ホテルですること 野田俊作
ホテルですること
2002年06月08日(土)
金沢に来ている。アドラー心理学の講座をしたのだが、なんと2人も北海道から参加している人がいる。ありがたいことだ。
現地の世話役さんが駅前のAPAホテルをとってくれた。ここは大浴場が売り物だ。ところが、風呂はあまり好きでない。毎日入るが、ほんとうにカラスの行水だし、今の季節になると湯舟に入らず、シャワーを浴びて終わりだ。大浴場へは行ってみたが、ちょっと入ってすぐに出てきた。暑くてたまらないのだ。値打ちのないことだ。
ホテルにいるときは、ノート型パソコンでDVDを見ることが多い。今回は、ジョージ・パル監督の『タイム・マシン』と、ブリジット・バルドー主演の『殿方ご免遊ばせ』をもってきた。両方ともむかしの映画で、オジさん仲間から借りた。仲間内でDVDの貸し借りをしている。『タイム・マシン』は、近く新しいバージョンが封切られるようだが、むかしの映画もなかなかよい味わいだった。BBの方は、半分ほど見たところで眠くなってやめた。おバカなパリジェンヌは、次回見ることにしよう。
温泉帰り
2002年06月09日(日)
私が乗った金沢から大阪への特急列車は、前半分が富山から、後半分が和倉温泉からやってきて、金沢駅で連結する。私の席は、温泉から来たほうだった。まわりは熟年の男女が多く、温泉旅行の余韻で、金沢から大阪まで、少しも休まず大きな声で話している。参ったね。この次から、温泉から来るほうの車両は避けて予約しよう。
もうひとつ事件があった。乗ったとき、隣の席が男性で、連れの女性が違う席にいた。「かわっていただけませんか」と言うので、喜んでかわってあげた。しかし、この男女、どうも怪しい。男性は50代かなあ、女性は30代だと思う。どう見ても夫婦には見えない。しかもかなり親しい。ふむ、まあいいさ。
オークション
2002年06月10日(月)
今年の日本アドラー心理学会の総会でオークションをしてはどうかと勝手に思い立って、出せそうなものを探している。事務所を探してみたら、国際学会でもらった記念品とか、欧米の有名な先生のサイン入りの本とか、アドラーの著書の大昔の翻訳本(これは高いぞ)が出てきた。アドラーの原著で彼の生前に発行されたものも数冊持っているが、これはちょっと売れない。
自宅も探したら、なんと、シカゴに留学していた時代に英語で書いた随想のようなものや、留学を終えて帰るときの集会で発表した論文が出てきた。古道具屋で20ドルで手に入れたレミントンのタイプライターで書いたオリジナルだ。世界に一部しかない。売ってはいけないような気もする。しかし、コピーをとって、オリジナルを売ってしまうという手もあるな。これって、かなり高く売れるかもしれないし、逆に誰も買わないかもしれない。
頼藤和寛くんと共著した論文の別刷りも出てきた。こういうものも値がつくかもしれない。あるいは、私の処女論文の別刷りもある。『クラスはよみがえる』という本の原稿も出てきたな。世の中には、こういうものをほしがる人もいるんじゃないか。
なぜオークションをするかというと、学会は社団法人化のために資金が必要だからだ。2千万円くらいいるんじゃないかと思っている。その一部にでもなればと思うのだ。現金を寄付するだけの財力がないので、せめてオークションの商品でも寄付しようと思っている。探せば、まだまだめずらしいものが出てきそうな気がする。仲間にも呼びかけようと思っている。
吉田健一
2002年06月11日(火)
映画は見ないだの小説は読まないだのと言っていたくせに、最近はよく映画を見ているし、そのうえ小説まで読みはじめた。きっかけは、金沢の駅前に古書店があって、そこで新潮日本文学アルバム『吉田健一』という写真入の伝記を手に入れたことだ。大阪への帰りにそれを読んでいて、無性に彼の小説が読みたくなった。
昭和45年に『瓦礫の中』という長編を書いていて、これが評論で一家を成していた彼の小説としての処女作なのだが、新聞の書評を見て買って、一読して気に入った。大学の5回生のときだ。それ以来、彼の小説が出るたびに買ったので、初版本でそろえていた。離婚するときに元妻の家においてきたので、今は古本屋へ行ってしまったかもしれない。その後『吉田健一集成』(新潮社)というものが出て、今はそれで持っている。
さしあたって『東京の昔』という、まだ読んでいない作品(かあるいは、読みはじめて挫折している作品であるかもしれない)から読みはじめた。主人公は、例によって職業不明の読書人で、脇役に、勘さんという自転車屋さんやら、古木君という帝大仏文科の学生やら、川本さんという富豪やら、男性ばかり、しかも呑平ばかりが出てきて、酒を呑んでは話し込む。この話がとほうもなくご馳走で、ただそれだけの小説だ。彼の作品はすべてそんな風だ。
その中に、次のような一節があった。勘さんが自転車のブレーキを工夫して、新しい仕組みを発明した。それを主人公が川本さんに、製造して売る資金をなんとかしてくれないか相談する。その時点では勘さんと川本さんは面識がない。勘さんを川本さんに会いに行かせたところ、帰ってきた勘さんが次のようなことを言う。
「その川本さんの考へなんだ、」と勘さんが言つた。「あのブレーキで少し大きく金儲けがしたければそれも実際に出来るだらうけれどね。あれは呑み込みが早い人だよ。それとも前から自転車のことは知ってゐたのかね。川本さんに設計図を見せて説明したら直ぐに解ってそれでまだ色々自転車つていふのは改良の余地があるんぢやないかつて、その研究を援助してくれてもいいし、もしブレーキだけ違つてゐてもそれで一つ自動車の工場を作ることを考へて見ないかつて。そこが話が食ひ違つてゐる点なんだよ」それならばこつちにも解ることなので、
「そんな大袈裟なことぢやないつていふのか、」と言つた。
「さうなんだ。あの川本さんは金持らしいから工場を一つ作る位出来るかも知れないよ。併しそんなことがしたくてあのブレーキをこつちが考へたんじやないんだからね」。勘さんがさう言つてゐる甚兵衛の土間には夕日が丁度差してゐた。それは人の話が解り易くなる時刻で勘さんの話はそのまま頭に入つた。
「もつと具体的には貴方が乗る自転車にあのブレーキが付いてゐればよくて、ただそれだけぢや勿体ないやうな気がするつていふことなんだらう。」とこつちは言つた。
「さう、だから特許を取つて広めるのはいい。併し工場なんて持つて御覧よ。又そこで作つた自転車が売れるやうになつたらどうするんだ。それから人を使ふのも構はない。そのうちに自転車の商売が駄目になつて自動車の修理工にでもなつたらそこの工場を自分でやつて行きたいと思ふかも知れない。併しそれはその時の話だよ。今は自転車で結構やつて行けるんだからね。そしてこつちはこの町に生れて育つてそのもとの場所に今でも住んでゐるんだ。そこへ自転車の工場でも持つて金持になつてさ、下手をすると、」と勘さんは何かそれが恐しいことのやうに言つた。「自動車なんか乗り廻す身分になつたらどうするんだ。それで今の家や店を持つてゐても仕方がなくなつて他所に越すなんていやなこつた」。
この小説は読んでいないはずだが、同じような発想は彼の小説のどれにでも出てくるので、影響を受けたのかもしれない。金持ちになれない呪いがかかっちゃったんだな。