MENU

いろはに「私も好き」って言わせなかったのは上手いな

>私、悟くんといるとすっごくワンダフルなの。普通のワンダフルじゃなくて特別なワンダフルなの!
>自分の気持ちを自分の言葉で伝えるいろは

 未就学女児の代表たるいろはが、「(恋愛的な意味での)好き」という未知の概念を自分なりに言い換えて理解しよう(そして悟に想いを伝えよう)と藻掻きながら成長していく有様が丁寧に描かれていましたね、教育アニメの面目躍如というところでしょうか。しかしメイン視聴者らのその人間的成長は、同時にプリキュアシリーズからの「卒業」を意味するというのも制作者にとっては辛いところですが(笑)。


>今週の読書

 今週も日曜出勤だったので、一冊だけプレゼンしますね。引用が多い点はお許しくださいw。

 ●高島俊男『漢字と日本人』文春新書2001
  https://amzn.asia/d/0DQ6ROC

◆◆◆

…日本が中国から漢字をもらったことをもって、恩恵をうけた、すなわち日本語にとって幸運なことであったと考える人があるが、それもまちがいである。それは、日本語にとって不幸なことであった。…… 日本語は、みずからのなかにまだ概括的な語や抽象的なものをさす語を持つにいたっていない段階にあった。日本語が自然に育ったならば、そうしたことばもおいおいにできてきたであろう。しかし漢字がはいってきた ― それはとりもなおさず日本語よりもはるかに高い発達段階にある漢語がはいってきたということだ ― ために、それらについては、直接漢語をもちいるようになった。日本語は、みずからのなかにあたらしいことばを生み出してゆく能力をうしなった。(p.23~25)
――
 人類は数万年前から言語をもちいてきた。そのながい歴史の中で見れば、文字が発明されたのはごく最近のことである。また、地球上のすべての言語が文字を持つわけではない。文字を持つものはむしろ少数である。それら文字をともなわぬ言語は十分にその役割をはたしたし、現にはたしつつある。文字なき言語は決して不備な言語ではない。すなわち、文字は言語にとって必然のものではない。ひとり日本語のみが例外である。その語彙のなかば以上は、文字のうらづけなしには成り立たない。

 もとより最初からそうであったのではない。漢語伝来以来以前数千年、あるいはそれ以上にわたって、日本語は、音声のみをもってその機能を十全にはたしていたはずである。文字のうらづけなしに成り立たなくなったのは、千数百年前に漢語とその文字がはいってからのち、特に、明治維新以後西洋の事物や観念を和製漢語に訳してとりいれ、これらの語が日本人の生活と思想の中枢部分をしめるようになって以来である。

 現代の日本においては、ごく身近で具体的なものや、動作や形容には、本来の日本語(和語)がもちいられる(みちをあるく、やまはたかい、etc.……)。これらはもちろん音声が意味をになっている。耳できいてわかる。文字のなかだちを必要としない。しかし、やや高級な概念や明治以後の新事物には漢語がもちいられる……。これらの語も無論音声を持っている。けれどもその音声は、文字をさししめす符牒であるにすぎない。語の意味は、さししめされた文字がになっている。たとえば「西洋」を、ひとしくセーヨーの音を持つ「静養」からわかつものは「西洋」の文字である。日本人の話(特にやや知的な内容の話)は、音声を手がかりに頭のなかにある文字をすばやく参照する、というプロセスをくりかえしながら進行する。

 くりかえしのべてきたごとく、もとの漢語がそういう言語なのではない。漢語においては、個々の音が意味を持っている。それを日本語の中へとりいれると、もはやそれらの音自体 …… は何ら意味を持たず、いずれかの文字をさししめす符牒にすぎなくなるのである。

 しかも日本語は音韻組織がかんたんであるため、漢語のことなる音が日本語ではおなじ音になり、したがって一つの音がさししめす文字が多くなる(たとえば小、少、庄、尚、etc.…はいずれの音も「ショー」)……日本の言語学者はよく、日本語はなんら特殊な言語ではない、ごくありふれた言語である、日本語に似た言語は地球上にいくらもある、と言う。しかしそれは、名詞の単数複数の別をしめさないとか、賓語[≒目的語]のあとに動詞が位置するとかいった、語法上のことがらである。…… しかし、音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない、という点に着目すれば、日本語は、世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊な言語である。音声が意味をにない得ない、というのは、もちろん、言語として健全なすがたではない。日本語は畸型的な言語である。と言わざるを得ない。

 では、日本語は健全なすがたにかわり得るのであろうか。日本語は畸型のままで成熟してしまった言語であるから、それは不可能である、とわたしは考える。これをしいて完全に正常なからだにしようとすれば、日本語はきわめて幼稚なものになってしまう。…… 漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である。それも、からだに癒着してしまった重荷である。もともと日本語の体質にはあわないのだから、いつまでたってもしっくりしない。しかし、この重荷を切除すれば日本語は幼児化する。へたをすれば死ぬ。この、からだに癒着した重荷は、日本語に害をなすこと多かったが、しかし日本語は、これなしにはやってゆけないこともたしかである。腐れ縁である。(終章:やっかいな重荷(p.240~246)より抜粋引用)。

◆◆◆

 著者は中学文学専攻の学者さんみたいですが、一般向けの啓蒙書を数多く手掛けられた方のようですね。

 確かに我々日本人が、耳にした「音声」を、頭の中で素早く「文字(=漢字)」に置き換えてその内容を把握するなどという“離れ業”を、日常的にかつ半ば無意識のうちに行っている(例:「コーコーモノノコーコーセー 」⇒ 「孝行者の高校生」)というのは考えてみれば凄いことなのかもしれない。しかしそれはむしろ日本語が、文字を介さず音声だけで意志疎通を行うことがほぼ不可能な言語へと「ガラパゴス的進化」を遂げてしまったが故の、いわば苦肉の策である…そう著者は言いたいみたいです。

 これまで「日本語特殊論」は、兎角「ヤマト民族」なるものを特別視したがるナショナリズム礼賛者らに受けのいい妄言だとばかり私は思っていましたが、多言語と比較して極めて単純な音声構造と借り物の文字(漢字)という観点から日本語の特殊性(優位性に非ず)を論じている文章は初めて目にしたので、個人的には大変勉強になりました。


>よく日本人は社会人になると勉強しないみたいなこと言われるけど「やってるよ」って思う

 同感です。私がこれまで渡り歩いた中小企業では、確かに大手企業のように研修会あるいは資格取得に向けた勉強会こそありませんでしたが、公立の中・高指定の教科書は数年ごとに必ず改訂されますし、また入試制度の見直しに伴って出題形式も大きく変動しますし、結局現場の講師一人ひとりが己の授業スタイルをこまめにアップデートしていかないと忽ち生徒減少 ⇒ おまんまの食い上げへと繋がってしまうため、勉強したくなくてもせざるを得ないというのが正直なところですね(泣)。


