シカゴ 野田俊作
シカゴ
2002年05月21日(火)
火曜日の朝11時の飛行機で成田空港を発って、火曜日の朝8時半にシカゴに着いた。タイムトラベルみたいだけれど、日付変更線を越えるのでこうなるのだ。11時間半も乗っている。シカゴへ行くと言うと、何人かの人が「ビジネスクラスでしょ」と言ったが、なんのなんの、貧乏人はエコノミークラスだ。宇宙飛行士みたいに、小さな椅子に縛りつけられて半日、なるべく寝ることにして、つらさを忘れるようにした。
空港に着いてから、市内へのアクセスがわからない。留学してきたときは、西も東もわからないので、タクシーで市内まで出た。しかし、それでは高くつく。空港は市内からひどく遠いのだ。案内を見て回るが、とても不親切だ。結局、空港内のモノレールに乗って、別のビルへ行き、そこからバスなり電車なりに乗るのだとわかった。市内行きのバスは主なホテルに止まってくれるのだが、私が泊まるのは、どう考えても「主な」ホテルではない。黒人街にほど近い安宿だ。そこで、危険だという噂のある地下鉄に乗ることにした。これだと、1ドル50セントでダウンタウンまで行ける。ところが、切符の買い方がわからない。黒人の駅員さんに教えてもらってやっと買えたが、次は改札の通り方がわからない。これも駅員さんに助けてもらった。お登りさん丸出しだ。20年前、私がいたときとは、すっかりシステムが変わっている。むかしはトークンというコインで乗ったのだが、今はカードだ。そのカードの使い方が日本と違っている。ともあれ、45分で市内に着く。駅からホテルまで、大きなスーツケースを転がしながら歩いた。
11時半頃ホテルに着いたが、部屋に入れてくれた。予想どおりの安宿だ。ま、いいさ、明日からは超高級ホテルだ。荷物を置いて市街へ出かける。ダウンタウンをブラブラしてみたが、留学時代にもここへはあまり来なかったので、地理がわからない。1時ごろ、ダウンタウン探検はあきらめて、むかし住んでいたあたりへ向かうバスに乗った。北2800番地のあたりだ。シカゴは完全な碁盤目都市で、巨大な京都のような構造だ。市の中心部に東西ゼロ番地の道と南北ゼロ番地の道が交わっていて、そこから北何番地とか東何番地とか数える。だから、北2800番地・西500番地などというと、どのあたりか誰でもわかる。そこいらで昼食を食べたり、買い物をしたり(ツォンカパの『ラムリム・チェンモ』の英訳を手に入れて機嫌がいい)、リンカーン動物園へ遊びに行ったりした。その動物園には、むかし、箕面(みのお)の猿がたくさんいたのだが、いなくなっていた。どうしたのだろう。
明日は、北米アドラー心理学会の役員会を見学しようと思っていたが、つまらないのだそうで、やめにして遊びに行く。友人がひとり来るので、朝待ち合わせをして、夕方までブラブラするつもりだ。明日からは総会会場の高級ホテルに引越しする。肩の凝ることだ。
シカゴ(2)
2002年05月22日(水)
朝から、日本アドラー心理学会の役員会のチャットに参加した。シカゴ市内のアクセスポイントに電話をかければいいのだから、1時間もチャットに参加しても、たいした額にならない。便利な時代になったものだ。
10時に、オーストラリア人の友人ダイアン・リマーと、ダウンタウンで待ち合わせて、午後まで遊んでいた。なにはともあれミシガン通りだねと、銀座風の繁華街へ連れて行った。ブランド物の店ばかり並んでいて私にはもうひとつピンと来ない界隈ないのだが、シカゴの人が誇りにしている場所だから、ひとまずは行っておかなくてはね。その一角に、「ウォーター・タワー」という古い塔があって、なんだか由緒のあるものだそうな(いい加減な紹介でごめんね)。そのまた近くに、ジョン・ハンコック・ビルというものがあって角が2本生えたのっぽビルだ。最上階に展望台があるので、登った。シカゴにはじめてくる人は、ここへ連れて行くと、市内が一望できて、地理の説明に便利だ。東京タワーや通天閣みたいなものだな。
シカゴ(3)
2002年05月23日(木)
ようやく北米アドラー心理学会の総会がはじまった。今日は一日、オスカー・クリステンセンとウィリアム・ニコルという教育心理学者の(オスカーは旧知だが、ビル(ウィリアム)は初対面だ)『アドラー心理学ブリーフ・カウンセリング:学校関連の問題への応用』というセッションに出た。全体として11のセッションが並行しておこなわれていて、そのうち5つが丸一日、3つが朝だけ、3つが午後だけだ。これに出ると、他のすべてをあきらめないといけない。
ワークショップ形式で、講義と実習の繰り返しだ。基礎的な理論や方法を講義して、次にそれがカウンセリングの中でどう使われるかを、聴衆の誰かに出てもらってオープン・カウンセリングをしたり、あるいは参加者が組になってウンセリングの演習をしたりすることで学ぶ。オープン・カウンセリングが2件、演習が1回しかできなかったが、なかなか有益だった。
