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スレッドNo.483

謎のスポーツ、とんぼる

チリにいるとき、ある日今まで知らなかったスポーツを習いました。
日本でいう中学2年生か3年生の頃です。
トンボール(トーンボール)と言うんだ、と教わりました。
小さいボールではなく、たしかハンドボールとかもっと大きいボールを
使ってやったような気がするのですが、少人数で校庭(もともとは
家の中庭なので小さかった)でやれるので楽しいなと思いました。
ルール(もう忘れた)を教えてもらったら、なんとなく野球に似てるなと
思ったので、「béisbol に似てるんだね」と言ったら、同級生たちは
誰も野球を知りませんでした。

先日ふと思い出して、あれは tómbol という綴りでいいのかな?と
思って検索したら、まったく出てきませんでした。えー。
あれこれ探したのですが、野球にちょっと似たルールで、だけど
大きいボールを使ってやるこのゲーム、全然出てきません。
私が思っていたのと単語が違うのかもしれない、と考えたのですが、
それもロングボールくらいしか出てきませんでした。

ボールが大きいので、バットなどは使わずに手で扱っていた気が
するのですが、なにしろ昔すぎて正確なところは思い出せません。
(足だったら「野球」じゃなくて「サッカーみたいなやつ」と
思ったでしょうから、手で打ったりしていたのはほぼ確かでしょう。)

小中学校などでやるスポーツで大きいボールを使うもの、
日本だとドッジボールやバレーボール、バスケットボールあたりが
ポピュラーかなと思うのですが、チリでは(少なくとも私が通っていた
現地の学校では)断然ハンドボールでした。

前半3年は女子ばかりのミッションスクール、後半4年は共学。
当時は日本人学校はなかったので、子供をアメリカンスクールなどに
入れる日本人の親が多かったのですが、うちは「せっかくいるんだから、
スペイン語ができるようになったほうがいい」ということで、
現地校に行っていたんです。
前半の学校では日本でいうドッジボールみたいなのをやったことが
あるような記憶がかすかにあります(雨の中だったので、ボールが
飛んできたときに滑って転んで、手首を痛めました。何十年もの間、
天気が悪くなると痛みが少しよみがえったりしてました)。
後半に行った学校は普通の家を改造した程度の校舎だったこともあり、
体育の授業は週に1度まとめて全校生徒みんなで近くのスタジアムに
行ってやっていました。出席だけ取ったらあとは何をしていても
よかったので、私は(体力測定などの決まった日以外は)だいたい
ハンドボールをやっていました。ずっとテニスをしている同級生も
いましたし、サッカーに興じている子たちもいました。

スタジアムにはプールもあったので、夏は水着に着替えて友人たちと
ぱちゃぱちゃやっていましたが、泳ぎを教えてくれる先生は
いなかったので、ただぱちゃぱちゃ遊んでいただけでした。(笑)

体力測定の日は400メートルとか600メートルとか走らされました。
私の場合、スタートダッシュで関節が外れることがありましたが、
それを覗けば楽しかったです。遅かったですけどね。
あとは、なぜかハードルの飛び越え方を教わって、
運動音痴の私でも実はなぜかうまかったので、
毎年恒例の、市内の学校対抗のスポーツイベントでは、
私は障害物競争に出ていました。
それと、これまたなぜか突然逆立ちのやり方を教わって、これも
私は結構うまかったので、「小さい頃から自分は体育の授業では
得意なものがなかったけど、ハードルと逆立ちだけはうまいから
よかったわあ」なんて思ってました。(笑)
今はもう歳もとったし太ったしで、逆立ちなんてできませんけどね。

日本に帰ったあと少しだけ中学校に行ったのですが、担任の先生が
体育の教師でした。私が走り幅跳びをやったらあまりにも少ししか
跳べなくて先生が驚きまくってましたねえ。(笑)