>足利将軍たちの戦国乱世

 裏切り・寝返り・手の平返しが日常茶飯事過ぎて、足利将軍にも大名にも誰ひとり「個性的な」人物が居ませんでしたw(苦笑)。確か『菊と刀』でしたっけ、「主君に終生忠義を誓うのは家臣の務め」なる儒教の教え(?)を文字通り実践したのは、日本史広しと雖も「中国大返し」で明智光秀を討伐した羽柴秀吉と、かの「忠臣蔵」で名高い四十七士のたった二例しかない、とか書いてあったと記憶していますが、それが実に「腑に落ちる」読書でした。

編集・削除(編集済: 2024年10月07日 22:45)

プリキュア以外辛口おじさん

>悟よりいろはが見劣りしてしまう
 大きなお友達的には悟の方に肩入れするよねw 一途に想い続けて行動するキャラってそれ自体好感度高いし。でもそれをそのままやっちゃうと政近とアーリャみたいに、このヒロインは言われるがままのお飾りか?ってなっちゃう。「ここで決めなきゃ女がすたる!」って言ってこそのプリキュアよ。
 話的には無自覚だったことに直面させられるいつもの恒例行事に男の子を落とし込んだ格好ですね。


>スウェーデンのリカレント教育
 『みんなの教育 スウェーデンの「人を育てる」国家戦略』っていうスウェーデンで20年以上教師をやっている日本人が書いた本を借りたけど、読み流して投げた。
 だって良いことしか書いてないんだもん。文章の端々から「あ~これ失業率高いんだろうなぁ」みたいなツッコミどころがチラホラ。移民にも寛容って書いてるけど、最近500万やるから帰ってくれみたいな政策やりだしてるんだよね。
 本来教育って社会システムや技術、産業構造を背景にして発達していったものでもあるから雇用や国内情勢とセットで語らないと片手落ちになるんだよね。言い換えれば裏事情に触れない論説は読むに値しない。

 欧米でのリカレント教育は実業とリンクしていて社会機能の面でも意味がある。けど、日本がそれを見習うべきだって主張には疑問符がつく。実際普及していないのがその答え。
 よく日本の詰め込み教育、班分けしてそこで集団行動を学ばせる教育が批判されたりするけど、この教育や社会だからこそ日本人って良い意味での均質性と水準が確保されている。柔軟性と知識を持っているから労働者として使いやすい。また日本では中小企業が多くて非効率的と批判されるけど、これはこれで失業者の受け皿になりえる。賃金が概して低いのも失業率とバーター関係にあると見れば、日本はそこそこの能力を持った多くの人がそこそこの給料で食えている社会として機能している。この実情を無視して借り物の理念だけ言われてもね。


>電気工の転職先
 米国労働省のサイトに行っても情報引き出せねぇw
 たぶんChief Executivesは独立してるんでしょうね。前にあげた https://www.tryeting.jp/column/10945/ でも独立して10万ドル以上を稼ぐ「シックス・フィギュア・アーナー」の話あったし。
 他の2つはAIチャットに聞いても似たような答えになるけど日本で言う支店長や部長、工場長になるみたいですね。あるいは親方(職長)的なポジションも含むのかなぁ。部下あり管理職的な。おそらく実務経験にプラスして主任技術者系やマネージメント系の資格を取ってキャリアアップするんだろうと思います。


>デンマークでは『学び直し』はないという事実(リンク先)
 バランスが取れた記事ですね。まあ、一般の労働者にそんな高度な教育や技能は必ずしも必要ないんだけど(苦笑)。仕事してれば必然的に変わっていくものでもあるし。今やレストランでもロボット給仕が普及してるけど、みんな普通に扱えてるしね。

 私、大企業で働いていたから実感としてあるけど、少なくともその会社では社内教育は定期的にやっていました。
 若手向け、中堅向けに研修センターで技術や知識をアップデート(平準化)する。もちろん現場でも教える。職場によっては各自テーマを選定して講師役になる勉強会を会議時間にやることもある。支店に集められて支店長の前でプレゼンする企画もあった。これを高卒までもが平然とやっていると言ったら海外の人は驚くんじゃないかな。裏事情としては「技術力向上を職場で図っています」って上にアピールする目的もあるんだけどさw いずれにしても支店を跨いで研修会をやったり、異動で人が定期的に入れ替わるから長期的に見ると知識や技術が更新・平準化していく仕組みになっている。
 だからこれもよく日本人は社会人になると勉強しないみたいなこと言われるけど「やってるよ」って思うんだよなぁ(苦笑) こういう教育や研修も踏まえて社内選抜されている。10年も20年も仕事してれば他所や他部門とネットワークができる人も出てくるし、若手中堅のリーダーとして活躍する人も出てくる。日本企業は大部屋で仕事するから横の繋がりや交流が多くて有能な人なら自然とマネージメント能力が身につく。要はやろうと思えば社内で勉強することも(手当や役職はない)リーダーになることもできる。海外はこれを金を払ってやりにいくみたいな話よね。
 まあ、中小企業だと給料水準が大企業より劣るせいで割に合わないだろうけど。


>パロディとはいえ聖母像を残酷な拷問具に用いることは、キリスト教の聖母を冒瀆することにほかならない
 言われてみれば確かにw

>足利将軍たちの戦国乱世
 「サイコロ振って6が出たら死亡」ってルールがあるかのように病死が多くて草。


>具体的な進捗を見せられないと弱い
 テキトーに掘った穴を雑に埋めてる感あるよね(辛辣)

>ダンジョンの中の人
 絵の雰囲気のわりにダーティさがある作風だけど「辺境で魔物とスローライフ」でも通じるよね。

編集・削除(編集済: 2024年10月03日 13:15)

先週はみょ〜に時間が無かった…気がする。

 …と、調査不足についての言い訳は済ませておいてw
 「リカレント教育」の言い出しっぺはスウェーデンで、それに目を付けた「経済協力開発機構(OECD)」が加盟国に向けて奨励している様ですね。
 つまり政府主導のトップダウンな政策なので、ある程度の効率の悪さは致し方無いかと…

 スウェーデンの詳細(https://www.kokuyo-furniture.co.jp/solution/mana-biz/2021/05/post-559.php
 この国くらいガチでやってると、「仕事辞めてもお金貰いながら学校通える」なんて事もある様ですが、多くの国では働きながら学校に通うスタイルも存在するみたいです。
 後、スウェーデンは人口が少ないので、成る可く多くの国民に長期間働いて貰える様に、知識やスキルをアップデートする場としてリカレント教育を提供するという狙いもあるみたいですね。

