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スレッドNo.985

漢文    野田俊作

漢文
2002年11月19日(火)

 松本史朗『禅思想の批判的研究』をすこしずつ読んでいるのだが、原典引用のやたら多い論文ばかり掲載されていて、なかなかはかどらない。漢訳経典の引用があって、対応するサンスクリットの原典が残っていればそれも引用され、チベット語訳しかなければそれが引用される。和訳がついていることもあるし、ついていないこともある。漢文も返り点は打っていない。不親切なことだが、素人向けの本じゃないので仕方がない。
 それらの引用文を読み較べていると、漢訳が圧倒的にわかりやすい。和訳はとてもゴタゴタして、一読しても意味が理解できないことが多い。サンスクリットは読むのに手間がかかるが、日本語よりはよほど論理的なので、構造がわかればよくわかる。チベット語はサンスクリットの逐語訳に近いので、サンスクリットと同じことだ。むしろ、サンスクリットよりも論理構造がわかりやすいこともある。日本語を含めて、これらは読解に頭を使うが、漢文は、頭からお経のように(お経だが)読むと、なんとなくわかってしまう。
 この「なんとなくわかってしまう」ところが問題なんだ。訓読すると、しだいにわからなくなって、それを現代日本語に直そうとすると、形容語がどの部分を修飾しているかとか、文と文の関係がどうなっているのかとかが、きわめてあいまいであることがわかる。中国語は語尾変化がないし、従属接続詞などもそう発達していないし、論理的な内容を表現するのに向いていない。そこで、サンスクリットやチベット語をもう一度読むと、「ああ、こういうことか」と納得できる。
 これは恐ろしいことで、日本人は1千年以上も漢訳経典だけで仏教を理解してきたわけだ。漢文はどのようにでも読めるので、たとえば親鸞などは、中国語として読めば決してそうは読めないような訓読をして、自分の理論を発展させている。中国人は母国語だからマシかというと、そうでもなくて、先日ちょっと触れた天台大師なども、中国語としても無理だし、ましてサンスクリット原典を読んでいればけっしてしなかったであろうような誤読をしている。「諸法実相」だの「十如是」だのといった天台宗・日蓮宗の重要な教義は、誤読の産物なのだ。
 しかし、いまさら浄土真宗だの日蓮宗だのの教義を変更するわけにもいかないだろう。仏教学者は寺院子弟が多いので、そのあたりの折り合いは大変だろうな。むかし仏教大学の通信教育を受けていたときも、左脳は南伝仏教やチベット仏教、右脳は法然上人ファンの専門家がたくさんいた。これからどうしていくのだろうね。まあ、私は仏教教団とはなにも関係がないので、かまわないのだが。しかし、サンスクリットやチベット語の原典で仏典を読んでいくと、既成教団からどんどん離れていってしまう。かといって、南伝仏教やチベット仏教に改宗する気にもなれないし。日本仏教には日本仏教の長い伝統と文化があって、それも嫌いではないもので。



漢文(2)
2002年11月20日(水)

 漢文は口調がいいので記憶しやすい。たとえば、五蘊(人間の5つの属性)として色・受・想・行・識を数えるが、「しき・じゅ・そう・ぎょう・しき」というのは、とても覚えやすい。ところが、サンスクリットで言うと、「ルーパ・ヴェーダナー・サンジュニャー・サンスカーラ・ヴィジュニャーナ」ということになって、おそろしく口調が悪い。これではなかなか暗記できない。
 しかも、漢文は、日本語みたいにテニオハのある言語から見ると、要点だけが列挙してあるみたいなものなので、たとえば般若心経の「無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味蝕法、無眼界乃至無意識界、無無明亦無無明尽、乃至無老死亦無老死尽、無苦集滅道」あたりを暗記しておくと、仏教学概論の試験くらいなら通るかもしれない。
 さらに、仏教に関して言えば、法数(ほっすう)というものがあって、五蘊もそのひとつだが、三宝だの四諦だの五戒だの六波羅蜜だのと、基礎的な概念を箇条書きにして整理してある。上で出た「眼耳鼻舌身意」は六根だし「色声香味蝕法」は六界だ。こうして、徹底的に暗記用にできている。これはたぶん仏教だけじゃなくて、中国の学問がすべてこのようにして整理されていたのではないかと思う。だから現代でも「三つの代表」というような言い方が出てくるわけだ。
 いい点としては、とても整理されたシステムとして学問が頭に入るが、悪い点としては、「語録主義」というか「教条主義」というか、文脈を無視して言葉を使う癖がつくんじゃないか。日本でも、かつての文化人は漢文で考えていた。たぶん第2次大戦の前まではそうだったんじゃないか。その結果、今から見ると、えらく硬直した議論をすることがあったと思う。
 今、われわれは英語で考える。すべての文を英語で考えることはしないかもしれないけれど、たとえば「文明」っていうのはシヴィライゼーションで「文化」っていうのはカルチャーだ、くらいのことは、読書人であれば当然知っている。漢字で書いているけれど、実は頭の中は英語だ。そのことが日本人の考え方をどう変化させたのか。昔の人よりも記憶力が悪くなったのは確かだが、「語録主義」から抜け出していくらか柔軟になったかというと、そうでもないような気もする。語録主義は漢文とは関係がない、もっと人間の本性に近いものなのかな?

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