音の記憶 野田俊作
音の記憶
2002年03月24日(日)
別府にいる。午後から講演なのだが、昼食は会場で仲間と食べることになっていた。少し早い目に着いたので、諸井誠『音楽の現代史』(岩波新書)を読んでいた。古本屋で百円で買った本なので、今は絶版かもしれない。
昼食は持ち寄りで、オムスビやら、サンドウィッチやら、さまざまのおかずやら、多彩だ。本を置いて食べていると、耳の中でバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番が鳴る。考えが頭にこびりつくのと同じで、ときどき、こんな風に音楽が耳にこびりつく。実際に聴いたときにはそういうことは少ないように思うが、音楽についての本を読んでいるとよく起こる。上述の本に知っている曲が出てくるたびに耳の中で鳴らしていたので、その後遺症だろう。
人の話を聴くとき、その人の語り口のままで覚える記憶と、文章を文字に直して覚える記憶と、意味を自分なりに翻訳して覚える記憶とがあるように思う。パートナーさんは語り口のまま覚えるのがうまくて、上手にまねをする。しかし、あの方法では大量記憶ができない気がする。情報量が多すぎるから。
私は文字に直して逐語的に記憶しているように思う。音楽を思い出すのも、誰かの演奏が聞こえるのではなくて、楽譜から自分が演奏している感じだ。楽譜そのものを暗記しているわけではないのだけれど、なんとなく続き具合を覚えている。誰かの演奏を聴くときも、演奏家にあまりこだわらない。実際に演奏されている音楽を聴いているというより、その向こう側にある抽象的・理念的な音楽の設計図を聴いているような気がする。うまく説明できていないが、おわかりになるだろうか。要するに、現実の声ではなく、文章を記憶しているのだ。この方法は、必要な情報だけを切り出しているので、大量に記憶できる。
ある人たちは、相手の声でもなく文章でもなく、自分の言葉に直して記憶するので、もともとの言葉と意味が違ってしまうことがある。私は、それはしないように努力している。それをすると、学べないもの。なにを聞いても、いつまでも自分の解釈の世界に閉じこもってしまうから、自分から一歩も外へ出ることができない。
夏への扉
2002年03月26日(火)
お遍路に来ている。徳島に着いてから、ロバート・A・ハインライン『夏への扉』(ハヤカワ文庫)を買った。この本は、中学生か高校生のころ読んでいるはずだ。母がこの本を好きで、本棚にあったのを読んだのだ。しかし、中身はまったく覚えていない。題名が印象的なので覚えていたのだ。
昨夜は泊まって、朝から山を登って、一日かかって山中の第12番霊場焼山寺に着き、そこの宿坊で読みふけった。話はこうだ。主人公は電子技術者で、掃除ロボットを発明し、弁護士の資格のある営業マンと共同経営でガレージ・カンパニーを経営している。時は1970年だ。その会社に雇っている秘書に恋をしたが、捨てられてしまう。しかも彼女は、共同経営者の営業マンと結託して会社を乗っ取ってしまう。絶望した主人公は、冷凍睡眠で2001年まで眠ることにする。まあ、その後いろいろあるのだが、さんざんハラハラさせてくれた末に、ハインラインらしいハッピーエンドで終わる。
読んでいて気がついたのだが、主人公が私そっくりなのだ。独創的な発見をする才能はないが、すでに存在する技術を組み合わせて新しいものを作り出すのが得意だとか、完全に仕上げない間は商品として売り出したくないとか、お金は暮らせるだけあればいいので贅沢できるほどほしくないとか、女に弱くてすぐに参ってしまうとか。若いころに読んで、パーソナリティを取り入れたのではないかと思うくらい、似ている。
もし私がこの主人公を見習ってこうして生きてきたのだとすれば、思春期の読書って、やはり大事なのかもしれない。もういちど、あのころ読んだ本を読み返してみようかと思っている。
伝灯
2002年03月27日(水)
第12番焼山寺を出て、一日がかりで山を下り、第13番大日寺まで来て、その近くの民宿で泊まっている。夜はなにもすることがないのだが、『夏への扉』は昨夜のうちに読み終わってしまって他の本はもっていないので、一緒に来た人々と喋っていた。
わりとアカデミックな話をしていて、英英辞典の話から漢和辞典の話になって、漢訳経典の中の音訳語の話になり、やがて大蔵経と経録の話になり、そのうち、「インドの論書は、何世代にもわたって書きついで、ほんとうの著者がわからないものが多い」というような話をしていた。たとえば『阿毘達磨大毘婆沙論』は、「五百大阿羅漢等造」と書かれている。説一切有部という部派が全力をあげて書き続けた論書だ。著者の個人名はわからない。唯識派でこれに相当する『瑜伽師地論』は「弥勒菩薩説」と書かれている。これも百年以上の期間にわたって多くの論師が書き続けたものだと思う。それを弥勒菩薩に仮託したのだ。こういう何世代にもわたって書き継いだものでなくても、たとえば『大智度論』は「龍樹菩薩造」ということになっているが、実際には龍樹菩薩(ナーガールジュナ)ではなく、その後継者の誰か(複数かもしれない)が書いたものだと思う。直接の師匠あるいは学派の始祖の名前で本を出すことが普通にあった。インドだけでなく、日本仏教でもそういうことはあって、たとえば平安時代の恵心僧都源信は多くの論書を仮託されている。
こういう話を聞いて驚いている人がいた。現代の学者は、自分の業績だということを誇示したがる。他人の名前で論文を書くとか、著者不明のままでおいておくとか、考えられないという。それはたしかにそうだが、しかし、それは西洋的な悪習で、個人の業績を誇るより、ある学派の伝統の中でいくらかの貢献ができたことを喜ぶべきだと、私は思う。私自身も、アドラー心理学の学統の中にともし火をひとつつけられればそれで満足だと思う。私自身の名前が記憶されるかどうかはどうでもいいことだと思っている。古代仏教の論師のように、何百年もの時間尺度でものを考えたいのだ。