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スレッドNo.901

演劇的思考    野田俊作

演劇的思考
2002年04月30日(火)

 今日で阿蘇のサイコドラマ合宿は最終日だ。パートナーさんはもの真似がうまくて、ある、とても特徴的な動きがある人の真似をしてみせた。それを別の人が、「口のあたりが似ていない」というようなことを言った。パートナーさんは、「そんなことはどうでもよくて、私が『彼女になっている』ということが大事なの」と言う。
 私はもの真似は上手じゃない。けれど、いつも心の中にアドラーとかエリクソンとかいう天才治療者がいて、その人たちの真似をして生きているなと思う。真似るというのは、形を真似るというのではなくて、まず「その人になる」という心がまえがあって、その結果、ある人はそれを所作にあらわすし、ある人は「その人」になって思考する。たとえば歌舞伎の女形とか、宝塚の男役とかは、形を分析してそれを真似ているわけではなく、まず異性の心になってみて、そこから流れ出す動きをしているのだと思う。
 他人のサイコドラマを見て学べる人と学べない人がいる。学べる人は、出演者に「なる」ことができる人で、学べない人は頭で「ああ、こういう場合にはこうすればいいんだ」と分析的に理解する人だ。そうして部品を無数に集めても、全体はできてこない。まず全体があって、それから個々の部品を整えるのだ。まず「あんな人になりたい」と、人全体にあこがれ、心がその人になりきらないといけない。
 アドラーが、「自然界は原因論で動き、人間界は目的論で動く」というような意味のことを言った。論理的思考は自然界を相手にするときに適している。しかし、人間関係ではうまく働かない。人間関係には演劇的思考が必要だと思っている。人生とはドラマであり、私は私のドラマの主役であり、他者は私の相手役だ。そこで働く原理は、論理的法則ではなく演劇的法則だ。人間関係を論理的に分析しても、いい芝居はできない。先輩から役を学ぶときも、所作を論理的に分析して真似ようとしてもだめだ。その先輩その人になりきらないと学べないと思う。そういえば、心理療法もそうだな。先輩その人になりきるしか、学びようがない部分がある。



演劇的思考(2)
2002年05月01日(水)

 頭でわかったことがただちに実行できるものでないことは、心理療法家でなくても、誰でも知っている。知的な理解はそのまま行動変容にはつながらない。「わかっちゃいるけどやめられない」ものなんだ。心理療法家は、しかし、「そりゃできないよね」で済ませるわけにはいかない。
 これまでに方略は2つあったように思う。行動療法家たちは、理解や洞察を問題にせず、訓練でもって行動変容を起こそうとした。それもたしかにいいアイデアではあるが、人間にはせっかく認知機能があるのだから、それを使ったほうが効率的なんじゃないかという治療者もいて、そういう人たちは、知的理解とは違った種類の「洞察」が行動変容を起こすと主張してきた。私もその意見に賛成で、訓練だけに頼るより、多くの場合、短い期間で行動変容を起こせるように思うし、適用範囲も広いように思う。
 では、知的理解とは違う洞察とはどんなものかということになる。それを私は、演劇的思考にもとづくものだといっている。論理的思考にもとづくのではなく、演劇的思考にもとづくのだ。理解に対して「洞察」ということもできるし「納得」ということもできる。演劇的思考という代わりに、文学的といってもいいし、逸話的といってもいいし、寓話的といってもいいし、ひょっとしたら神話的といってもいいかもしれない。しかし、神話的というと、ユング派みたいに、万人に共通の象徴体系があるかのように思ってしまうので、その言い方はやめたほうがいいと思う。ユング派は、集合無意識という、立証も反証もできない概念を前提にしているが、そんなものを認めてしまったら、すべてが非科学的になってしまう。もっとも、彼らは非科学的であることになにも問題は感じないだろう。しかし、私のほうは、臨床心理学は科学的であるべきだと思っているので、そういう概念を認めるわけにはいかない。そうなると、物語の筋立てや、登場人物や、大道具・小道具に、人類共通の意味体系があるとは考えることができなくなる。
 しかし、知的理解の背景になっている論理的思考とは違った、ある思考法則があるのは確かで、しかもその文法構造は万人にほぼ共通だと思う。もっとも、正統精神医学のように、「精神病者は了解不能だ」というように、文法構造が違っていると主張する流派もあるが、心理療法家としては、健常人と精神病者との相違点よりも共通点に注目しないと、治療の設計ができなくなる。だから、すべての人に共通な思考法則を探すことになる。それが、演劇的な思考、あるいは「ごっこ遊び」の思考だと思うのだ。
 これについては、まだまだつっこみが足りない。単に思いつきを書いているだけだ。数年すると、これについてちゃんとした論文が書けるだろう。いつもそんな風に、思いつきを温めていて、あるものは消えてゆくが、あるものは熟成して形になる。

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