 調べていて兎に角目に付いたのが、知識やスキルのアップデートの必要性と欧米の転職率の高さ。
 米国では「18歳から52歳までの34年間に平均で12.3の仕事につき、とくに18歳から24歳の間にこのうちの約半分にあたる平均で5.7の仕事についていた」なんてデータも見掛けました。
 これは想像でしかありませんが、上記が常識の職場環境ともなれば、右も左も入社したての新人ばかりで「この道ウン十年の大ベテラン」なんてまず存在しないし、居ても知識もスキルも古い老害認定されそうだと思います。
 現場での経験値が蔑ろにされている…って事はないでしょうが、転職されるリスクの高さを考慮したら、社内の機密にアクセスしかねない現場で経験を積ませるより、オープンアクセスな最先端の知識と技術を持っている人材を取っ替え引っ替えする方が安全ではないか?…という考え方もできそうですね。

 勿論いっしゅうさんが指摘する様な問題点も国によってはある様です。お金が掛かるから教育の充実度合は景気に左右されたり、劇的な昇給や職種替えは起き難い、勉強したくなくても勉強しないと飢え死にする、仕事と勉強の両立の難しさ、転職に失敗して食いっ逸れる、落ち零れ低学歴救済の意味合いが薄い…等。

 因みに米国労働省のサイトで、建築業種の電気工の一般的な転職先と給料の変遷が見られたのですが、転職後給料が上昇したのは49%で給料の上昇度合は時給換算で、

 Chief Executives(最高経営責任者?)…$61.67
 Software Developers and Software Quality Assurance Analysts and Testers(ソフトウェア開発者とソフトウェア品質保証アナリストおよびテスター)…$24.68
 General and Operations Managers(ゼネラルマネージャー及びオペレーションマネージャー)…$21.44

 …のトップ3となってました。

 最後にここ(https://note.com/happinesstech/n/neb471aadb719)とか、比較的日本人的な感性かつフラットな視点でリカレント教育を評価していたと思います。


>ときめきわんだふる!
 意外と泥臭かった悟視点の恋物語。
 でもこれこそが今までのプリキュア男子に欠けていたものかも知れない。「下心」も良く言えば「切実さ」「必死さ」になる。
 故に悟には「それは嫌だ!」と言える。こういう背景が無いと、何処ぞのお人よしみたいに青いクズに惚れた女を譲ったりしてしまうのだと思います。
 とはいえ背景を強化してしまうと、悟よりいろはが見劣りしてしまうリスクもあったという訳か…故にバトンタッチして次回に続く…と…
 いやーホント良い仕事しましたねぇ、あの羊w(ジンギスカンの仕度をしながら)


>戦国妖狐 総集編
 近年稀に見るコテコテの総集編に少し心配になるw
 改めて見返すと、主人公の目的は二転三転しても良いけれど、具体的な進捗を見せられないと弱いって事が分かりますね。
 主人公が替わってもそこが変わっていないのが宜しくないなぁ…などと。

>ダンジョンの中の人
 作者「俺の考えた最強の設定を見てくれ。こいつをどう思う?」
 ワイ「ほーん。で?」
 設定で物語は作れない事のお手本みたいな作品だったかと。
 ダンジョン運営もほぼ外敵との外交に重点が置かれていて、「転生したらスライムだった件」みたいな異世界転生者が自分の国を運営するパターンとの差別化ができてないんじゃないかな、と思いました。

>サクナヒメ
 やはりゲームをアニメにするのは難しかったか…(遠い目)
 ゲーム要素を説明しないとどうしても分かり難い所が出て来る反面、ゲーム要素の説明をするとどうしても嘘臭さが酷く出てしまう…
 それでもこの作品は健闘していた方だと思いますが、結果、ゲームをクリアした前提で観る様な作品になってしまった様に思います…

編集・削除(未編集)

まさかの「以下次週に続く。」

>この告白イベントはむしろいろはのためにあると言っていい
 
 厳密には主人公ではないこともあって、いろはの成長回は無いかとばかり思っていましたが…俄然面白くなってきましたね。ただ恋愛エピソードはメイン視聴者(未就学女児)が共感できるものなのかしらん?


>中国は中国でちょっと特殊というかやっぱり歴史的背景が大きく絡んでます
>教育が平等主義だからといって、雇用までを平等(より正確には「社内において平等」)ってのはちょっと違う

 成程、たった一つの事実を拡大して、全体を「分かった気になる」のは危ないというのが今回良く分かりました(苦笑)。『日本社会のしくみ』はまだ読んでいる途中ですが、いわゆる終身雇用や年功序列などの、大企業における「日本型雇用慣行」も、日本の「伝統」と言えるほどの歴史と普遍性を持つ訳では無いということを再認識させられているところです。一見地味に映りますが、各種統計データを地道に積み上げて、帰納的かつ慎重に論を紡いでいく著者のスタイルは非常に好感が持てますね。昨今は単なる思い付きだけで持論を展開する自称「社会学者」らの華やかな言説が、巷には溢れかえっているだけに。

 
>今週の読書

●浜本隆志『拷問と処刑の西洋史』2007新潮選書/2024改訂・講談社学術文庫
 https://amzn.asia/d/glWChO9
 何ともおどろおどろしいタイトルと表紙ですが、「ヨーロッパ史の光と影」を扱った至って真っ当な啓蒙書でした。極めてざっくりとではありますが、異端審問、魔女裁判、動物裁判、拷問器具および各種処刑法、処刑人という職業に纏わるトリビア(収入額や副業)などなど、一冊で「中世ヨーロッパの暗黒面」に関する概説的知識が得られるのはおトク感があります。文章も一般向けを意識していて平易で読み易いし、個人的にはおススメです。

◆◆◆

 異端審問は、魔女狩りほど詳細な記録が残っていない。しかしこれは本来、カトリックに改宗・懺悔させることを目的としたので、刑罰としては「最初に死刑ありき」ではなかった。改宗した者は、十字架を背負う刑、贖罪、巡礼、厳格な礼拝という制裁を科せられたが、その後、社会へ積極的に迎え入れられているという側面もある。魔女狩りの場合と比較するとこの点が大きく異なり、異端審問の方が処刑率が低かったのは歴史的事実である。(本書 p.55より)

――

 異端審問や魔女裁判の根拠は、今日の目から見れば荒唐無稽であり、拷問も現在では無条件に非人道的な行為だと弾劾できる。しかしその視点に立つならば、残酷さの本質に迫ることが困難である。当時の人びとにとっては、問題はそれほど単純ではなかった。神は本来、人間の魂を救済する絶対的な存在であり、異端や魔女は悪魔と契約を結んで、人間を破滅させるものであった。だから裁判官や刑吏は、悪魔と結託した異端や魔女をキリスト教社会へ取り戻し、救済しなければならないと本気で考えていた。