演習のほうは、3人の男の子を持つ両親に対して、2人のカウンセラーが相談にのるという設定なのだが、私は「英語が不自由だから見学に回る」と言ったら、「そんなことを言わないで、子どもの役をなさいな」と、12歳の男の子の役をした。下に10歳と4歳の弟がいて、もともと消極的な性格だったのが、最近学校へ行かなくなった、という子どもの役だ。ほとんど喋らなくてよかったので楽チンだったが、ルイス・イングバーとかいうラテン系の女性のカウンセラーがとてもうまくて、感心してしまった。テクニックはまあ平均なんだけれど、雰囲気というか人間性というか、とてもカウンセラーに向いている人だ。クリステンセンの生徒なんだそうで、師匠によると「特にエクセレントな生徒だ」ということだ。そうだろうね。
7時間もの英語の講義を聞くのは、とても消耗する仕事だ。アメリカ人のいうところの「エグゾースティング」な感じだ。脳のATP(活性物質)がすっかり枯れてしまう。最後のほうは、どうでもよくなって、あまり聞いていなかった。6時間が限界だな。ニコルのほうがものすごい早口で、しかもコロキアルな言い回しをよくするので、とても疲れた。
昼食に、隣のホテルまで出かけてイタリア料理を食べたのだが、これがすごい量だったので、夕食はパスした。アメリカの食事の量はすごい。だから肥満が問題になるんだよ。日本には絶対にいないような肥満体が、ごく普通にいる。
午後7時から、私の先生のひとりであるハロルド・モザクの講演があるので出かけたが、脳がすっかりしびれていて、あまりしっかり聞き取れていないかもしれない。学問的な内容ではなくて、学会運営に関する内容だったのだが、どこの国の学会も同じようなことに悩んでいることがわかって、安心してしまった。その後、レセプションがあったが、英会話がかなりかなわなくなっているので、ちょっとだけ出て、9時には部屋に帰って、これを書いている。
シカゴ(4)
2002年05月24日(金)
北米アドラー心理学会は2日目だが、ものすごいスケジュールだ。
07:30-08:00 初参加者の朝食会
08:10-10:00 全体講演:グラッサーとモザクの対話
10:10-11:10 7つの部屋に分かれて発表
11:20-12:00 昼食会
12:00-13:20 グラッサーの講演
13:30-15:00 7つの部屋に分かれて発表
15:10-16:40 7つの部屋に分かれて発表
16:50-18:00 分科会
19:00-22:00 バンケットとオークション
このように、10分刻みでびっしり詰まっている。事務局の苦労は大変だと思う。参加者は、ただ会場から会場へ走り回ればいいだけのことなのだが、事務局がここまでアレンジするのも、想像するだけでゾッとするほど面倒だったろうと思うし、当日のお世話も大変だろう。終わったら、ドッと疲れが出て、寝込むんじゃないかな。
学術講演はともかくとして、遊びのほうの話を。私のユダヤ・ママ、さすがに私のママで、「分科会など出ても仕方がないから、5時からバーよ」と、きっぱりと命令口調で言う。そこでバーに行くと、師匠のバーナード・シャルマンやその友人のレオ・ゴールドも来ていて(反主流派なので、分科会など出なくてもいいのだろう)、飲みながら「スピリチュアリティ」の話になった。意見はまったく一致しない。ドロシー・ママは最近トランスパーソナル心理学にカブれていて、ひたすらそちらの方向から話をする。シャルマンは「存在という言葉の意味は」だのといったドイツ哲学的切り口で迫ってくる。ゴールドは「神秘主義に走っても仕方がない」と、明日『子ども時代の思い出とサイコドラマを通じてスピリチュアリティに迫る』だとかいう演題を発表するくせに、無責任なことを言う。6時過ぎまで、あれこれそういった話をしていた。
7時からのバンケットとオークションは、とてもおもしろかった。料理のほうは、なにしろ典型的なアメリカ料理なので評価に値しないが、西洋人の宴会というのもいいものだ。ママの命令で、シャルマンなどと一緒に座ることになった。困ったことに、宗教学者のエリック・マンサガーが来ていて、さっそくドロシー・ママと大激論になった。エリックはカトリック的にものを考えるので、トラパかぶれのドロシーとは、意見がことごとく対立する。こういう食卓の話題の好きな人ばかり集まっていたわけではなく、エリックの奥さんなどは、すっかりしらけていたように思う。そういう話をしている間に、古本だのその他、さまざまのものをオークションする。口調がとても面白くて、大笑いしてしまった。
