お年寄りの素晴らしさを示すには?
Q0318
人生の上り坂にある娘に、お年寄りの素晴らしさを示す一発は何でしょうか?最近、年寄りを軽蔑しますね。
A0318
これも今の文化装置なんですよ。年寄りをバカにするというのも。長い話になるからイヤやなぁ。
今ちょっと急速に世界を動かしすぎなんですよ。いろんなものを技術的な改良をしすぎで、年寄りがついていけない。電気なんかでもそうです。蛍光灯があって、あそこにスイッチがある。これくらいはお年寄りもついていけるけど、エアコンはちょっとしんどいかもしれない。普通の家庭電化製品でも、急速にコンセプトが変わっていくので年寄りに対してやさしくない。その結果、お年寄りがバカに見える。人類の進歩と言うけど、僕は進歩だと思わない。これは人類の“変化”なんです。一番良くない作用は、年寄りを愚か者にしていく作用です。
こないだテレビで縄文式時代の話をしていた。縄文式時代の都市が青森県で発掘された。1500年間、同じところで同じ暮らしをしている。全然進歩がない。1500年て長い期間よ。万葉集から今1300年だもの。縄文式時代は、1500年間まったく進歩しなかった。それは野蛮だったからでない。
インドにモヘンジョダロ、ハラッパーというインダス文明がある。あれは5000年間何も進歩していない。インダス文明ができて、町ができて、町の様子は、ずっと同じように作り替えられていく。土器や石器は同じものをずっと作っていって全然変化させない。あんなところでは老人が尊敬される。何でも知っているから。今ちょうどその逆様で、物事が変わっていくのが進歩だという迷信がある。変わっていくのが進歩ではないと思う。
私の好きな哲学者でイワン・イリーチという人がいて、メキシコで主に教育関係の仕事をしていた。彼が言うには、「このごろの自動車は困る。町の鍛冶屋さんが修理できないから」。メキシコの田舎だと、自動車というのは自分たちの村の鍛冶屋さんで修理できる範囲の機械でないと困る。ジープを買ったら100年くらいは使いたい。荷車は100年くらい使える。町の鍛冶屋さんが修理していた。大戦のころだと、ジープなんか前線で軍隊がスパナやペンチがあれば修理できるように作ってあったから、やってこられた。ところが最近、特に日本車は高度なエレクトロニクス技術を使っていて、壊れるともうお手上げ。メキシコシティーまで持っていかないとどうにもならない。メキシコでもダメならアメリカまで持っていかないとどうにもならない。結局、諦めて新しいのを買わされる。日本でもそう。「具合が悪い」と言うと、「こんなん修理しないで買い換えなさい」ときっと言われる。あれは日本政府とトヨタと日産が結託した陰謀で、あんなのはウソですよ。アメリカやオーストラリアでは車検がないから、朽ち果てた車が走っている。日本では車検制度をテコにして、車を買い換えさせるようにしている。それで産業がグルグル回って、雇用もいいし景気がいいという1つのインチキがある。必要以上の過剰生産・過剰消費をせざるをえない経済のトリックがあって、僕らは文明の進歩だと思っている。家電製品で便利になったと思っている。ちっとも便利になっていない。自動車が壊れたら、隣の鍛冶屋さんへ持っていってトッテンカンと直してもらうほうが便利だと思わないですか。
僕は子どものころ、電気少年だった。友だちのラジオやステレオを修理するバイトをしていた。当時真空管式アンプで、プレート基盤はなかったから。テレビだって作れた。無線送信機なんかいくつ作ったかわからない。今のはダメ。壊れたらお手上げ。一体化プリント基板で、壊れたらダメ。私もダメ、町の電気屋さんもダメ、パナソニックや東芝へ持っていってもダメ。30年も40年も使える機械を、数年で買い換えさせるように仕向けている。メチャメチャな不便です。
昔、家にラジオが1台あって、最初は幼稚園のころに来た。それが高校出るころも動いていた。真空管式アンプで、12年間は元気に動いていた。今のはそんなに元気に動かない。2,3年したら買い換える。若い人はもっと買い換えたがっる。テレビのコマーシャルで。あれって不便。完全に騙されている。
その中で1つの副作用として、年寄りを尊敬しないということが必然的に起こってしまう。新しい機械を扱えない愚かな(?)年寄りをどんどん作り出しているから。僕らもそのうちきっとついて行けなくなる。今は辛うじてついて行っているけど、ある日家に帰ったら、手をパッとやったら電気が点くとか、指をチョンチョンとしたらお風呂が沸くとかは覚えられない。「おじいちゃんダメねえ」ときっと言われる。文明の構造そのものに由来する。ついこの間まで老人たちは賢明だった。
若いころはアホなことをしたと思う。愚かなことをしていた。友だちに悪いことをした。このごろあんなのせえへん。賢くなったと思う。年取ることは賢明になっていくこと。メチャメチャ賢くなったらもう死ぬんだろう。昔はそうだった。老人は賢明で、年寄りは何でも大事なことを知っていて、この世で知るべきことを全部知ったら死ぬということになっていた。今は年取るほど何も知らない。困ったことです。(回答・野田俊作先生)