大学院 野田俊作
大学院
2002年05月17日(金)
東京にいる。大学院に行きたいということについてのカウンセリングを2件続けてした。両方とも40代の男性で、働きながら学びたいと言う。がんばってほしい。
私は大学院にも行かなかったし、博士号も持っていない。その昔、学生紛争時代に医学生をしていた。学生集会というものが週に1回だか2回だかあって、まったく申し分のない正義にもとづいて、諸問題を話し合っていた。そこで、大学院・博士号ボイコットについて、演説をブッたことがある。別に私が演説をブたなくても、当時の全国的流行だったから、所詮はそうなったのだが、ともあれ私は、ただ賛成票を入れるだけじゃなくて、積極的に過激な演説をブッた。
その後、同期生の間に内紛がおこり、政治的にラディカルな半数は「非入局ローテーション」というもので、どこの教室にも所属せずに2年間卒後研修を受け、穏健な半数はどこかの教室に入局した。私はというと、そういう内部対立のドロドロに嫌気がさして、医学部と大学病院を抜け出して、ひとり、大阪大学微生物病研究所付属病院で卒後研修を受けることにした。みんなバラバラになったのだが、誰ひとり大学院には行かなかった。
5年目に、私は医学部と大学病院に復帰して、精神科医になった。そのころには紛争は事実上終焉していた。それから数年すると、同期生でも博士号をもらう人が出てきた。時代は変わったんだ。でも、私は、むかし演説したことがあるのを気にしていて、本気で博士論文にとりかかることはしなかった。
博士号がなくても、実際上はほとんど困ることはない。それでも、これまで一度だけ人に迷惑をかけたことがある。大学の非常勤講師になるとき、私が博士号を持っていないので、教授会が困ったのだ。結局、何報か英文や独文の論文があることを口実にして、非常勤講師にしてくれた。死んだ父も博士号を持っていなかった。彼はよく、「博士号はもらっておけ。そうしないと、人に迷惑をかける」と言っていた。ほんとうだね。
今のような時代に学生をしていたら、当然大学院へ行ったと思うし、当然博士号ももらったと思う。逆に言うと、博士号を持たないでいることは、あの時代に学生をしたことの証しなんだ。そう思うと、とても嬉しい。60年代後半と70年代前半に青春時代を送れたことを、とても誇らしく思っている。その証拠が、博士号を持っていないことなんだ。と言っても、今の若い人にはなんのことだかわからないと思うけれど。
桐生
2002年05月18日(土)
群馬県桐生市にいる。関東平野がここで尽きて、山地に入る。渡良瀬川の支流、桐生川という渓谷に沿って山に入り、しばらく走ったところに『清風園』という旅館がある。そこに泊まっている。温泉ではないが、川の水を沸かした風呂が24時間使える。料理はとびきりおいしい。畳廊下の造りも美しい。裏の川ではヤマメが釣れるという。
群馬県に来るのは、生まれてはじめてだ。東京から新潟へ行くのに通り過ぎたことはある。しかし、降りたことはない。桐生は美しい町だ。着倒れだという。むかしは絹織物が盛んで、経済的にも裕福だったし、文化程度も高かったが、今は過疎化しつつあるという。
政府の経済政策は、根底的に間違っている。地方都市が元気でないと、この国はいつか滅びるよ。グローバリゼーションだとかいって、地域産業を滅ぼしてしまったのでは、けっきょく自分で自分の首を締めることになると思う。こういう美しい地方都市に来るたびにそう思う。
ともあれ、何人かの友人と、のんびりした夜をすごしている。明日は足利で仕事だ。というか、その仕事のために、今夜は桐生に泊まっているのだが。
足利
2002年05月19日(日)
今日は栃木県足利市にいた。桐生市の隣町だ。桐生に近い足利市内に、『小俣幼児保育団』というものがあって、そこへ行ってきた。古い友人の大川真氏が園長をしている保育園だ。広大な敷地の中で、子どもたちを「放し飼い」にしている。山麓に建てられているので、子どもたちは森の中を自由に走り回る。しかし、迷子は出ないそうだ。そもそも、保育士さんたちが子どもを追いかけまわなさい。呼べばちゃんと来るのだそうだ。アドラー心理学の成果だな。
大川一族は土地の素封家(「そほうか」:社会的地位や領土を持たない民間の大金持ちや財産家)で、保育園は大川氏の旧宅を利用して建てられている。その一部に、嘉永年間だかに建てられた作業小屋があって、そこを『アルフレッド・アドラー・ルーム』なる研修室にリフォームしたのを見にいったのだ。実にうまくリフォームしてあって、感心した。ちなみに、大川氏は、古くからのアドレリアンだし、足利は、日本のアドラー心理学の初期に、アドラー心理学保育のメッカだった土地だ。
渋谷
2002年05月20日(月)
渋谷へ映画を見にいった。張芸謀(チャン・イーモウ)監督『活着huózhe(活きる)』だ。東京での上映館は、渋谷に一軒あるだけだ。なんということだろう、こんないい映画を。
話は1940年代から1960年代に及ぶ。ある一家が時代の波に翻弄されながらも、いかにも中国人らしく「塞翁が馬」式に生きていく物語だ。ものすごい悲劇を、監督は淡々と、いや、それどころか、ユーモラスに描いていく。画面作りがすごい。こってりと油の乗った画像だ。
主人公の男性・徐福貴の生き方は、日本人にはちょっと共感しにくい。国民党の時代には国民党の言いなり、共産軍につかまれば共産軍の言いなり、文革になれば紅衛兵の言いなり、ちっとも節操がない。しかし、彼のことを節操がないと思う私が「日本気(リーベンチー)」なのであって、平和で恵まれた国で、ボケたことを言っているだけなのだと思う。福貴の変わり身は、3千年にわたって戦乱の中で生き延びた中国人の知恵なんだ。
妻役の鞏俐(コン・リー)がすばらしい。『始皇帝暗殺』で趙姫役を演じていて、そのときはじめて見たのだが、ものすごい女優だ。中国は広いんだね、こんなすごい女優がいるなんて。帰りに、彼女が出ている映画のDVDを何枚か、衝動買いしてしまった。
3人のおしゃべり女と一緒に行ったのだが、映画の後、夕食をした。その間中、彼女たちはほとんど喋らなかった。かしまし娘を一時間以上も黙らせるほどの映画なんだ。5つ☆。