高校では「バレーボールはチリに行く前に流行っていたから
ルールは知っているけれど、サーブしてもボールがネットの向こうに
行ってくれない」ということで大変でした。バスケはチリでは
やったことがなくて、ルールがわからず、皆の邪魔にならないように
ただ走り回っていたのですが、あるとき数名ずつ組んで決まった
パターンのドリブルと攻防をやるのを教わり(名前があるのかしら。
わかりませんが)、でもうちのグループのリーダーになぜか私が
指名され、期末試験代わりにそれをやらされたけれどうちのグループだけ
全然できなくて、うちのグループだけ補講と再試験になりました。
前代未聞だったみたいです。(まあ、そうでしょうねえ。)
最終的にはなんとかできて合格はしましたが。

走るのはめちゃくちゃ遅いので、当然、短距離は全然だめでしたが、
高校の持久走ではなぜかいつも私よりあとにゴールインする子が一人
いました。私より遅いってどういうことだろう、世の中には
いろんな人がいるねえ、と驚いたものです。(笑)

うちは母が走るのが速く、父とその一族はだいたいだめなんです。
父に似ちゃったんだなあ、と思うのですが、まだ私が幼稚園児の頃、
父が「僕の娘なら絶対逆上がりができなくて悲しい思いをするに
違いない」と言い出し、小学校に上がる前に練習させておこうと
組み立て式の鉄棒を買い(当時はうちってすごくお金がなかった
はずなんですが)、布団の上に置いて何度も練習しました。
おかげで小学校では逆上がりはとりあえず問題なくできたので
父の判断は正しかったですね。(笑)
私の弟(チリ生まれ)は3歳のときに日本に帰ってきたのですが、
その頃にはもうその鉄棒はなかったので、結局一度も逆上がりは
できないまま大人になった、と言っています。

ただ、私は縄跳びの二重跳びができないのですが、弟はできて
いたというのです。なんか悔しいです。子供の頃は弟は
どうしてもブランコが漕げなかったくせに。(笑)
母が教えても全然だめで、最後はある日一人で漕いでいたら、
よその知らないおじさんがコツを教えてくれて、
それで漕げるようになったんだそうです。知らないおじさん、
ありがとう、って感じですね。

私は今でこそひざなどの問題があるので無理はできませんが、
実は卓球だけはできました。もうだいぶ歳をとってから
知ったのですが、卓球って耳がいいとできたりするらしいです。
子供の頃チリで父が卓球台を買ってくれて庭に置いていたので、
まあそこそこやっていたから、というのもあります。
私が見るからに運動音痴だからなのか、あるとき合唱の合宿先に
卓球台があったのでお昼ご飯のあと何人かでやっていたら、
「…びっくり。できるんだね、卓球」と対戦相手に言われました。
(今の団長です。)
いや、高校の球技会ではクラス対抗で卓球に出て、相手チームに
部長までやった子がいたので、その子との対戦では誰もまったく
点を取れなかった中、私だけ少し取ったんですよ。
(公式ルールではたしか相手にまったく1点もあげないのは
だめらしいですが、そのときはそんなことは知りませんでした。
そういうルールがまだなかったのかもしれませんが。)

そうそう。父は運動音痴なのに卓球は大学時代に単位を取るために
やったからできたみたいです。あと、ボートも漕げましたが、
それも大学(私と同じ東京外大)でボートは漕がざるを得なかったから
できるようになったということでした。(私も在学中毎年レガッタ
大会には出ていたので、ボートは漕げました。)

そういえば、運動が普通にできる妹だけじゃなく、運動音痴がひどい
私と弟もスキーは滑れたので、運動音痴ってのはスポーツによっては
あまり関係ないのかもしれないな、と思ってます。

結局「トンボール」の正体はわからずじまいです。
ネットでなんでも載っている、だから自分は勉強なんてしなくてもいい、
と思っているそこの若者、そうじゃないんですよ?
あれこれ載っているのは誰かが書いてくれたから。
パソコンが普及する前のこと、とくに昭和前半のことなんて、
結構載っていませんからね。
そして、今はAIの普及のせいで、むしろ「検索して最初に出てきた
AIによるまとめは結構(派手に)間違ってる」と思ったほうが
いいくらいです。まあ、そのうち直っていくんでしょうが、
今はまだまだ間違ってますから。