 したがって魔女狩りの関係者の多くは、悪意をもって無慈悲に残虐な行為を行っていたというより、むしろ魔女の存在を憎み、自分の職務を忠実に全うしようとしていた。裁判関係者の大部分も、敬虔なクリスチャンであり、かれらは拷問の際に被告に聖水をかけ、神が真実を啓示してくれるよう祈っている。

 被告の方も、どれほどの拷問を加えられても、無実であれば神が救済してくれるはずであると固く信じ、拷問を受けながらもキリストの加護を念じていた。それゆえ異端審問や魔女裁判は、キリストの名において実施された一種の「神判」であった。この「絶対的な神」は、裁判所側と被告側の座標軸の原点にあるが、両者の信仰の食い違った「二重構造」のなかに、裁判所という権力装置の底なしの暗黒面がクローズアップされてくる。(本書 p.270~271より)

◆◆◆

「職務への忠勤」と「揺るがざる自己の信念」とのガチンコ勝負から生れる歴史の暗部か…まさに「地獄への道は善意で舗装されている」そのままだなぁw(溜息)。以前に話題になったガリレオ裁判も、ガリレオが素直に「自らの些細な過ち」を形の上だけでも「悔い改め」さえすれば無難に結審したはずなのに、あくまで「全面勝訴」に拘ったために事態をややこしくしてしまったことにも符合する内容ですね。

 なお本書によると、拷問器具として悪名高い「鉄の処女(Iron Maiden)」は実在しなかったんだとか(↓)。忌まわしき刑罰道具の名称に信仰対象の名前を冠するのは、言われてみれば確かにおかしな話ですものね。

◆◆◆

 中世以来、身持ちの悪い娘は、棘も頭部も無い樽に入れられ、市中でさらし者にされたが、人びとはそれを「処女のマント」あるいは「恥辱の樽」と称した。この刑は、制裁や名誉剥奪のためにドイツだけでなく広くヨーロッパ各地で行われていた。…… シルト教授は以上の調査を踏まえ、「鉄の処女」は17~18世紀に……「恥辱の樽」から生まれたもので、拷問・処刑を目的に製作されたものでないと強調している。したがって「鉄の処女」伝説は、「恥辱の樽」の風習と、異端狩りや魔女狩り、マリア信仰が融合して生成されたということになる。…… たしかに、地下の拷問室がヨーロッパ各地に存在したのは事実である。実物も残っているし、そこにたとえ「聖母マリア像」が安置されていたとしても、罪を告白させるためであれば、それじたい不自然なことではない。

 しかしカトリックが「聖母マリア」をイメージした拷問具を作成することはありえない。というのもスペインの異端審問の目的は、処刑することにあったのではなく、異端にまどわされている被告をキリスト教側に復帰させることにあったからだ。スペインでは異端から回心し、懺悔をすればほとんど命は助けられている。マリア信仰の厚いカトリックが、パロディとはいえ聖母像を残酷な拷問具に用いることは、キリスト教の聖母を冒瀆することにほかならないことであった。(本書p.172~179より)

◆◆◆

 あと今週はこれ以外にも、山田康弘『足利将軍たちの戦国乱世 ― 応仁の乱後、七代の奮闘 ― 』中公新書2023も読みました(https://amzn.asia/d/a46TIxt)。10代将軍足利義稙(よしたね)と14代将軍足利義栄(よしひで)の墓が、いずれも徳島県にあるとは知らなかったなぁw。昨今では織田信長に先んじた「天下人」と評価されることもある三好長慶(ながよし)も徳島県出身の戦国大名ですし、戦国初期は私の地元(四国)が珍しく歴史の表舞台に立った時代なので面白く読めました…とはいえ、地元のコアな歴史ファン以外の興味を惹きそうにないテーマですから今回プレゼンは割愛しますねw。


>これが"通"の選び方

 仕事の疲れもあるから、わざわざ時間帯を選んで足を運ぶのは中々難しいかなw。


>これバトル要素いる?

 成長を描く手段として分かり易いのはやっぱりバトル、ということなんでしょうけれど、やや取って付けた感が否めませんでしたかねぇ。個人的にはもっと稲作に特化した話が観たかったかな。他にもサクナの愛読書の作者がココロワであるとか、ゆいの正体のネタ晴らしとか、折角の各種設定が置いてきぼりを喰らったように思いました。

編集・削除(編集済: 2024年09月30日 22:52)

雇用制度と教育制度はリンクしている

 映画の席取りは休日で客入りが一番多そうな時間(今の映画館は事前予約が多いので埋まり具合を確認する)。座席は後ろの中央をとって全体を視界に入れられる位置取り。
 これが"通"の選び方な?


>早期にゾーニングされてるから露骨な序列が付き難い
 『日本の15歳は~』によると小学校で留年すると年下の子にバカにされるみたいだよ。たぶん年下と同じクラスになるんだろうね。そりゃバカにされるし邪険にもされるよね。大学とかなら家庭の事情や本人の問題もあるし、そういう人もいるよねって納得のしようもあるけど、ガキンチョではなぁ。

>学び直しで全体的な帳尻は合うのでは?
 あっちは若者の失業率が高かったり、大学が実質資格認定学校になっているのを除いても、単純な疑問として子どもの頃に勉強できなかった奴が大人になって勉強したがるのか? 勉強できるのか? 学習効果や効率は子どもの頃よりも落ちるのでは? (公的補助はあると思われるが)学習費用や生活費、休業(失業)中の機会損失とか考えると効率悪いな~って気がするなぁ。
 そもそも論として、日本人に限らず欧米人も勉強したくて勉強しねーだろっていう。みんなそんなに勉強したいか? 私の経験としても仕事しながら資格勉強とか昇格試験の勉強とかかったるくてしかたなかったぞ。かといって資格や試験にパスすると劇的に昇級するとかにするとみんな仕事じゃなく勉強を優先するようになる(と中途採用された人が前職について話していた)。

 リカレント教育ってあまり理解してないんだけど、例えば工業高校を出て電気工として10年働いた人が弁護士なるとか、医者になるとか、ITエンジニアになるとかそういうことではないんでしょ? 普通に無理だし。第2種電気工事士の資格持ってる人が第1種とるための学校みたいな話でしょ? ジョブチェンするにしたって実務経験は欲しいし、参入障壁が低い(熟練度が低い)仕事なら報酬も安くなりがちだし、いまいちピンと来ないんだよなぁ。大学の受け皿(利益確保)のための喧伝なのかなって思うくらいで。
 失業者対策(実際その目的もある)や職務制によるキャリアアップ狙いって話なら理解できる。学歴も資格もない底辺が学校に行って最低限の資格を取れれば就職もしやすい。逆に言えばそうしないとまともに就職できない事情があるのかもしれないけど(職務制の場合若年層は基本的に不利)。


