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スレッドNo.891

外国のホテルを予約する    野田俊作

外国のホテルを予約する
2002年04月09日(火)

 5月末に北米アドラー心理学会の総会に出張する。シカゴのホテルで開催されるのだが、4月末までに宿泊を申し込むと、一晩172ドルの部屋に89ドルで泊まれる。ただし、電話で予約しないといけない。電話は、日本語でも苦手なのに。仕方がないので、こわごわ電話をかけた。以前は英語のうまい秘書がいたんだが、今は私しか英語を喋れない。
 最初、女性の交換手が出てきて、「なんの用ですか」と言うので、「リザベーションだ」と答えると、別の交換手らしいに回された。この人の英語がわかりにくい。「もうすこしゆっくり喋ってくれ」と頼んだのだが、喋る速度というのは、なかなか遅くならないものだ。「どこのホテルですか」と言うので、「シカゴだ」と言うと、そちらに回されたらしく、今度は男性が出てきた。あれこれ質問されて、答えてゆく。「北米アドラー心理学会に参加するのだが、割引があるはずだ」と言うと、「何の会ですって?サイコロジー、はてな、そんなのは見当たらないが。ファーマコロジー(薬学)じゃないんですか?」と言う。おかしいなあ。「じゃあ、NASAPってのはないか?」と尋ねると、「ああ、それならあります」と言う。よかった。「5月22日から25日までは会期中ですから89ドルですが、21日は172ドルです。それでいいですか?」と言う。「ちょっとエクスペンシブすぎるから、その日は他を探す」と断る。「OK、じゃあ、4泊とっておきます。では、ジップコード(郵便番号)をください」というので、「アメリカじゃない、日本からだ」と言うと、「おお、外国からですか」と驚く。外国人はめったに直接は電話しないらしい。そりゃそうだろうね。インターネットで予約するほうが、はるかに簡単だもの。「ストリート・ナンバーをください」と言うので、町名の綴りを言うが、うまく聞き取れないようだ。「大阪」と言ったとたんに、「ああ、大阪。それで充分です」と言う。それなら最初からそう言え。こんな風にして、さんざん苦労して、かなりの電話代を支払った挙句、予約は完了した。
 5月21日のホテルについては、もちろんインターネットで予約した。こっちのほうはきわめて簡単だ。学会が割引をしてくれるのはありがたいが、電話予約に限定するのはやめてくれるように、北米アドラー心理学会に言っておこうと思う。



イムジン河
2002年04月10日(水)

 スタッフが、フォーク・クルセダーズ『イムジン河』というCDを持ってきた。「イムジン河」という歌は、いまから30年以上も前に、口から口へ伝えられて流行った歌だ。ラジオで何回か流されただけで、レコード化は、南北朝鮮の統一を願う歌詞に政治的な問題があるとかで、見送られたのだそうだ。だから、幻の名歌だったわけだ。それがようやくCD化されたのだという。
 この歌が流行ったころ、私は大学生だった。韓国からの留学生に韓国語の歌詞を習った覚えがある。その学生は他学部の人だった。他学部の学生と簡単に会えたということは、大学2回生までのことであるに違いない。3回生からは、医学部だけのキャンパスに通ったので、他学部の学生と会うのは難しかったから。
 仲間の誰かが採譜して、ちゃんとギターコードもつけて、皆で歌っていた。大学の混声合唱団にいたので、そういうことは得意な人が多かったのだ。レコード化しなくても、いいものはちゃんと流行ったんだ。
 ともあれ、借りて帰って、しみじみと聴いた。70年前後の時代状況の思い出が、クラスターになって帰ってくる。美しいこともたくさんあったけれど、恥ずかしいこともたくさんあったなあ。なにしろ、青春時代だったからね。
 ところで、今日は息子の命日だ。あの年は桜が満開だったが、今年はすっかり散ってしまった。青春時代の真ん中で死んでしまった彼のことを思い出すのはつらいので、普段は考えないようにしているが、せめて命日くらいは一日思い出してあげようと思う。



御所
2002年04月11日(木)

 買い物に京都へ出かけた。ちょうど京都御所が一般開放しているというので、ついでに見にいった。人出が多くて、ゆっくりと見ることはできなかったのだけれど、ずいぶん丁寧に保存してあるので、ちょっと驚いた。
 私の父の薀蓄によると、東京遷都の勅語もないし、法律に東京が首都であるとの記載もないので、厳密にいうと今でも京都が首都なのだそうだ。それどころか、明治天皇は、「東夷を平らげに東征してくるので、都をしっかり守っているように」という勅語を出されているのだそうで、それで京都の人々は、いつか天皇が御所に帰ってくるのだと信じてお守りしているのだとか。親父はしばしばいいかげんなことを言ったので、真偽は定かでないが、ありそうな話ではある。
 紫宸殿は巨大な建物だ。桧皮葺の屋根の曲線が優美で、きっと江戸時代の建物だと思う。建物にもその歴史にも詳しくないが、三井寺とか岡山の玉島円通寺だとかいった江戸時代のお寺の屋根と同じ感じだから、きっとその時代のものだと思うだけだ。ほんとうは違うかもしれない。それにしても、寺院風の建て方ではある。回廊に囲まれているところなど、大阪の四天王寺そっくりだ。京都の宮大工が作ったのだから、自然、お寺みたいになったんだろう。神社よりはお寺にはるかに似ている。
 縁側がとても高いところに作られていた。中世の物語に、縁側の上を歩く貴人に下からすがりつく場面があったように思うのだが、あんなに高くては誰も背が届かないから、あれは虚構なんだなと思った。物語の作者は貴族じゃないから、御所の中まで入ったことはないはずで、想像で書いたんだ、きっと。と思っていたら、紫宸殿のすぐ裏手にある清涼殿の縁側は低い。これだとじゅうぶんにすがりつけそうだ。そう言えば、映画『陰陽師』に、清涼殿のあたりにそっくりな廊下が出てきていたっけ。監督は、御所を見ようと思えば見ることができるからね。
 とにかく広大な建物だ。人波に押されて見るのでなければ、半日はじゅうぶんかかりそうだ。それに、保存状態がいいから、ちょっと手を加えれば住めると思う。私の親父の薀蓄とは別に、天皇を京都に移す意見が実際にあるのだそうだが、警備上の難点があるという。そうなのかなあ、これだけ広ければ、最新技術を使えば、警備は簡単だと思うのだが。堀に囲まれた城の中のほうが、それは安全かもしれないが、攻める側からいえば、飛行機だってロケット砲だってあるしね、いまどきは。

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