私の一句
この里に貴種流離譚蛍舞ふ
私の住む半田市岩滑から小さな川一つ隔てて阿久比町になる。南北に阿久比川が流れ、流域に田畑があり両サイドは小高い丘陵となっている。俗に阿久比十六ヶ村と言われ、古くから開けた地域である。美味い米の産地として知られ、夏は町内各所で蛍が見られる。この阿久比に流れ来た貴種が菅原の英比丸といって、例の太宰府に左遷された菅原道真の孫に当たる。この英比丸の後裔が坂部城主の久松氏で、時の当主久松勝俊に嫁いだのが緒川水野氏の出のお大の方、徳川家康の生母である。その縁で江戸時代には伊予松山に封ぜられ松平姓を名乗った。桑名松平も同じ一統になる。明治の廃藩置県で松山藩は廃されたが、藩主のお手元金で奨学金に制度ができた。その制度を利用して東京に出たのが正岡子規。子規に始まる松山の隆々たる俳句人脈と阿久比が思わぬところで繋がった。掲句は中日俳壇長谷川久々子先生の選に入った句である。(この稿は俳誌「白桃」に掲載されたものに、加筆修正をしたもの。今後不定期に掲載します。)