適性 野田俊作
選曲
2002年08月26日(月)
10月におこなわれる日本アドラー心理学会総会の余興にコーラスをしようと思っていて、曲を選んでいる。本棚を探っていたら、オーストリアの南部のケルンテン地方の民謡集やらスイスのベルン地方の民謡集が出てきた。むかし、学会などでヨーロッパへよく行っていた時代があって、そのころに買ってきたものだ。いくつか選んで編曲しようかなと思っているが、問題は歌詞だ。ドイツ語の方言なのだが、なまりがひどすぎて、標準ドイツ語からの類推ではわからない部分が多い。ま、想像で和訳するしかないな。
もうひとつ、金沢大学合唱団の秘曲をとりあげようかなと思っている。金沢大学の先生が室生犀星の詩につけて書かれた曲だ。犀星の故郷金沢にちなんだ曲なのだが、総会は富山県砺波市であるので、近くの金沢にゆかりのある曲がいいかなと思うのだ。私がむかしいた大阪大学混声合唱団と金沢大学合唱団は姉妹合唱団で、毎年合同演奏会をしていた。そのとき、合同演奏の曲目になったもので、楽譜を保存していた後輩がいて、持ってきてくれた。すこし難しいので、やさしく編曲しないといけないかもしれない。
明日からまたカウンセラー養成講座なので、なかなか時間がとれないのだが、休憩時間にでもすこしずつ編曲しよう。無伴奏混声4部に編曲するのだが、これはまったく楽だ。今週中にはすべて仕上がるだろう。
掘り出し物
2002年08月27日(火)
今日も本棚をあさって楽譜を探した。すると、カルロ・ジェスアルド・ディ・ヴェノーサのマドリガーレ集がみつかった。うわー、こんなものを持っていたんだ。むかし買ったに違いないのだが、存在を忘れていた。すごい掘り出し物だ。
ジェスアルドは16世紀の作曲家なのだが、音はきわめて現代的だ。和声が調性なくさまよっていく。そのうえに、半音階の旋律があてもなくただよう。どうたとえればよいのだろう。たえず脱皮をくりかえしていくような、扇が開くたびに模様が違うような、雲が次々とわいて色も形も違うような、独特の色彩感がある。
ジェスアルドについて、アントン・ウェーベルンが大学にいた時代、論文を書いていたと思う。ウェーベルンは、アドラーの患者だった作曲家で、まるで虫の声のような、調性も旋律もない音楽を書いた人だ。アドラーも、そういう音楽が好きだったみたいだ。もちろん、私も大好きだ。ストラヴィンスキーも、ジェスアルドの宗教音楽の編曲をしていたんじゃなかったかな。彼の後期作品もすてきだな。
ジェスアルドやウェーベルンやストラヴインスキーの後期作品を聴いていると、他の人から文句が出る。みんなが思っている音楽とは違うからね。だから、ひとりでひそかに聴く。隠れ現代音楽ファンなんだ。
ワイン
2002年08月28日(水)
パートナーさんの弟がまた帰ってきている。いつもはデパートでワインを買い込んでやってくるのだが、今回は経路がデパートのある駅を通らなかったとかで、パートナーさんに電話があって、彼女が近所の酒屋にワインを買いだしに行った。「ワイン通の弟が帰ってくるんですよぉ」と酒屋のお姉さんに事情を打ち明けて、慎重討論のうえで買ったのが、イタリアもの・アルゼンチンもの・スイスもので、弟くんの好きなボルドーは含まれていなかった。なんでも、「めったに手に入らないめずらしいもの」を集めたんだそうだ。
イタリアものはまあまあ飲めた。アルゼンチンものはひどかった。まるで漢方薬のようなブーケだし、後口もそういう風だ。スイスものは、弟くんは、「スイスのワイン。そんなもの飲むんですかぁ」と言っていた。たしかに白ワインならともかく、赤は、聞いたこともない。しかし、これは予想に反してまあまあだった。弟くんはきわめて愛想のいい人なので、この選択に不平も言わず、「ワインは、1本あけると1時間は話題になるでしょ。これがいいんですよ」と、姉をなぐさめていた。
ちなみに、今日は鍋ではなく、焼肉だった。さまざまのものを焼いたが、「豚レタス」というのがおいしかった。豚肉と大量のレタスを焼いてポン酢で食べるのだ。シンプルな料理だが、脂を吸ったレタスがきわめてかぐわしい。
適性
2002年08月29日(木)
カウンセラー養成講座で、適性のない人2人に、「あなた方は向いていないから、カウンセラーになることを断念したほうがいい」と言い渡した。この人たちは、以前にもこの講座を受けたことがあって、そのときも落第した。最初から才能ゼロだと私は知っていたが、受講させろとしつこく言うので、受けて試験に落ちれば悟るかなと思って、一度は引き受ける。1回の講座で、3~4回は実技試験を受けられるんじゃないかな。それをすべて落ちて、なお悟らない。翌年の講座も受けさせろとしつこい。ほんとうは断ってもいいのだが、ひょっとしたら反省して上手になっているかもしれないので、もう一度だけは受けてもらう。二度も落ち続ければ、自分で気がついてくれるだろうと期待しているのだが、気がつかない。仕方がないので、はっきり言ってあげる。
こういうことについては、私だって迷うんだ。その人たちに適性がないという見極めについて迷うんじゃないんだよ。それはまったく迷わない。1回目の講座のときから知っている。そうじゃなくて、夢を砕いてしまうことについて、私がそれをしてもいいのかなと迷うのだ。しかし、私が砕かなければ、その人たちは不可能な目標に向かって生き続けることになる。いつか誰かが、はっきり言ってあげないといけない。だとしたら、私が言うしかないんだ。猫の首に鈴をつける役はいやなんだけどね。
あと何人か、適性のない人がいる。しかし、一度目だから、今回は言わなくていい。言わなくても、多くの人は、自分で気がついて、再受講を申し込まないから、私は役目を果たしたことになる。だといいんだが、再受講を申し込みそうなのもいるな。そのときには、言おうかどうしようか。