隣のテーブルにジェーン・ネルセンとその一党がいる。西海岸のおばさま方は、とても仲良しで、いつもツルんで一緒にいる。ものすごい迫力だ。その周りに無数の若い人たちがいる。日本の学会もそうだが、アメリカの学会も女性パワーがものすごい。その中のひとつで、たぶんもっとも強力なのが、ネルセン一派だ。30代から60代までのおばさんの喋り声でいっぱいの懇親会だった。国際学会は老人会みたいなのだが、北米アドラー心理学会は若い人が多いので、これからのアドラー心理学の発展が期待できる。方向は、私の師匠たちのものとは違ってくるかもしれないが、それはそれでいいだろう。アドラー心理学も進化するんだ。
シカゴ(5)
2002年05月25日(土)
最終日だ。朝8時半から午後5時までギッシリと詰まったスケジュールをこなして、5時から何人かの人とバーへ行って、やがてその人たちとバイバイして、6時からユダヤ・ママのドロシーと2人で食事に行った。2人きりになったのは、このときがはじめてだ。予想どおり、パートナーさんとどんな風かとか、彼女の子どもたちとどんな風にやっているかとか、自分の子どもたちとはどうかとか、別れた妻とはどうかとか、そういうたぐいのことをたくさん聞いてくる。一方、彼女の子どもたちのことや、孫のことや、お嫁さんたちのことや、亡くなったパートナーさんのことや、そういうこともたくさん話してくれる。
問題は3つほどある。まず、英語だ。私はそういう話をするために使う英語をよく知らない。私の英語は学術論文に特化していて、「以下のごとく仮定されるべきであるが」とか「以下のように考えることをもしあなたが許すならば、私はあえて主張するが」というような言い方だって、会話の中でしかねない。20年前に、学校で習った英語プラス学術論文英語の知識だけでシカゴへ来て、つまり、いわゆる英会話を習ったことがないままで来て、アドラー研究所の英語の入学試験(当時は口頭試問だけだった)にパスしてしまった。その後、日常生活の中で上手になるかなと思っていたら、師匠のシャルマンが、私と同じような文語体で喋るんだ。それで私も文語体で喋って、ちっとも不自由じゃなかった。患者さんや看護師さんたちも、シャルマンに慣れていたので、私が文語体で喋ることにはちっともびっくりしなかった。患者さんや看護師さんが言うことは、当時はとてもよくわかった。毎日聞いておればわかるようになるさ。今だって、口よりは耳のほうがよくて、相手の言うことはほとんどわかる。ただ、自分のことをうまく言えない。英語は出てくるかもしれないが、ほんとうに言いたいことと違うんだ。たとえば、「娘には結婚してほしいと思うし、いい男性が見つかればいいなと思うけれど、一方では、男性に縛られてしまうと、彼女のほんとうにしたいことができなくなるかもしれないと思うんだよ。日本人の男性は、まだまだ女性を縛る人が多いんでね。だから、彼女にまかせるしかないと思うんだ」というのを、英語で言えないのだ。こういうことは論文に書かないのでね。「仏教徒は否定的な言語で表現することに慣れているので、『本当の自己を実現する』とか『究極の存在を体験する』とかいったことに懐疑的なのだ」というようなことなら、すぐに英語で言えるのだが。
第2の問題は、文化差だ。家族生活のこととか、お金の稼ぎ方とか、学校制度のこととかは、日本とアメリカではずいぶん違っている。「日本には健康保険があるんでしょ。あなたのカウンセリングは何パーセント保険が支払ってくれるの?」「全額患者負担だよ」「どうして?」と、ここまではいいんだ。「保険はある種の病気にしか支払われない。たとえば、子どもが学校へ行かないで困っている親には支払われない。もしその親たちを自費でカウンセリングすると、分裂病(統合失調症)の患者に対する保険の支払いが難しくなる。ある人には自費である人には保険という経営の仕方を、国は認めないんだ」というような話になると、英語の問題もあるし、制度の細部を私が理解していないことあるし、話そのものがわれわれの間の本質的な問題ではないこともあるし、とてもやっかいに感じるのだ。
第3の問題は、私が嘘をつかない決心をしていることだ(黙秘はするけれどね)。彼女は、とんでもないことを聞いてくる。アメリカ人の、あるいはユダヤ系アメリカ人のセンスでは、そうオフェンシブじゃないのかもしれないが、私は当惑してしまうのだ。性生活のこととか、そういうたぐいのことね。いい加減な嘘をついてごまかすのはいやだし、かといって本当のことをあからさまに言うのもはばかられるし、単語もよく知らないし、どういう言い方をするといいのかわからないし、とにかく困ってしまうのだ。
まあ、そんな風で2時間ほど話をして、「おお、マイ・ディア。あなたのことが大好きよ。明日もあなたとお話ができればどんなにいいか。いくらでもお話しすることはあるわ。一日中だって、一月だって、一年だって、お話し続けることができると思うわ。帰ってしまうのね。どんなにさびしいかわかる。また来るのよ。ぜったいに来るのよ」と、駐車場でたくさんたくさん言われて、たくさんたくさんハグして、たくさんたくさんキスして、ようやく解放された。彼女のことは好きだが、ママには疲れる。