>効果の無い教え方①②③④
 とっかかりのない状態だと「何がわからないのかわからない」「何を知らないかもわからないから調べようもない」って話よね。ボードゲーム知らない人にボードゲーム作れと言われてもお約束も定番も知らないんだから作りようがない。
 0から1を生み出せる人間なんて稀で、1を1’にできれば上出来。大半の人間は1を1以下でしか出力できないんだよね。


>子供たちには平等な教育機会が与えられるべきなる教育的信念は~横並びに昇進していく日本特有の雇用形態を産んでいる源
 ん~それは一概には言えないんじゃないかな。儒教の本家である中国も似たような教育をしているし、あっちの雇用形態が欧米に近いなら教育法云々というよりは『日本社会のしくみ』で書かれていたように戦後の偶然と労使の妥協が産んだと考える方が妥当かもしれないし。
 ということで、テキトーに中国の雇用で検索して出てきたのが、
https://www.andrew.ac.jp/soken/assets/wr/sokenk128_2.pdf

 結論からいうと欧米に近いかなぁ。共産国で大企業は国営企業だったりするし、地域差も激しいだろうから掴みどころが難しいけど。ちなみに中国進出を考えている日本企業向けに書かれた資料が直球でわかりやすいですねw
https://www.kaigai-shien.net/files/kaigai26.pdf


 先にあげた論文によると戦前は各地でバラバラだった賃金制度をソ連を参考に「1952年前後,全国的な賃金分を計算単位とした行政区賃金の導入に着手し,多くの企業において,労働者における「八等級賃金」と幹部・技術者における「職務等級賃金」を導入した」とありますね。つまりこの時点で職務・職種によって賃金差が出る制度に改めたようです。
 で、その後文化大革命でガラっと変わって生活給(仕事の出来ではなく年齢や勤続年数優先の賃金)がベースになって、またそれを廃止して、ボーナスとか出来高による賃金制に回帰(緩和)。ここまでが70年代末。中国は大企業が国営企業だから賃金や経営にあたってはだいぶ統制していたみたいね。ただ80年代になると請負制になって企業主体で決まられるようになっていったようです。
 80年代以降は50年代のように職務・職種(業種)によって賃金に開きのある制度へ。しかし高技能&高責任の仕事に対する報酬がまだ十分ではなく、高度人材の確保を含めてより賃金差が開くような方向へ舵を切ったようです。
 中国の賃金制度は予備知識がないし、ざっくり読んでるから解釈間違ってるかもしれないけど、表を見るに賃金差に明確な差をつけているのは間違いないと思います。中国は中国でちょっと特殊というかやっぱり歴史的背景が大きく絡んでますね。

 なので教育が平等主義だからといって、雇用までを平等(より正確には「社内において平等」)ってのはちょっと違うかな。戦前までは日本もエリートとノンエリートで分かれていたし。まあ、現在は給料水準が高い大企業に選抜されるかの競争をしているって言い換えることもできるけど。


>烏は主を選ばない
 ちょっと長めのプロローグというか、これから長期シリーズとしてやっていきますよ!感満載の終わり方だなw

>サクナヒメ
 これバトル要素いる?w

編集・削除(編集済: 2024年09月26日 10:44)

「猫まっしぐら」

 まゆを観ていると、偶にこのキャッチフレーズが思い出される…w

 トラメのガオガオーンのバナナに該当する物って、ザクロには無いんだろうか?って気になってたんですが、どうやらザクロのガオガオーンは、足枷の片方が炎の様なデザインになってるみたいですね。
 そんな狼組ですが。
 プリキュア的な「絶滅」カードって、本当にそんなに強力なんだろうか?という疑問が出て来た今日この頃。
 だって狼の友達が居ないんだったら、狼以外と友達になれば良いだけですからね。
 「友達が居ない」以外の絶滅の問題点は、繁殖して数を増やせないぐらいだと思うのですが、生殖相手の問題を未就学児童向け番組でできるのか?ってのが引っ掛かる。(約一名サカってる雌が居ますが…w)
 ギリギリやれるのが、「ガオウのつがいが人間に○された」程度のメタファーだと思いますが、それだって「ガオウも幽霊みたいなモンじゃね?」ってツッコめてしまう…
 ど〜にも「社会不適合者のルサンチマン」から抜け出せる様に思えないんですよねぇ…
 …実はガオウはラスボスじゃなかったとか?今から新勢力出す話数あるんでしょうか…?

>仲間の顔を覚えて近くに誰が住んでいるか確認してる
 アマプラでBBCの猫のドキュメンタリーを観た事があるのですが、猫も猫で縄張り意識がかなり強い様ですね。
 ただし、直接遭遇しなければ縄張りが被っていてもセーフみたいなんですよね。だから時間をずらして外出したりしてるらしいw
 後、屋内は縄張りとして少し特殊みたいで、家に引き篭もって衝突を避ける猫とか、逆に他の猫と餌をシェアしてる猫とか居たりして中々に面白いw

>「姉御~一生ついていくでやんす!」
 ここで「お姉様」とか呼ばれてたらイメージ回復に一役買っていたのにww
 実に締まらないエセお嬢様っぷりよwww
 でも紅茶で舌火傷した時に、お茶吹き出したり舌出したりしなかったのは偉いw


>よく外人って「俺ってこんなにすげーんだぜ」アピールするイメージある
>あちらでは早い時期に足切りしてクラスや進路を分けることが多い
 「日本にはインテリ向けのTV番組が無い」とか「スクールカーストがあるのは日本だけ」みたいな嘆きを聞く事があるのですが、日本人の怠慢や悪癖と言われるより、上記の様に「見栄張ってるから放送できてる」とか「早期にゾーニングされてるから露骨な序列が付き難い」って説明される方が個人的には納得できますねぇ…

 社会システムと言えば、社会に出てからの学び直し(リカレント教育)がどの程度根付いているか?も考慮しなければならないと思います。
 欧米では雇用形態の影響もあってリカレント教育が盛んらしいですね。これは子供の頃に足切りされた遅咲きの人間にとって、再チャレンジし易い環境と言えるのではないでしょうか。
 つまりは、初期に詰め込むか一生勉強続けるかの違いだけで、全体的な帳尻は合ってんじゃねーの?という疑問もあるんですよね。


>烏は主を選ばない
 「マザコン雪哉のイニシエーション」って区切りで良いのかな?
 若宮に見出だされた時点で雪哉がボンクラを演じる理由(兄との跡目争いを避ける)がほぼ無くなったとも考えられる訳で、家族(母)への慕情だけで地元にしがみ付いていた雪哉が世界を知って外界へと旅立った…と思えば良いタイミングで終わったと言えなくもないかな〜と。

