偏頭痛 野田俊作
2002年09月08日(日)
広島のホテルで朝起きたとたんに、「やばいな」と思った。頭痛の前兆がある。若いころから血管性偏頭痛があって、発作の前に目の中に星が飛ぶ。それから約一時間すると頭痛がはじまる。このごろはそんなにひどい発作にはならない。そのまま新幹線で福岡に向かって、なんとか仕事ができた。
中学生のころ初発して、高校・大学時代はずいぶん悩まされた。大学では、内科の先生たちに面白がられて、何度も脳波を取られたりした。けれど、たいした治療はしてくれなかったな。そのころは発作が起こると、何時間も苦しんだ。頭が割れるように痛いだけでなく、吐き気がして、何度も嘔吐した。数時間、七転八倒したあと、昏々と眠って、目が覚めると軽快しているのが普通だったが、ときにはそれでも治らず、数日間にわたって苦しむこともあった。薬はあまり効かなかった。大学を卒業した後、自律訓練という一種の瞑想法を習って、それから次第に軽快した。30歳台に、本格的に瞑想をするようになって、ずいぶん軽くなった。しかし、今でも年に2~3度は小さな発作がある。
夜になって、頭痛はほとんどなくなったが、激しい肩こりが残っている。福岡にいるとき、何人もの人がマッサージをしてくれたので、ずいぶん楽になったのだが、それでも完全には治っていない。ふだんあまり肩はこらないので、たまに肩こりするとつらい。まあ、明日には治っているだろう。
マッサージ
2002年09月09日(月)
今日はパートナーさんは休日なので、午前中にマッサージしてもらった。それでも肩と背中が痛いので、仕事からの帰りにマッサージ屋さんへ寄った。マッサージ屋さんといっても、床屋さんみたいに何人も並んで椅子に座って、顔をパットみたいなのに伏せて、背中をマッサージしてもらう、最近流行のスタイルだ。繁華街の地下にあるのだが、今まで縁がなかったのでただ前を通過していたのだけれど、思い出したのだ。30分で2,500円は高くない。プロにマッサージしてもらったことがないではないが、何十年も前の話だ。偏頭痛がひどかった時代ね。ひさしぶりにしてもらったが、とても快適で、やみつきになりそう。仕事帰りに気軽に寄れるのがいい。とはいえ、普段はあまり肩はこらない。腰痛はあるから、そっちのほうで世話になろうかな。
しかし、考えてみると、普通だとマッサージ屋さんにはいかない。何日かすると治ることを知っているからだ。「待てる」というのは老熟の証拠だと思う。たしかビンスワンガー(スイスの精神療法家)だったと思うが、「思春期の特徴はあせることだ」と書いていた。あせらなくなると大人だ。このごろ、さまざまのことについて、待てるようになったと思う。
今回マッサージに行ったのは、明日から沢登りに出かけるからだ。いい体調で遊びたいのでね。夏にポナペへダイビングに行ったとき、腰痛で困った経験があって、事前にできることはしておきたかったのだ。
いつのまにもう秋
2002年09月10日(火)
奈良県天川村の河原でキャンプしている。5人の仲間と一緒だ。ここへ来る途中のスーパーマーケットで買った冷凍タラバガニを焚火で焼いて食べる。他に、天川村の手前にある黒滝村で買ったシシトウだとかシイタケだとかも焼く。薪は広葉樹なので、とてもいい香りがする。
肩や背中は相変わらず痛い。マッサージは効いたけれど、効果は一時的だ。原因が筋肉の外側にあるらしく(中枢神経が運動神経を通じて筋肉を痙攣させているのか、あるいは中枢神経が血管運動神経を痙攣させ、血液循環が悪くなって二次的に筋肉が痙攣してしまうのか、両方とも見当はずれでその他の原因があるのか、そこまではわからないが)、末梢を治療しても中枢側から指令が来て、問題を復活させてしまうようだ。
こういうとき心理学者は、精神的ストレスが原因だと決めつけがちだが、そうでもないみたいに思う。生活上の諸問題はたしかにあるけれど、それはいつだって同じくらいあるので、最近とくに問題が大きくなっているわけでもない。たしかに、なんとなく暗いことを考えているし、しばしば悪夢を見るが、これは心理的ストレスが大きくなっている証拠にはならない。身体状況が悪いのが原因で、それが脳機能に反映しているのかもしれない。そういう風に発想するところが、私は医学部出身なんだ。私の偏頭痛は、あきらかに母方からの遺伝だしね。
屋外にいるとわかるが、すっかり秋の気配だ。都会ではまだ真夏のような気がする。山では、日がかげると、急速に涼しくなる。立原道造に「いつのまにもう秋、きのうは夏だった」ではじまる詩があるが(全文は暗記していないので、帰宅してから調べて書くかもしれない)、まさにそんな感じだ。体調が悪いのは、季節変動と関係があるのかもしれない。夏の身体から秋の身体にきりかわる過渡現象なのか。