空想と現実 野田俊作
秘境
2002年07月18日(木)
奈良県南部の大峰山系は、山伏の行場である山上ヶ岳や「日本百名山」に指定されてしまった弥山などを除くと、秘境といってよい環境である。最高峰でも2000メートルほどで、森林限界よりも低く尾根がブナ林なので、西洋風のアルピニズムが好きな人たちには物足りない。一方、アプローチが長い上に、尾根道が平坦でなく、日曜日に山歩きにでも行こうかという人にはちょっと険しすぎる。その結果、入る人が少なく、原始の自然がよく残されている。
山も秘境だが、沢はもっと秘境だ。無数の美しい渓谷があるが、そのなかでも、今回アプローチした十津川村旭ノ川本流は圧巻だった。両岸が数百メートルの切り立った崖の間を流れており、したがって岸がほとんどなくて、淵を泳ぐ覚悟をしないと遡行できない。滝があっても、滝つぼを泳いでとりつくか、あるいはものすごい大高巻き(脇の山に入って滝の上部に出ること)を覚悟しないといけない。
あまり大きな滝がないためか、これまでに遡行した人がほとんどいないので、高巻きをしても踏み跡がない。これはとても恐ろしいことなんだよ。崖の淵をヘツっていくと、何十メートルも下に渦巻く滝つぼが見える。あそこへ落ちるとひとたまりもない。歩いた人がいないので、足元がもろい。さいわい、誰も死なずに帰ってきたが。文字通り「イバラの道」で、あちこち傷だらけになった。
遡行困難な滝に出くわしたので、そこで引き返すことにした。帰りは、高巻きをした場所はすべて滝つぼに飛び込んで泳いだ。崖の途中から垂直の壁を、ロープを使って「懸垂下降」ということをして河原に下りたのだが、降りることはできても登ることはできない。だから泳ぐしかないのだ。激流の中を流されるのは快感なのだが、とにかく冷たい。あがったら、すぐに歩き出さないと、震えがとまらない。しばらく歩くと温まってくるが、また次の滝つぼだ。どれだけ泳いだか思い出せない。
ある滝つぼで、先に行った人たちが、逆流に巻き込まれて進めなくなり、脇の崖にへばりついたまま立ち往生してしまった。ダイビングのフィンを買い換えた話を以前に書いたが(03/25)、ザックに入るように短く切って持ってきた。捨ててしまうのもかわいそうだし、なんとか使ってやりたかったのだ。私は最後尾にいたのだが、マスクとスノーケルとフィンをつけてさっそうとレスキューに向かった。たいしたもんだね、フィンさえつければ、少々の流れなど平気だ。みんなに順番にロープを渡し、先に向こう岸に上がってひっぱった。「フィンを持っていく」というと笑っている人がいたが、持ってきてよかった。捨てられそうになったフィンの魂が、「まだまだ役に立ちますよ」とアピールしたのかもしれない。
朝6時にキャンプ地を発って、午後5時まで、たっぷり楽しんできた。帰りはもうくたくたで、腰は痛いわ太ももは痛いわで、運転が大変だった。温泉に入ると、全身の擦り傷がしみた。当分半袖シャツは着れないな。
空想と現実
2002年07月19日(金)
からだ中の筋肉が痛い。特に左の太ももが痛くて、階段を下れない。登るほうはなんとか登れるが、下るとき、左足一本で体重を支えられない。出勤のとき、いつも降りる地下鉄御堂筋線「西中島南方」駅だと長い下り階段があるので、次の「新大阪」駅まで乗った。そちらだと、エレベータやエスカレータで、階段を下らなくてすむ。帰宅時も、いつも降りる駅は陸橋があるので、別の駅から歩いた。水平に歩くのはなんとか歩ける。
冷えたためか、坐骨神経も痛いし、腰も少し痛い。椅子に座るのも立つのも気合がいる。正座はまったくできない。地面に置いたものが拾えない。和式トイレは駄目だと思う。さいわい、自宅は洋式だ。
痛みだけではない。腕と脚が擦り傷と切り傷でいっぱいだ。長袖シャツを着ないと、人々が不審に思うほどだ(笑:SMしたと思われそうだから?)。下半身は半ズボンは履かないのでいいのだがね。一緒に行った女性は、「当分、短いスカートは履けないわ」と言っていた。
「そんなことまでして沢に行くのはどうしてですか?」と、何人かの人に尋ねられた。それは、沢には「現実」があるからだ。都会は、養老孟司氏風に言うと、「人間の脳の産物」だ。「脳の産物」という点では、幻覚や妄想と同じものだ。純粋な現実ではない。しかし、沢は人間が作ったものではない。そこには、文字どおりの意味での、リアリティがある。逆に言うと、都会の暮らしにはリアリティがない。
沢から町に帰るとき、憂鬱になる。快感があって、醒めるとき憂鬱になる薬物は、中毒になる。そういうわけで、しっかりと依存症になっている。しかし、あと数年のことだろう。これだけ身体にこたえると、「この痛みもまたリアリティだ」と思っても、やはり考えてしまう。
空想と現実(2)
2002年07月20日(土)
