論語でジャーナル
2,子曰く、性は相(あい)近し。習えば相遠ざかる。
先生が言われた。「人間の生来の素質はそんなに差があるものではない。生まれたあとの習慣(学習)によって種々の差異ができ互いに遠く離れるのである」。
※浩→「性」は生まれつきの素質。人間が生まれついた素質というとき、古代人は天から人間に賦与されたものと考えたのしょう。天が人間に与えた共通のものとは、それは結局「善」に向かう意志だと、孔子は漠然と考えていたらしい。これはのちに孟子の「性善説」に発展します。最近は、変な人がいろいろ大事件を起こして、この「性善説」を疑いたくなることが多いです。電車で殺傷放火事件があったり、新幹線で放火事件があったり…。世の中ほとんど善人なのに、少数の悪人がいるために世の中は大混乱です。「刑事物ドラマ」を見ていると、被害者が復讐を実行すると、その人は犯罪者として逮捕されて裁かれます。これでは被害者は「やられ損」です。古代の『ハムラビ法典』の有名な「目には目を、歯には歯を」はその意味では筋が通っています。でも、現実は、犯罪者(容疑者)への同情の念は否定しがたいながら、法治国家では当然法によって裁かれます。十津川警部も杉下右京も「違法行為」は絶対に許しません。先日見た番組では、法で裁かれない極悪犯人を、もと裁判長とか検事とかの老人が3人で、極悪加害者を次々に殺害していくというショッキングなストーリーがありました。ただ、その3人も最後に狙った極悪人に逆に殺されてしまうというどんでん返しでした。加害者の権利も当然保障されますが、被害者の多くは泣き寝入りになっているようにも受け取れます。
「性は相近し」というという考え方は、哲学者デカルトの「良識(ボンサンスは人間に均等に分配されている」という考え方に類似しています。アドラー心理学では、「共同体感覚は人間に先天的に与えられている能力であるが、生後の育成を要する」とあります。人間の素質にはそんなに変わりはなく、習慣(学習)によっていくらでも向上できるという確信を持ちたいですが、例外あります。それは次の条で扱われます。