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スレッドNo.965

アドラー心理学会総会(1)    野田俊作    

アドラー心理学会総会(1)
2002年10月18日(金)

 今日からアドラー心理学会総会の本番だ。午前中は役員会、午後2時からは総会で、これはまあ型どおりに進んだ。
 3時から6時まではシンポジウム『ポストモダンとアドラー心理学』で、私もシンポジストで出る。心臓の具合はきわめて悪く、心室性期外収縮が頻発している。歩く程度の運動には支障はないが、長時間喋ると息切れがするかもしれない。あまり頻繁に息切れすると聴衆が心配するだろうから、どうしようかと思っていたが、心配したほどひどくならなくて、なんとか気づかれない程度ですんだ。発表内容は不消化なので、もういちど考え直して、ちゃんとした論文にしようと思う。
 夜は、『ネットワーク集会』といって、各地の運動組織の連絡会があるのだが、これはパスして、部屋でオペラ『椿姫』を見ていた。オペラ同好者が何人か一緒だったが、うまく泣くように作ってあるね。みんな泣いていた。プッチーニやリヒヤルト・シュトラウスなどの20世紀のオペラを聴きなれていると、19世紀のヴェルディの音楽はなんとなく間延びしているように感じるのだが、それでも続けて見ていると、なかなか盛り上がる。
 とにかく無理をしないようにして、3日間を乗り切れば、来週はあまり予定がないので、ゆっくり静養できる。循環器の専門家に診てもらいに行こうと思う。同級生で循環器内科へ行った人もいるのだけれど、知り合いだと手がゆるむかもしれないから、知らないお医者さんに行こうと思う。主治医が紹介状を書いてくれるそうなので、それでいいだろう。



アドラー心理学会総会(2)
2002年10月19日(土)

 アドラー心理学会総会は、午前中は分科会だ。「理論」だの「医療」だの「教育」だのといった分野に分かれて討論する。いちおう理論分科会に登録してあったのだが、休養のためパスして、事務の手伝いをしていた。不整脈は、今朝から新しい薬を服みはじめたら、すこしましになってきた。吸収の速い薬なので、1錠服んだだけで効果がわかる。
 昨日、主治医が2種類の薬を持ってきてくれて、1番目を服んだら、なんだかいっそう調子が悪くなった気がしたので、夕方、2番目に変えた。自覚的にはよくなったが、持参の携帯用心電計で見てみると、不整脈そのものはそれほど改善していない。他のお医者さんが別の薬を持ってきてくれていた。その人は自分も不整脈があって、その薬を愛用しているという。別の内科のお医者さんに聞くと、「不整脈の薬はトライアル・アンド・エラーで、飲んで効くかどうか試すしかない」とおっしゃる。そこで今朝から3番目の薬にした。どうやらこれが当たったみたいで、不整脈はゼロにはならないが、正常な脈の率が増えている。自覚的にもずいぶん楽だ。
 午後は、向後千春さんが『学ぶこと・教えること:教育工学の視点』という話をしてくれた。それに引き続いて、4人の学校の先生が、模擬授業をしてくれた。国語・理科・音楽・理科の順だったが、どれもとても楽しめた。司会の向後さんが、「この4人の先生方がいらっしゃる学校があったら、うちの子どもをそこへ入れたいです」と言っていたが、まったく同感だ。
 フロアから、「そういう実践とアドラー心理学と、どういう関係があるんですか?」というような質問がいくつかあった。特に、仮説実験授業をした理科の先生が批判されていたように思う。しかし、そういう批判は教条主義というものだと思う。アドラー心理学の本質は「勇気づけ」であって、教科教育を通じて子どもを勇気づければ、それはアドラー心理学の精神に即している。われわれがアドラー心理学といっているものは、カウンセリングの中でクライエントを勇気づけるための工夫がもともとあって、それをたとえば育児に応用したりクラス運営に応用したりしたものなのだ。それはそのままでは教科教育に使えない。それプラスアルファの工夫が必要なのだ。「ヨコの関係」だのなんだのだけでは、子どもが学ぶように勇気づけられない。もう一工夫が必要なのだ。今回は、その「一工夫」の部分を見せてもらった。パリサイ的(浩→ユダヤ教の保守派・パリサイ派のような)な批判はやめるべきだと思う。要は、子どもが学問に向かって勇気づけられればいいのだ。たしかに「ヨコの関係」などのアドラー心理学のお題目は一言も話題にのぼらなかったが、実際の授業実践の中でアドラー心理学的な人間関係の典型を見せてもらったじゃないか。それ以上に、なにを不満を言うことがあるのか、私にはわからない。
 夜は懇親会で、恒例のコーラスもあったが、他に2つの出し物があった。まず「劇団ひぐらし座公演:ヴェニスの商人」だ。私が台本を書いて、東京の仲間たちが演じた。自画自賛だが、素人離れした立派な出来だったと思う。もうひとつはオークションで、アドラー心理学会を社団法人化するための資金集めに、アドラー心理学にちなんだ珍しい品物をせり売りした。思ったよりも高額で買い取ってもらえて、17万円あまりが集まったそうだ。すべて学会に寄付された。



アドラー心理学会総会(3)
2002年10月20日(日)

 アドラー心理学会総会は今日で終わりだ。午前中は、一般主婦が4人で『アドラー心理学の家庭への浸透:その失敗と成功』というシンポジウムをしてくれた。非専門家が大勢いて、独自に発言もするし専門家の発言を批判もする。これは、日本だけではなくて、アメリカのアドラー心理学会も同様だ。元気なおばさま方が沢山いて、専門家を圧倒し続けている。ただし、ドイツは違っていて、うるさい非専門家を切り捨てて、専門家だけの学会を作った。その結果、ドイツのアドラー心理学はきわめて思弁的な、具体性を欠いたものになってしまった。やはり「素人の目」が必要なんだ。そうでないと、心理学のような実証性に乏しい科学は、すぐに空理空論に陥ってしまう。
 午後は、地域住民向けの公開講座だった。私が担当なのだが、今日は、不整脈はなんとかおさまっているものの、降圧剤が効きすぎて血圧が下がりすぎている。水の中を歩いているような感じで、手足を動かすのがおっくうだ。しかし、今更どうしようもない。
 1時間半の講演は、なんとか無事におわったようだ。「ようだ」というのは、記憶があまりないのだ。話している瞬間のことはちゃんとわかっているのだけれど、すこし前に話したことがわからない。どうせこんなことだろうと思って、午前中に講演の要旨をメモして覚えておいた。そうしないと、話がどこへ行ってしまっていたかわからない。質問されると、自分の言ったことを覚えていないのがバレるかもしれないので、時間ぎりぎりまで喋って質問できないようにした。それでも、講演終了後に聞いてくる人がいて、案の定、自分の言葉を思い出せない。あいまいな返事をするしかなかった。申し訳ないと思うけれど、脳に血が回っていないのだから、許してくださいね。
 地元の仲間に高岡まで車で送ってもらった。秋の雨の中の散居村は、センチメンタルに美しかった。ただし、帰りの列車は、温泉帰りの団体さん満載で、大阪までずっとにぎやかだった。

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