安息日 野田俊作
安息日
2002年10月21日(月)
今日はとにかく自宅で休憩することにした。といっても、まったく何もしないわけにもいかない。午前中に、アドラー心理学会関係の事務で急いでしなければならないことをいくらかすませた。インターネットのおかげで、自宅でできる仕事が増えて、ありがたいようなありがたくないような。無理をしないで、ほんとうに急いで必要なことだけにして、後はぼんやり暮らすことにした。
昼からはドニゼッテイのオペラ『愛の妙薬』のDVDを見ていた。リヨン歌劇場の公演で、ごひいきのゲオルギューが出ている。ここの演出は妙に現代的で面白い。話は、もてない男が浮気な美女に恋をして、相手にしてもらえないので、インチキ医者から「トリスタンとイゾルデの愛の妙薬」(実はただのワイン)を買って飲み、それからあれこれあって、結局は結ばれるというコメディーだ。若いころの自分がちょっとこの男みたいだったので、面白く見ていた。
ドニゼッティという作曲家は即席音楽作家で、このオペラも2週間で書いたという。なるほど、オーケストラの部分は、ギターでだって弾けるほど単純だ。ただ、旋律を作る才能がものすごくあるので、それでもとても楽しく聴ける。バカにしていたけれど、他のも聴いてみてもいいなという気になった。プッチーニみたいに、1曲に5年もかける作曲家もいいけれど、即席音楽にもそれはそれでいいところもあるみたいだ。
このごろ自分についてもそう思っている。脂汗流して長時間かかって書き上げた論文も、3日か4日で即席で書き上げた論文も、そんなに違いはないみたいに思う。どうせ知っていることしか書けないんだから。それで、気軽に原稿を引き受けて気軽に書くようになった。月末までに2本書かないといけないのだが、大丈夫だとタカをくくっている。しかし、この体調で本当に大丈夫かしら。
午後4時ごろ、疲れてきて、1時間ほど眠ってしまった。やがて7時ごろパートナーさんが帰ってきて、もう一度買い物に行くというので、待っている間にまた眠ってしまった。疲れきっているんだな、きっと。不整脈はほぼおさまっているが、血圧が下がりすぎている。
戦後処理
2002年10月22日(火)
いくらなんでも今日は出勤しないわけにはいかない。午前中は実家に寄る用事があって、お昼ごろ事務所に着いた。実家の近くにおいしいケーキ屋さんがあるので、そこで慰労のためのケーキを買って、いそいそと登社したのに、留守部隊をしていたスタッフがひとりいるだけで、他は誰も来ていない。わが社はフレックスタイムで、出勤時間は決まっていないのだが、2時をすぎても誰も来ないのはめずらしい。ようやく3時前から人が来はじめてにぎやかになった。総会で送った宅急便が着いて、その後始末で大騒ぎだ。みんな疲れていて、あまり作業がはかどらない。
総会のとき撮った写真を現像に出した。記録写真は専用のスタッフが撮ってくれるので、真面目な写真はそちらにおまかせして、私は180ミリのレンズ1本だけもっていって、美しいおばさま方のポートレートを撮った。事務所に来る人には会ったときにあげるし、遠隔地の人には送ってあげようと思う。もっとも、気に入ってもらえないかもしれない。ニコンが作っているニッコールというレンズは、ドキュメント写真用の設計で、シワもシミもバッチリ写ってしまうのでね。まあ、気にいらなければ捨ててくれればいいさ。合計100枚近く撮ったが、出来のいいのを何枚か2Lサイズ(サービス版の2倍)に伸ばした。これも送ってあげよう。
今日は、降圧剤をやめて、昨日まで服んでいた抗不整脈剤に加えて、降圧作用のある別の抗不整脈剤を服んでいる。調子はかなりいい。これだと普通に生活できそうだ。木曜日に病院の予約をとった。こんなに調子がよくてはお医者さんが困るかもしれないので、明日は薬を服まないで、調子を悪くして受診しよう。
ウォッシュアウト
2002年10月23日(水)
朝から薬を一切やめて様子を見る。一種類は体内滞留時間の長い薬だが、これは昨日の朝服んだだけなので、今日中には体内からなくなるだろう。もう一種類は日に3回服むので、昨夜眠前に服んだが、朝から服まなければすぐにウオッシュアウトされてしまうだろう。
さて、そう思って暮らしていると、やはり不整脈が復活した。これではちょっと出勤できないなと思い、電話して自宅にいることにした。自宅にいても完全休養する必要もないと思うので、論文を書き始めた。昨日、こういうこともあろうかと、必要文献を山ほどコピーして持って帰ってきてある。あれこれ書いているうちに、規定の25枚のうちの15枚ほどが書けてしまった。これに表の解説を入れると、25枚をオーバーしてしまいそうだ。一度オーバーさせてから、あちこち削るのが常套手段なので、かまわず書き続ける。ドニゼッティ風の即席論文作者だな。
夕方4時ごろになると、エネルギーが尽きて寝てしまった。1時間ほども眠ったか。起きて顔を洗いに行く夢を見る。二重見当識で、寝ていて体が動いていないのは知っているのに、動いている気もしている。一種の金縛りで、苦しいといえば苦しい。しかし、恐がらなければどうということはなくて、面白がって観察していた。不器用な幽体離脱といったところか。ベッドの触覚ではない触覚がある。ドアとかタオルとかをありありと感じるのだ。しかし、水を流しても水は感じない。どう違いがあるのだろう。どうせ触覚があるなら、もっと色っぽいものがいいのにと、夢の中でもしっかりオジサンをしていた。待っていると、やがて身体の感覚がひとつに戻ってきて、自然に目覚めることができた。
これまでもこういう体験はあったが、面白いものだ。脳の知覚領に全身の地図があって、そこが興奮すると、対応する皮膚の感覚を感じる。だから、皮膚に何も触れていなくても、脳が興奮するだけで、実際に触れたのと同じ感覚がおこる。だから、こういう現象は、神経生理学的にはなにも驚くべきことではない。しかし、どういう場合に、皮膚とは無関係に脳の知覚領が勝手に興奮しだすのかがよくわからない。浅い睡眠の中でおこるし、催眠でもおこせる。自分で自由におこせると、面白いことがいろいろあるかもしれない。しかし、あまりそういうことにのめり込むと、現実なのだか幻覚なのだか、区別がつきにくくなって困るかもしれない。人間の自然をあまりいじくらないほうがいいだろう。
ひょっとして、薬のウォッシュアウトと関係があるのだろうか。そういえば、昨夜も触覚のある夢を見た。もしそうだとすると、そうたびたびは経験できないな。あまりたびたびは経験したくないけれどね。