沢は現実だと書いた。じゃあ、山はどうなのか。山はそれほど現実じゃない。なぜなら、山には道があるから。道というのは人間が作ったものだ。人間が作った道に頼らないと行けない山は、やはり脳の産物であって、なまの現実ではない。むかしは私も登山をしていた、というか、沢登りというものを知らなかった。沢登りを知ってから、登山はいくらか嘘臭い遊びになってしまった。沢登りの季節が終わると山にも行くが、それは沢に登れないための代替行為であって、山がいちばん好きなわけではない。
じゃあ、海はどうなのか。海には道はない。ないけれど、ダイビングに関していえば、ものすごい装置をつけないと潜れない。その装置は脳の産物だ。だから、ダイビングは脳の産物だ。もっとも、脳の産物だからいけないと言っているわけではない。脳の産物には脳の産物の味があって、それはそれで楽しいのだ。しかし、やはりどこかバーチャル・リアリティなのだ。ダイビングに行って、美しい珊瑚や魚を見ていると、とても楽しいのだけれど、ナマに触れあっている感じがしない。素潜りだとずいぶん自然なのだが、一瞬しかリアリティと触れあえない。沢のように、一日中その中にいるというわけにはいかない。
なぜそんなにリアリティがほしいのか。さあ、なぜなんだろうね。生きている実感があるからかな。感覚器官の外側にあるものが、人の手を経ていない「本物」だという感じ、そして、それを見ている私も「本物」だという感じ。これは、経験を共有しない人には説明できないことがらだ。
金沢に来ている。来るまでが大変だった。特急列車の2時間半、腰は痛いわお尻は痛いわ、同じ姿勢でいると痛いので、姿勢を変えようとすると、別の場所が痛い。そうしてようやく金沢に着いた。ところがなんと、金沢駅には、下りのエスカレータがない。階段は一歩ずつしか降りることができない。右足で支えて左足を下ろし、同じ段に右足を下ろし、右足で支えて左足を下ろし、の繰り返しだ。それも手すりをもっていないとできない。体裁が悪いので、一緒に降りた客が階段を下りてしまってから、一人で下りていった。老人の気持ちがよくわかって勉強になった。
講義をしている間はよかった。終了後、焼肉屋さんに連れていってもらったのだが、そこが畳の間なのだ。正座ができない。座布団を何枚も折りたたんで敷いて、馬乗りになってすごした。リアリティを感じるための税金だと思うと、高くはない。明日は大阪に帰るのだが、列車の中でまたたっぷりとリアリティを感じることができるだろう。
臨時列車
2002年07月21日(日)
金沢から大阪へ帰るのに、臨時特急『信州』というのに乗った。いつも乗る特急『サンダーバード』は、禁煙席があいていなかったのだ。予定時刻より30分以上遅れて着いた列車は、長野の山から帰る人々でいっぱいだった。ちょっと臭うぜ。汽車に乗る前に風呂に入っておけよな。いや、風呂には入ったが、同じものを着ているのかもしれない。こんな列車、とるんじゃなかったな。臭いだけじゃなくて、車両は古くて椅子は座り心地が悪いし。
山屋さん(登山家)たちを見ていて、「みんな、こんな季節に山に登るんだ。ご苦労さまなことだ」と、ヤクザな沢屋は思うのであった。だって、暑いじゃないか。山は10月からだよ。渓流釣りが禁漁になるまでは沢だぜ。沢は涼しいぜ。もっとも、沢登り人口は増えてほしくない。沢が、日本アルプスみたいに、人でいっぱいになったら大変だ。すごいエゴイズムだね。
新大阪駅で降りたら、山屋さんたちがたくさん降りてきた。荷物を見ていると、沢屋とは違うなと思う。多くの人がステッキを持っている。ステッキは沢では使い道がない。一方、ヘルメットを持っている人はいないし、ロープもガチャもの(金属製のもの。ハーケンとかカラビナとか)も、ぜったいに忘れてはいけない釣竿も、ザックの中に入っていないみたいだ。テントを持っている人が多いが、この季節には沢屋はテントを使わないで河原にゴロ寝する。だって、テントはどんなに軽くても2キロある。2キロもあれば、酒が一升もてるじゃないか。沢屋は、体重を減らしてでも、その分酒をかつぐ。一方、山屋さんたちは飲まない。飲まないだけじゃなくて、焚火もしない。沢登りで焚火をしないのなら、なんのために沢にいくのかわからない。拝火教徒なんだよ。
登山と沢登りは、ある時期に道を分かった。今でも登山家たちは岩登りの訓練に沢登りをする。しかし、沢屋は、なにかの訓練のために沢登りをしているわけではない。だから、岩登りにはこだわっていないので、先日の沢のように、泳ぎを優先するかもしれない。頂上まで行く必要はないので、いやになれば引き返すかもしれない。もし尾根まで登りつめても、山頂へいく気はなくて、向こう側の沢に下りる。ものすごくわがままなんだ。いつしか登山とはまるで違うスポーツになってしまった。登山家たちは禁欲的だと思う。沢屋は貪欲なんだ。
ともあれ、山屋さんたちは夏山に出かけるんだ。ご苦労さまなことだ。