きょうだい喧嘩と“課題の分離”
Q
子どもたちがきょうだい喧嘩をしているときほとんどタッチしていませんが、相手を罵ったりしたときに、「うちの子にそんなこと言わないで」と、楽しみながら口出しすることがあります。2人がイヤそうな様子にも見えないので言っていますが、続けてももいいのかなと思ったりします。
A
この人が今までどれくらいアドラー心理学を学んだ人か、どれくらい実践できているかでもって、答えがかなり違うと思う。
『パセージ』では、子どもを「勇気づけよう」と書いてある。勇気づけるには、「ありがとうとおっしゃい」と書いてある。「嬉しいと言ってください」と書いてある。「よくできたね、偉いね、頑張ったねと言うと、それは勇気くじきになりますよ」と書いてある。 お母さんたちはそれを学んで、そうか、今まで、「偉いね」「頑張ったね」と言ってきた。これからは、「ありがとう」「嬉しい」にしようと思う。そうすると、初めのうち子どもは、「うちの母ちゃん前よりようなった」と思う。そのうちネタがバレて、「ありがとう」「嬉しい」と言うのは、実はわれわれを操る言葉だというのがはっきりとバレてしまうことがある。それだと勇気づけにならない。
その「ありがとう」「嬉しい」から、うまく勇気づける親になることもある。あれは川を渡る船みたいなものです。縦の関係、古い伝統的な育児からアドラー心理学的な、横の関係へ渡っていく1つの船です。その船で渡れる人もあるけど、船に乗ったけどやっぱりこっち側へ帰ってくる人もある。
アドラー心理学が学んでもらおうとしているのは、決して口先の言い方に留まることではない。「お願い口調で言いなさい」と書いてある。目ざしたいのは“真心アドラー”です。「こっち来なさい」と言わないで、「ちょっとこっちへ来てもらえませんか」と言ったって、やっぱり支配かもしれない。やっぱり縦の関係かもしれない。ほんとに横の関係が成熟して親子間がいい友だちになると、そうすると「ちょっとこっちへおいでよ」と言ったってちっともイヤじゃないかもしれない「頑張ったね」と言ってもイヤじゃないかもしれない。この親は私を操作して自分の好みの大人にしようと思っているのではないということが、子どもにはっきりわかっていれば。
子どもがきょうだいを喧嘩をしているときに、「うちの子にそんなこと言わないで」と口出しをするというのが縦関係なのか横関係なのか、子どもを結局どうしようとしているのか、そのへんがはっきりわからないと何にも言えない。あくまで言えることは、パセージや基礎講座で大量に学ぶテクニック、「お願い口調」がどうしたとか、「主張性」が良くて「攻撃性」は良くないとか、「勇気づけ」しないといけないというのは、全部「船」で、向こう岸へ渡るためのもので、乗ったからといって渡れるものとも限らない。船に乗ったけど、こっち岸につないだままの人もいる。向こう岸へ渡ったら捨ててもいいのに、この船のおかげで助かったからといって、ずっと担いで歩くこともない。本来の目標を見失わないように。
アドラー心理学が作り上げようとしているのは、対等な協力的な人間関係です。親と子どもが完全に平等で対等であるような関係。親が子どもをそういう意味では一切支配しないような関係。仲間として協力していく関係。友だちである関係、頼りになる友だち、知識があって経験のある友だち、という立場に自分が入れること。恐い人じゃなくなること。相談に乗ってもらえる人にであること。これが目標です。
この「きょうだい喧嘩の話」は、「課題の分離」ということと関係があるんです。「子どもたちの人生に立ち入らないでおきましょう」。「子どもたちには喧嘩する権利があるから喧嘩してもらいましょう」と思う。あるいは、「学校へ行かない権利があるから登校拒否してもらいましょう。いつまでも寝ている権利があるからいつまでも寝てもらいましょう」と言うと、それははっきり言えば放任育児ですよ。
アドラー心理学はまず第1段階として放任育児を勧めている。なぜかと言うと、われわれの対象にしているお母さんは、ほとんど手のかけすぎだから。愛情が余りすぎて、手をかけすぎているお母さんだから、子どもはすっかり砂糖漬けになっているから、まずお砂糖を抜かないことには何もできないから、しばらく手をかけない課題の分離をやる。
では課題の分離が完全にできたら、それがアドラー心理学育児か?違う。それでは育児不在だ。アドラー心理学の育児はどんな育児かというと、「共同の課題」の育児です。「家族をみんなで協力して作っていこうね」ということが、親にも子どもにもちゃんとわかること。この世の中で生きていくためには、人間は力を合わせないと生きていけないよということが、絶えず学べるようなこと。子どもが協力してくれたことにほんとの意味で感謝できること。子どもが自分のやったことの責任をちゃんと取ること。子どもが自由に選択できること。等々。
アドラー心理学の新しい育児のイメージがある。課題の分離は、あくまでそこへ渡っていくための経過措置です。だから、課題の分離を目標にしないでほしい。課題の分離を通らないとアドラー育児へ行けない。あれもやっぱり船です。もっとも、課題の分離という船は捨てないでほしい。アドラー育児ができた。ではもう1回お節介に戻ろうというのはどうかと思う。
子どもがきょうだい喧嘩をしているときに、課題の分離だけからは考えられない。ほんとは子どもたちに暴力を使わないで、感情を使わないで問題を解決するということを学んでもらわないといけないという課題がある。話し合いでいろんなことを解決するということを学べば、子どもたちは喧嘩しなくなる。
子どもの年齢にもよる。小学校3,4年生くらいまでの子どもは喧嘩してもらっておくほうがいい。小さいときに喧嘩していない子は、喧嘩の仕方を十分学んでいないので人に怪我をさせるから。ある程度暴力の行使を小さいときに学んでもらっておいたほうが、ムチャクチャ危ないことをしないからそのほうがいい。それはそうなのだが、いつまでもそれではいけないので、言葉を使った問題解決を学んでもらう。
それはどうすればいいか?両親が子どもとの関係の中で感情的にならないこと。子どもを強圧的に抑えないこと。いつも粘り強く粘り強く交渉することをモデルとして示すこと。“ひと言ピシャッと言ったらあと絶対聞く耳持たない親”でいる限り、子どもも暴力的です。いつまでもいつまでも繰り返し討論し煮詰めていくというようなモデルを示さないといけない。
ということは、結局、親が変わらないといけない。親が変わるのは難しい。子どもたちはアドラー育児を受けうるが、親は古い育児で育ってしまった。骨がらみ古いスタイルの暮らし方を身につけてしまっているので、そこから抜け出すためにはだいぶトレーニングがいる。トレーニングしても最終的に抜け出せない。この世にいるうちにアドラー悟りが開けて、まったく努力しなくてもアドラーふうに生きるということはないので、いつも気をつけてチェックしないといけない。油断したらすぐ古いスタイルが出てしまう。私は人を支配していないか、感情(主にマイナス感情)でもって動いていないか。いろんなことを意識してチェックしていく。そうしていく中で、お父さんお母さんのやり方は素敵だなと思えば、取り入れて暴力的な喧嘩をしなくなるでしょう。(野田俊作)