王賊 野田俊作
王賊
2002年09月24日(火)
北朝鮮が日本人を拉致して、しかもその多くが死亡しているというニュースがあって、私の周囲にいる人たちの多くは、「あんな国と国交を正常化することはない」と憤っている。心情はわかるけれど、そうもいかないだろう。国家が崩壊して難民が大量に流出したりすると、韓国も日本も中国も困るからね。日本全体の利害から考えると、拉致された人たちやそのご家族には申し訳ないが、北朝鮮を許してあげるしかないのだと思う。
思うのだが、拉致されて亡くなった(たぶん虐殺された)日本人も気の毒だが、北朝鮮の国民も気の毒だ。わずかに漏れ伝わるニュースでは、政治的にも経済的にも悲惨な状況に置かれているという。国交を回復すれば、いくらかでも北朝鮮国民の助けになるのではないか。金正日ら政府高官も肥え太るだろうが、そのおこぼれが国民に回るだろう。まっとうな方法でお金やものが手に入るようになれば、覚醒剤だの偽札だのといった妙な産品を輸出することもやめるだろう。楽観的すぎるかな?
北朝鮮はたしかに悪者国家みたいだが、そもそも国家が善玉になりうるのかどうか、ちょっと疑っている。仏教に「王賊」という言葉があって、国家は盗賊であって、国民のものを奪うものだと考えられている。お店を出しているとヤクザがきて、「守ってやるかわりに金を出せ」というようなことがあるそうだが、国家もそれに似ている。国民の生命と財産を保護するかわりに税金を取り立てるのは、ヤクザと同じ論理だ。
もっとも、仏教も後には国家の保護を受けるようになって、国王の恩ということを言うようになった。これは天地の恩、父母の恩、衆生の恩などとならぶ四恩のひとつとして数えられるのだが、古くは国王の恩ではなく師友の恩が数えられていたようだ。そのほうが現代的だと思う。つまり、自然環境や動植物の恩、父母や家族の恩、人々の恩、先生やともに学ぶ仲間の恩の4つを四恩というのが、私は好きだ。国家はやはり王賊だと思う。北朝鮮もそうだが、日本政府だって、基本構造はヤクザなんだよ。いくらかタチはいいけれどね。
脱稿
2002年09月25日(水)
原稿を書き終わってメールで送った。編集者からすぐに返事が来て、好意的に評価してくれているみたいだ。1日で書き上げてから、アドラーの言葉の引用を丁寧に入れるのにもう1日、最後に全体を見直すのにもう1日かかっている。25枚に3日は、まあまあのペースか。9月30日の締め切りだが、今夜から新潟に出かけ、29日の夜にいったん大阪に帰るが、30日と10月1日はパートナーさん他2名とダイビングに行くので、個人的には今日が締切日だ。
書いているうちに、本の構想が湧いてきた。アドラーの言葉を交えながら、心理療法のテキストを書くというのはどうだろうか。むかし、インドの論師たちは、師匠の著作を一言一句引用しながら注釈書を書いた。たとえば、バーヴァヴィヴェーカは、ナーガールジュナ(龍樹)の『中論頌』を引用しながら『般若燈論』を書いたし、チャンドラキールティは、バーヴァヴィヴェーカに反論するために、同じ『中論頌』を引用しながら『明句論』を書いた。それらと同じように、アドラーの言葉を、一言一句ではないにしても、引用しながら私の解釈を書いてみたい。師恩に報いるには、いい方法ではないかな。
実は、いつも不安だ。アドラーの教えを忠実に伝えているか、自信がない。師匠に習ったとおりに伝えているつもりなのだが、私の考えが混じりこんでいる危険がある。もちろん、私も古代インド人ではなくて現代人だから、自分の考えを言いたいのだが、自分の考えは自分の考えとして、アドラーの考えとは区別して伝えたいのだ。そのためにも、アドラーの言葉を一々引用するのは、いい考えかもしれない。