うちの母はここ数日、ボウリングがしたくなっているようです。
あれって年齢制限あるのかしら。どのみち、去年の入院の原因になった怪我が
治らないことにはできないでしょうが、近くにボウリング場がないと
さかんにぼやいているので、できるようになるといいねえ、と思います。

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上の文章は実は何日も前に書いておいたものです。

ところで、驚愕の事実が判明。
子供の頃浦和で住んでいた家の庭には2人で乗れるブランコ(箱型っていうんですかね)があって、
一軒家だけど社宅なので前の人が置いていったのかなくらいに私は思っていたのですが、
母が言うにはそれも(簡易鉄棒と同じで)父がわざわざ私のために購入したものだとのことです。
「僕の娘ならブランコが漕げない可能性が…」と鉄棒のときと同じことを言い(鉄棒よりずっと前ですが)、
それで買ってくれたんだ、と。物心ついたときにはもう庭にブランコはあったので、感謝しそびれました。

運動音痴の父ですが、なぜか竹馬には乗れたらしく、私が小さい頃に竹を自分でごしごし切ったりして
竹馬を作ってくれました。でも、私はうまく乗り回せませんでした。怖がりだったからというのもあります。
小学校で平均台の上を歩くのは平気だったんですけどね。

母はスポーツ万能タイプですが、会社員時代にスケートに行って全然滑れなかった話をしてくれました。
室内リンクで、同僚の女性に惚れた男性が彼女を誘ったけれど、彼女は「二人で行くのはちょっと」ということで
うちの母を誘ったらしいです。(笑)
彼女はそこそこ滑れたので、手すりにつかまっていても転びまくっていた母は「デートの引き立て役としては
まあよかったのではないか」と思ったらしいのですが、結局彼らはそれぞれ別の人と結婚したとのことです(なんだそれ)。
私はスケートは大学時代、大学のスケート教室に申し込んで山の中の湖が凍ったところでいきなり習いました。
湖の真ん中なので、当然手すりなんてありません。
何日かたってやっと少し滑れるようになったとき、「2人ずつ手をつないで滑って」と先生に言われ、
相方(女の子)が転びそうになったのでつい引っ張った勢いで自分が転び、捻挫して、半年間医者に通う羽目に
なりました。初心者同士にそういうことをやらせたのがいけないんじゃないの?と思いますが…。
悔しかったのはそのせいで次の月に大学から行く予定で申し込んでいたスキー教室をキャンセルする羽目になったことです。
痛くないふりをしていたものの、大勢の体育教師の前で「しゃがんで?次は立ってみて?」と言われて動いていたら、
捻挫が治っていないのがバレてスキーはだめになりました。(涙)
スケートそのものは、そのうちリベンジしようと思っていたら、機会がないまま社会人になり、
会社役員時代にひざを壊し、「スケートはだめ」と医者に禁止されました。
…スキーは医者の前でごねて、なんとか行きましたけどね。
で、行ったあとで、一緒に仕事していた弁護士さんにあきれられました。(笑)

そうそう。平均台の上を歩くのは平気だった私ですが、高校のときクラス全体で(自分たちの発案で)赤城山の青年の家に
行ったとき、雨上がりなのにうっかりフィールドアスレチックに挑戦、丸太でできた長い棒のようなものから滑り落ちて
鼻の先を怪我しました。で、顔が血だらけなのに、そこへたまたま来た若い警察官の訓練生みたいな人たちに「わあ、
女子高生だ、女子高生だ、一緒に写真撮ろうよ」と言われ、血だらけのまま写真を撮りました。もしまだその写真を持っている
警察の人がいたら、一緒に写っている血だらけの高校生は、ただ単にフィールドアスレチックで怪我しただけですので
お気になさらないように。(笑)

でも、赤城山というのは女性にやさしくない(何かの呪いの伝説がある)山なのですよね、実は。
スケート教室で怪我したのも赤城山の湖だったし、私は2度も怪我したのでもうやめておきます。(笑)

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