>悪役会議の必要性
(↑)「その回で取り上げるテーマ(友情とか家族愛とか)を、頭ごなしに否定することで逆にその重要性を浮き立たせる」効果が見込めるように思いますが、違うかな?『スマイル』とかで割と多用していたように記憶しているのですが。
>秩父宮雍人親王
保阪氏の伝記は秩父宮にやや肩入れ気味なところがありますが、それを差し引いても、「本当に優秀」で、当時の庶民の困窮を理解しかつ代弁するヒーロー的存在だったのはどうやら間違いなさそうです(↓)。
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ともあれ秩父宮が、安藤や菅波[註:天皇親政を唱える北一輝の思想に影響を受けた国家革新派の青年将校ら。いずれも秩父宮が配属された第一師団歩兵第三連隊(歩三)に所属]をつうじて歩三における国家改造運動の話を聞き、関心を示したのは事実であった。…… しかし、陸大時代から一貫して政治的な運動とは一線を画すことを自分に課してきた秩父宮は、政治的運動としてではなく、「社会の不合理」を正すために、自分にできることは何かと考えた。それは、兄天皇の前に進みでて直々に社会の実情を知らせ、「社会の不合理」を正すための自分の意見を述べるほかないと考えた。それこそが、兄宮を補佐する弟宮の責務と考えた。…… それを裏付けるのは陸軍大将の本庄繁の『本庄日記』である。この日記によれば、「昭和六年末から同七年の春期に亘る頃」の話として、秩父宮が天皇と大激論を交わしたと書かれている。…… 秩父宮が天皇に会って口にしたのは、次のような意味のことだと推測される。
「現在の国内情勢は麻のように乱れています。政治は腐敗し、国民は生活苦にあえいでいます。陸軍はこういう情勢にいらだって、不穏な動きをしています。この際は、兄宮が直接政治の前面にでられて、政治の実権を握ってこの国の状態を正してください。ご親政は憲法に抵触することはむろんですが、この際は憲法を停止するぐらいのお覚悟もやむをえないのではないでしょうか。」
これに対して天皇は、「そういうことはできない。私は、憲法の定めるとおり、臣下の者を信頼し、大権は輔弼、輔翼の者に与えて全体を見渡している。そうすることが私の役目であり、憲法を自らおかすなどもってのほかだ」という意味のことを述べて反論したと考えられる。
私の推測では、天皇は、弟宮が憲法のワクを無視するような言動にでていることが理解出来なかった。東宮御学問所でひたすら帝王学を受けて立憲君主に徹する天皇には、明治天皇の定めたコースを逸脱し、政治、軍事の前面に出ることなど思いもよらなかった。…… これに対して、秩父宮は、天皇家の一員でありながら陸軍の一将校として一般社会に身を置き、自分の目で現実社会のゆがみをみてきた。…… 天皇と秩父宮は、このときに初めて正面から対立した。そしてこのときに、現実社会からへだてられた宮中で立憲君主に徹する天皇と、一将校として現実社会の中で生きている秩父宮との間に、はからずも隔絶した意識が生まれていたことを確認し合うことになった。…… 秩父宮は、革新派の青年将校たちと天皇周辺の政治勢力という相反する二つのグループから期待される、微妙な立場に立たされていた。(本書p.193~197より抜粋)。
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半藤一利 原作・能條純一 作画『昭和天皇物語』8巻第64話には、引用に示したように秩父宮が「昭和天皇に天皇親政を意見具申する」直前に、昭和天皇が鈴木貫太郎侍従長から「秩父宮による天皇の地位簒奪の動きあり」との風評が巷に出回っていることを聞かされる場面が出て来ますし、同9巻第68話には貞明皇后[大正天皇の妻で昭和天皇・秩父宮の実母]が、(この時点で昭和天皇は跡継ぎとなる男児を未だもうけていなかったため)皇后お気に入りの秩父宮に譲位すべく密かに画策する様も描かれています。秩父宮本人にはその気は無かったかもしれませんが、当時の不穏極まる社会情勢を鑑みるに、「宮廷革命」は十分起こり得た「歴史のif」だったように私には映りますね。もしそれが実現していれば、昭和史は今とは随分と様相を異にしていたように思います(どの道戦争には突入していたことでしょうがw)。
>『重力の使命』を確保
あら嬉しい(笑)。今にして振り返ると地球人とメスクリン人の関係性の描き方において「未開の植民地に住まう原住民らに恩恵を施す宗主国の人びと」が透けて見えなくも無いんですが…まぁ難しい事は考えず楽しんで読んで頂けたなら、オールドファン冥利に尽きるというものですw。
>「人や組織は間違う」「にも関わらず神聖化(永続化)する」のが問題
マルクスの唱える「科学的社会主義」によると「国家が強権的に計画経済を行う“過渡的段階”としての社会主義体制を通過することで、人々は物質的に豊かになり道徳水準が向上していく。やがて「各人はその能力に応じて働き、各人はその必要に応じて受け取る」共産主義体制が実現した暁には、国家は不要な存在となり死滅する。」らしいですが…まぁ旧ソ連や今の中国の例を引くまでも無く、科学どころかマルクスの個人的信仰(=思い込み)に過ぎないことが判明する結果に終わってしまいましたねw~(苦笑)。
>今週の読書
昔ハマった著者と言うこともあって(↓)。
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戦前に創建された実在の精神病院(北杜夫の実家)をモデルとする、祖父・子・孫の三代に亘る栄枯盛衰ぶりを描いた長編群像劇です。いわゆる聖人君子など一人も登場せず、成り上がり&俗物根性丸出しの、要するに現代の私達同様の「小市民たち」の日常が時系列に沿って描かれてゆきます。前半はユーモアとペーソスとがいい塩梅で同居する「どくとるマンボウ」テイストが強めで楽しく読めました(特に病院の創立者の祖父(楡基一郎)のキャラ造形は秀逸の一言!)が、後半戦は一転して戦時色が強くなり、「先の大戦モノ」に在りがちな銃前銃後の重苦しく陰惨な描写が殆どになってしまったのは何とも残念でした。
ジャンルとしては叙事詩ということになるんでしょうが、同じく「個性豊かなどうしようもない人達」が多数登場する同系統の作品なら(『百年の孤独』は別格として)、個人的にはだいぶ以前に読んだジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』の方がより軽妙洒脱で、家族の絆から生まれた復讐譚の要素なんかもあって楽しめたかなぁという印象ですね(こちらもかなりな長編ですが)。
>何者かにならなくても、なれなくても、楽しい人生は作れる
同感。将来無事に賃金奴隷を「卒業」出来たら、手遊びにピアノでも習ってみようかな ― そんな気を起こさせる作品でした。