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スレッドNo.923

移行対象    野田俊作

移行対象
2002年07月22日(月)

 パートナーさんはネコを2匹率いている。1匹はアビシニアン種、1匹はスコティッシュ・フォールド種で、どちらも血統書つきだ。名前は、アビシニアン種のほうがシャクティ、スコティッシュ・フォールド種の方がラクシュミだ。ほんとうは、メインクーン種のサラスワティもいるはずなのだが、実際にはいない。私としては、サラスワティを味方につけようと思っているのだが、パートナーさんやその家族は、2匹で十分だと言う。
 シャクティは、パートナーさんの胸部をモミモミする習性がある。母親の乳房をモミモミして、脳下垂体から乳腺刺激ホルモンを分泌させて乳汁を分泌させるという習性がネコにはあって、それが終生続くのだそうだ。そういう意味では、ネコは幼形成熟なんだ。イワナやアマゴなどと同じだね。
 最近、シャクティは、パートナーさんの胸部だけではなくて、クッションをもモミモミするようになった。フロイト派の人が見たら喜ぶだろう。移行対象(transient object)だって。移行対象というのは、幼児が母親から離れる過程で、毛布や人形を母親の代理にして愛撫することを言う。それが自立への必須のプロセスだと、フロイト派の人々は言う。しかし、シャクティが自立するなんて、考えられない。ネコの自立っていったいなんなんだ。
 要するに、人間の移行対象と、ネコのクッションをモミモミする行動とは、同じものだと言いたいのだ。事後的な説明はなんとでも言える。自立へのプロセスだという説明には、根拠がなにもない。きっと、遺伝子にこういう行動が書かれているのだろう。それは自立とはなんの関係もないのかもしれない。
 それはさておき、ネコの行動は、ほとんど遺伝子で決まっているように見える。ラクシュミにはモミモミ行動はない。シャクティはトイレの砂をうまくかけることができず、床をむなしく掻いているが、ラクシュミはちゃんと便に砂をかける。ラクシュミは立ち上がってミーアキャット風のポーズをとるが、シャクティはそういう姿勢はしない。などなど、さまざまの行動習性の違いがあるが、学習によって習得したものとは到底思えない。遺伝的なものだろう。そういうことを面白がって見ている。



喉元すぎれば
2002年07月23日(火)

 身体の痛みはほとんどよくなって、階段も下りることができるようになった。尾てい骨が痛いが、動くには支障がない。痛い間は、「もう年だから、沢も終わりかなあ。すくなくとも、滝つぼに入って冷えるってのはよくないな。水量の少ない沢にしようかな」などと、意気地のないことを考えてしまった。しかし、痛みが去っていくと、「次もたっぷり泳いでやるぞ」という気になってしまう。次回は8月中旬なのだが、泳ぎの多い沢へ行くぞと、仲間に宣言してしまった。病気だね。
 構造は接近回避葛藤で、沢の美しさという快感を与える因子(好子)と、怖さや冷たさや痛みという不快感を与える因子(嫌子)があって、まずいことに、嫌子が大きい沢ほど好子も大きい。つまり、冷たい目にあう沢は、風景が美しい。そりゃそうですよ、水量が多くて、豪快なんだ。沢登りが終わった直後は、もう好子はないのに嫌子だけが残っているので、消極的になる。ところが、痛みがなくなってくると、好子の思い出が勝って、次回も、たとえ嫌子が大きくても好子の大きい沢へ行こうと思うようになる。つまり、水量が多くて泳がなければならないが、風景の美しい沢へ行くことになる。
 このような感じかたが人間一般に普遍的だとは思わない。嫌子が大きいなら、いくら好子が大きくても、そのような状況へは行かないでおこうと思うタイプの人も確かにいる。罰感受性が高いというべきかな。そういう人は、はじめから沢などへ行かない。私などは賞感受性が高いらしくて、どんなにひどい目にあっても、快感を得たいのだ。つまり腕白なんだな。
 行動主義者風に厳密に言うと、「快感を与える因子が好子で、不快感を与える因子が嫌子」というのは不正確な表現だ。好子というのは、生体がそれを増やす方向に行動するような環境からの応答であり、嫌子というのは、生体がそれを減らす方向に行動するような環境からの応答だ、というのが正確な定義なんだと思う。
 なかには、怖いだの冷たいだの痛いだのを好むタイプの人がいる。沢屋にはめったにいないんじゃないかと思うが、登山家には多いかもしれない。そういうときには、怖いだの冷たいだの痛いは、不快感を与えるが、嫌子ではない。だって、できるだけ怖くて冷たくて痛い方向に行動するのだから、好子なんだ。普通の言葉で言うと、苦行主義者とも言えるし、マゾヒストとも言える。私はそんなに禁欲的じゃないので、後で痛くなくて美しいのがいいなと思っている。



ポートレート
2002年07月24日(水)

 私のポートレートを、日本アドラー心理学会のある講演会のポスターに使うというので、ポートレート写真が上手なスタッフに撮ってもらうことにした。このクソ暑いのに、スーツを着て出勤した。オフィスの中は光量が足りないというので、近所のレストランへ行って撮影した。もうひとりのスタッフにも一緒に行ってもらって、あれこれ雑談をしているところを撮ってもらう。以前にも、雑誌に載るので2度ほどポートレートを撮られたことがあるが、撮られるほうもなかなか難しい。どうしてもカメラを意識してしまう。夢中になれるような話だといいのだが、無理やり話をしているだけなので、心に変にゆとりがあるのだ。きっと出来はそんなによくないと思う。もう一度、スーツを着て出勤しないといけないかもしれない。

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