>特に失うものが無いアーリャさん
 リスクもコストも無いバトル展開やってるから茶番感が拭えないんでしょうねぇ…
 討論で負けたら退学!とか高熱でフラつきながら演説!とか危ない事をしている感が足りないですよね。
 妹ちゃんが「生徒会長になった暁には副会長として政近を迎える(アーリャから奪う)」ぐらい言えるルール設定にしておいた方が良かった。
 ラブコメ路線としては、政近が親の離婚で恋愛観拗らせているので、寧ろアーリャが政近を攻略する話になりそうですね。
 政近側に不義(ロシア語筒抜け、初恋相手が姉、妹の存在を黙っている、等)があるとはいえ、それもアーリャがどう乗り越えるか?って話でしかなさそうだし。

編集・削除(未編集)

最近休日出勤だらけだな(泣)

>『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』

 読了しました。仰る通り何とも煽情的な「売らんかな」的邦題ですね。『最良の教育を求めて ― ある英国人女性から見た世界「教え方」探訪記』ぐらいで良かったんじゃないかなw。「15歳までは能力別クラス編成を行わず、出来る子もそうでない子も一律のカリキュラムで指導する。」比較的近年に成立したフィンランドの教育システムが日本のそれと良く似ているという指摘を含め、塾講師の端くれとして興味深い話が満載でした。恐らく本邦におけるこの「(少なくとも中学卒業までは)万人に同じだけの能力があるから、子供たちには平等な教育機会が与えられるべき」なる教育的信念は、『日本で働くのは本当に損なのか』でも指摘されていた「(課長ぐらいまでは)学歴とはあまり関係なく、人事異動という名の社内での再チャレンジを与えられつつ横並びに昇進していく」日本特有の雇用形態を産んでいる源でもあるんでしょうねぇ。

 あとちょっと意外だなと思ったのと同時に「やっぱりな」とも感じたのは、国を跨いだ様々な調査から「効果の無い教え方」だと判明した、以下の項目でした(本書p.292より)。

 ① 子どもの能力を賞賛する。
 ② 要点を生徒自身に見つけさせる。
 ③ 生徒たちの好きな学習法に教師が合わせて教える。
 ④ 教師が教え聞かせるのではなく、生徒たちに常に何らかの活動をさせる。

 ①の間違いは、褒めるべきは子どもの能力ではなく、結果を出すための努力や工夫の方なんだそうです(そういや昔どこかの英語入試問題に「結果(立派に描けた絵とか試験の高得点とか)を褒めると、生徒は『既に賞賛を受けているのだからこれ以上努力しても無意味どころか、むしろ評価を下げるリスクを高めるだけ』と考えて、更なる学習へのモチベーションを失ってしまう」なる主旨の文章がありましたわ)。②~④は簡単に纏めると「生徒の自主性に委ねる」ということでしょうが、本書によると生徒が「何一つ弁えていない」学習の初期段階ではむしろ逆効果なんだとか…そういや先日、仕事場の近隣の公立中学校の英語の授業で、まさに②~④そのままの指導法を受けていると塾生から聞かされましたっけ。確かにその塾生(中1)も「先生が前で黒板を使ってちっとも教えてくれないので、教科書の内容がさっぱり分からない。」と愚痴っていました。


>どこで訓練しているんだ?ってくらい統率取れてた。

 チュートリアルが確か一回あっただけだったので私個人は観ていて分かりにくいと感じたんですが…マジですか、昨今の未就学女児は凄いなぁ(苦笑)。

 私はスクリーンからの距離が全体のほぼ真ん中の席に座っていたんですけれど、私より前の席には幼女先輩含め観客が一人も居なかったんですよねw。私よりかなり後ろの座席に家族連れがチラホラ居たかなという程度で、公開直後の三連休の最終日(9/16)にしてはちと淋しい客入りでした。だから今年は上映中の幼女先輩らの反応が今イチ摑めなかったのが残念でしたね…まさか後ろの座席の様子を見るためだけに何度も振り返る訳にもいきませんしw(それこそ不審者扱いされますから)。


>つまり実情に合わせてそれなりに上手く運用されている、という認識

 私も一読して同じ感想を抱いたので、仰る通りかと思います。プライバシーを洗いざらい曝け出されたくなければしっかり手に職を付けておけ、ってことなんでしょうね。そもそも歴史的に見て「(配偶者男性との死別・離別または未婚を問わず)単身女性の救済そのものを企図した法律というのは、2001年のDV防止法成立以前には日本には無かったみたいですから。

◆◆◆

 主要な稼ぎ手となる男性パートナーを持たない女性のなかで、もっとも早い時期から保護が行われてきたのは、子どもの養育をする母親だった。しかし対策の成立時期や給付水準は、母子世帯となった理由いかんで異なっている。軍人遺族は他の母子より優先される一方で、死別母子世帯と比べて離別母子世帯や未婚の母は給付制度の創設も遅れ、給付水準も低かった。この対応の段階的な差は、近代家族に適合的かつ国家にとって有用な順につけられており、望ましいとされる生から逸脱して離婚したり未婚のまま母親になった女性は、そのモラルが問われて不利益を被ることになった。

 一方単身女性への対応は、その成立当初から、母親に対するものとは異なる系譜にあった。売春婦に対する救済措置として、人権を守ることよりも治安維持や性モラルの維持という点から発展してきたのである。そこには売春婦に対する蔑視がともなっており、のちには処罰まで加えられたが、買春する側の責任が問われることはなかった。そしてこの売春婦への対応が、放置しておけば売春する「おそれ」があるという認識のもとに、売春にとどまらないさまざまな困窮状態にある女性を保護するものとしても機能していった。このように、一般的な婚姻制度から逸脱した単身女性は、近代家族を脅かす存在であり、保護と一体となった処罰の対象とされたのである。(前掲書 p.94-95より引用)

◆◆◆

 歴史的に見た場合「家事労働を押し付けられた無職女性」は、既婚の場合であっても「一家の大黒柱たる男性」や「未来の日本国を担う子ども」の単なる添え物として、未婚の場合であれば予防拘禁の対象すなわち犯罪予備軍として、国家にとっては長らく「止むを得ず慈悲(生活保護)を施さざるを得ない社会の厄介者」でしか無かったということみたいですね。まぁ、それが国家というものなのでしょうけれど。


>選挙戦が画面映えしない上に茶番感(ごっこ感)しかないのが致命的

 2期があるかどうか分かりませんが、あったとしても多分観ないかな。会長選挙の争点にせよ、どちらが生徒会長に選ばれるにせよ、「別にどっちでもええがな」的な感想しか湧いてきませんしねぇ(苦笑)。


>映画に本編にキラリンキツネが引っ張り凧

 ガオウ様の正体は闇落ちしたキラリンハムスターだったりしてw。

編集・削除(編集済: 2024年09月24日 15:10)

