyでもemparhyでもないcompassionね。ああ、怒りでなくて慈悲でもって敵を見るんだって、彼らを迫害している人たちを見るんだなって。そういう政治家が出てくるんだなって思ったんです。だからね、学べば誰でもそこまでちゃんと到達する。ですから、ちゃんと「勉強、勉強」ってやっていきましょう。(野田俊作)