「ゆき」って名前のキャラ、みんな癖が強すぎる

>フレンドリングの使いどころがちょっと説明不足
 私が見た限りでは普通に子どもみんな振ってたよ。キャラクターショーとか見てるのかな。どこで訓練してるんだ?ってくらい統率取れてた。

>ラスボスの行動原理が終始謎
 あれは解説のしようがない。こむぎにお鉢を回すために接点持たせてるだけだろうし。今回のボスは舞台装置であって言及の対象ではないですね。
 ナツキは身バレ防止だと思うけど、なぜに中二病みたいな仮面を選んだのか、それがわからないw


>社会保険と社会福祉の二重構造
 つまり実情に合わせてそれなりに上手く運用されている、という認識でいい?
 欧米で女性が働いているのって、そうしないと離婚したときとかに困るからって(理由もある)話だし。自立するってそういうことだからね。リスクヘッジは自分で負担する。


>働けば働く程収入の増加などが期待できていた
 私の父親(団塊世代。製造業)は30代で現金一括払いで家を建てたけど、よくそんな金あったなって聞いたら「残業した分だけ金貰えたし、なんとかなったんだ」って言ってましたね。
 バブル崩壊以降は特に製造業が海外移転したり効率化によって人員削減されたこと、入れ替わりにサービス業が増えたけど概して労働生産性が低く、賃金が増えないってのはあるかな。


>言われた仕事をこなすだけのアーリャさん
 主人公がヤレヤレ系陰キャにしか見えないww
 まー、やっぱり選挙戦が画面映えしない上に茶番感(ごっこ感)しかないのが致命的かなぁ。生徒会長になったら学校の隣にUSJ誘致しますくらい言ってほしいよね。生徒会長になろうとする動機が弱い。なるための手段が地味。なったあとで劇的な変化もなさそう。ストーリーラインが弱い。主人公とヒロインのラブコメとして見ても、ヒロインすでに攻略されてるよねっていう。
 2期でマーシャさんのパンツ解禁されるの待つくらいしかないっすね。


>小市民シリーズ
 推理オタクのイキり陰キャと自己防衛(復讐込み)のためなら手段を選ばない狂犬って種族違うよねって話。けど、クズであることには違いはないし、お互いに相手がクズだと見抜いているから一緒に置いた方が周囲の被害は減るのでは? こいつら健常者と一緒にはいられないだろ。いやまだ結論するのは早い。試しに放流してみようぜ(2期へ続く)
 っていうのがメインテーマなのかな? 半年後に2期(小説完結まで)やるので、図書館で原作借りられなければそのまま待ってもいいかな。

編集・削除(編集済: 2024年09月19日 14:44)

ニコ様に褒められても何か不安になる…

 「この程度はできて当然」みたいな含みを感じるというか…考え過ぎかなぁ…

 それはさておきスマイルボイス。赤ん坊など可愛い存在に対して猫撫で声を出す男性…ってシチュエーション自体は珍しくないと思うのですが、仕事のスキルとして説明されるとまた新鮮ですね。
 特に裏声は、出す側は結構喉に来るから大変なのに、聞く側は結構気味悪がったりしますからね…こむぎもいろはも性格上そういう反応はしませんでしたが、過去作にあった「父娘のすれ違い回」なども連想してしまいました。
 というか、動物病院&サロンの「フレンドリィ」…てっきり結婚してから開業したものかと思ったら逆だったとは…
 いろは母からはやり手のオーラを感じていましたが、随分前からヘッドもハートもハントしてたんですねぇ…w

>顧客満足度は高いかもしれないけど回転率は悪そう
 初診(?)時のみ完全予約制にして時間も長めに取って貰ってるんでは。次回以降ペットがいろは父の事憶えている事が前提ですが。
 自分の通ってる散髪屋も半ば完全予約制だし、精神科とかも初診は結構時間取られた記憶ありますし。


>60年代半ばには農家所得が勤労者世帯所得を上回った
 兼業農家って今で言う「ダブルワーク」やってんだから、そりゃ儲かってないと困るって理屈ですね。
 それでふと思い出したのが、ブラック企業って言葉ができる前は働けば働く程収入の増加などが期待できていた…って話。
 長時間労働が悪いんじゃなくて、労働時間に見合う対価が支払われなくなった事が問題だ…って言いたかったんだろうと思うんだけど、実際のとこどうだったんでしょうねぇ?
 一側面でしかない匂いがプンプンするんですが…


>社会福祉や公的扶助を利用しようとするときには、
>稼働能力の有無が厳しく問われることになる
 自分が就労支援受ける手続きをする時も、その辺面倒臭かったですねぇ(苦笑)。
 面倒臭いのは「履歴書に穴が空く」とか「家業を継いで欲しい」とか「国保が受けられなくなる」とかウダウダ言いながら、雑用ぐらいしかできる事が無い家業の正社員に押し込めて飼い○してきた両親の方だったかも知れませんが。
 兎に角、精神疾患の診断書だけでなく、無職でなければ稼働能力はあると判断されてたみたいです。地方自治体によっては無職は休職でも可の様で、何とか休職でゴリ押しました。
 …その休職も同じ職場に復職する前提でなければならないみたいですが…(復職と同時に転職や退職するのはアリ)


>クソザコよわよわな正攻法しか使えないアーリャさん
 サプライズ狙いだとは思うんですけどね〜…
 政近は再三「アーリャはそのままでも生徒会長になれる」って言ってるので、そのアーリャの誇り高さや高潔さをプロデュースするつもりなのだと思いますが…具体的な作戦を何も明かさないから視聴者との間に距離が出たのだと思います。
 そしてアーリャの方も、アーリャの生徒会長候補としての魅力を視聴者に伝えるべきなのにそれが全然できてない。というよりやっても詰まらない。正々堂々、正面突破、正攻法…字面は格好良いけど絵面は最悪ですからね。選挙なんて動きが無い戦いなら尚更。
 それが解決できない以上、搦め手や汚れ仕事などの邪道(=政近の役割)が見所になるしかないのは残念ながら当然かと。

 ぶっちゃけるとサプライズなんて要らんのですよw
 ガンダムXで例えるなら、「ガロードがベルティゴにボコされた後、ジャミルがビット対策の手本を見せて、ガロードがベルティゴに勝ってみせる。」これだけで充分なカタルシスが得られる。
 それなのに「もっと盛り上げたいから…」ってビット対策をいつまでも教えないまま、ガロードが何回もボコされてるのを見せられてる様なもんなんですよ視聴者は。
 アーリャが(政近の想定を超える?)成長を見せるのは、クライマックスに取っておきたい気持ちは分かる。(でないと政近の存在意義が途中で無くなる。)
 だからと言って、特に変わり映えのしないヒロイン敗北展開を何回も見せられても、特殊性癖が刺激されるだけでしかないんよなー…っていうww

編集・削除(未編集)

今年は映画を観るつもりは無かったのですが

 極力ネタバレ回避に努めますw。

>映画はこむぎが主役でペット側の視点に重きが置かれています

 でしたねぇ。映画全編を通して一番走り回っていたのはこむぎでしたし、例の「お婆さん」の件のところは、犬嫌いを公言する私でもちょっと胸打たれるものがありました(笑)。

 オールドファンを意識した昨秋のメモリアル映画とは違い、今年はメイン視聴者(未就学女児)に思いっ切り寄せて来て分かり易かったという印象でしたね。あと予想はしていたとはいえ、あのイケメンキャラの漢っぷりには思わず吹きそうになりましたww。

 気になったところは、フレンドリングの使いどころは劇中で複数回あったと思うのですが、ちょっと説明不足だったというのと、ラスボスの行動原理が終始謎だったところかな(直接ナツキの所に赴けばいいのに、序盤でいろは&まゆに拘った理由が私にはよく分からない…また御大の明快な解説を宜しくお願い申し上げます)。


>それにしてもナツキはなんであんな仮面つけてたんだろう

 同感です。あれじゃ逆に目立ってしまうだろうし、そもそも正体を隠す動機が不明なんですよね。


>一般的には女性が何かとマイノリティの立場として語られがち

 ●今週の読書『女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学』世界思想社2013 / 増補新装版2021
  https://amzn.asia/d/hjQw4eA

 『キノトリ/カナイ 流され者のラジオ』に触発されて読んでみました。野宿者全体で女性が占める割合は僅か3.2%(2012年厚生労働省調査)と男性に比べて圧倒的に少ないのは何故か?という素朴な疑問を解明すべく、その数少ない女性ホームレスらに直接取材を試みた報告書です。なおその疑問に対する解答は早くも本書第2章で説明されており、以下の二つに纏められます(↓)。

 ① 税制面でも社会保険制度においても、日本社会が相変わらず「主要な稼ぎ手である男性と子育てを担う女性」から構成される家族を優遇し続けているため女性の経済的自立が困難で、夫から身体的・経済的DV等を受けていても安易に離婚に踏み切れない(日本の離婚率(1000人中2.0人〔総務省統計局2012〕)は先進諸国の中でも最低レベルだとか)。

 ② 雇用保険・医療保険・年金などの社会保険を利用できない分、女性は男性よりも生活保護を受給するハードルが低い。

 ◆◆◆

 したがって、保険と扶助とのあいだには、序列が存在しているのである。そしてこの序列は、男女の分断とも重なっている。男性は、賃労働に就くことが期待されているため、なんらかの事情でそれがかなわなくなっても、社会保険に結びつきやすい。一方、女性の場合には、家庭で再生産労働を担うために、雇用期間が十分に長くなかったり、賃労働をしていても低賃金の仕事になりやすく、そうなると生活保障が必要になったときには、社会福祉や公的扶助の利用に結びつきやすい。つまり保険と扶助は二層構造になっており、男性と女性に不均衡に配分されているのである。

 そのため、男性が社会保障の網から漏れ、社会福祉や公的扶助を利用しようとするときには、稼働能力の有無が厳しく問われることになる。稼働能力があると判断されると、現実には仕事がなかったとしても、福祉や公的扶助の利用は認められずに、野宿生活に陥ることになりやすい。一方、女性の場合には、そもそも雇用保険や年金の対象にならない、社会保険の利用から排除された低賃金の働き方の人が大半を占めているため、男性と比べて福祉や公的扶助の利用が認められやすいのである。しかしその利用はスティグマをともなうものであり、利用に際して必要な資力調査は、女性本人の財産や収入だけではなく、収入をもたらしてくれる可能性のある男性関係にまで及び、生活の細部にわたって監視や管理が入り込むことになる。

 以上のように、女性は就労や社会保障の受給にあたって不利益を受けており、家を出て独立して生計を営むのが困難な社会的条件がある。しかし男性関係にまで及ぶ屈辱的な資力調査や、最低限度の生活を受け入れる限りにおいて、女性は福祉制度や公的扶助を利用しやすく、それらが路上に出る一歩手前で女性を受けとめているというのが、女性の野宿者が少ないもうひとつの理由であろう(本書p.43-44より)。

◆◆◆

 成程ね。日本社会の制度設計の在り方そのものが、女性の野宿者を生まれにくくしている要因だったということですね ― それが当事者にとって本当に「幸せ」なことなのかどうかは取り敢えず置くとして。正直後半の女性野宿者への聞き取り調査自体は今イチ心に響かなかったので、上記引用で得られた知見が本読書からの唯一の収穫かな(苦笑)。


>『職業、ブックライター。』

 世の中にはこういう職業もあるんですね。面白そうだけど好奇心旺盛で何より人間が好きじゃないと務まりそうにない仕事だなぁw(遠い目)。なお本書では自身の仕事上のノウハウを惜しげも無く公開されておいでですが、それって商売敵を増やすだけなんじゃないかと他人事ながら心配してしまいます(苦笑)。


>『日本社会のしくみ』 

 図書館に無かったんでAmazonに注文して今日届きました。新書レーベルにしてはこれまた分厚いなぁ(呆れ)…。『日本で働くのは本当に損なのか』は本日再読したので予習も完璧。これから折を見てボチボチ読んでいきますわ。


>それぞれの階層の人が自分は中流だ、将来の展望があると思えた時代の残滓というか。つまりイメージ
>1970年代後半に、日本社会は一種の安定状態になった
>「一億総中流」や「新中間大衆」といった言葉が流行したのはこの時期

 この頃私は公立の小学生だったですけれど、この「一億総中流」は肌感覚としてピッタリきます(「自分を中流だと考える」人が大半を占めているとの世論調査を当時新聞でチラ見した記憶があります)。クラスメートにしても勿論金持ちの家庭も貧乏人の家庭もあったはずなんですが(現に私の友人の一人は母子家庭でしたし)、そういった社会的格差を意識した記憶は私には全く無いですね。どこの家もみんな「同じ」で「横並び」なのが当たり前なのだとばかり思っていました。


>このアニメ全体的に回りくどい

 ちょっと前から話運びに微妙なテンポの悪さを感じていたので、そうやって言語化されるとスッキリしますね。

 今のところキングメーカー・政近に言われるがままに「駒」として動くアーリャという図式が、「女の子だって暴れたい」プリキュアイズムからすると何とも時代遅れというか何と言うかw。

編集・削除(編集済: 2024年09月17日 15:30)
合計379件 (投稿379, 返信0)

ロケットBBS

Page Top