ゲーミングメスガキ懺悔室とかいう誰一人として理解できない施設
>頭ごなしに否定することで重要性を浮き立たせる
>悪役会議そのものについては、ケースバイケース
理由付けしようとすればできるけど、毎回それにリソースを使う必然性(作劇上の決まりやスポンサーなどの製作上の制約)は無いってことでしょう。慣習的にやっているだけで。
水着回って女児向けアニメに要る?も慣習でやってたことに疑問を持ったパターンよね。でも海で遊ぶのは普通のことなんだから頑なにやらない理由もない。無くしたり復活させたりできるってことは自由裁量なわけで。作ってる人の自覚の有る無しにかかわらず、そうした業界のお約束や慣習(手癖)がたくさんあるってことなんでしょう。
>正義の組織
論旨が曖昧だったからごちゃ混ぜになってしまったかな。私は悪役会議は不要、正義の組織は解体すべきっていうような一般解を求めているわけじゃなくて、それぞれの目的論(そもそもこれは何なんだ?)的アプローチで話してます。
警察は誰のための組織かって言ったら警察のための組織、警察官が飯を食うための組織って答える。組織はそれ自体が自己保存化を図るから。だから存在してはいけないってわけではなく、そういうものだよね、と。
正義の味方ってだいたい悪と戦っているから、目的を果たしたら解散しても問題ないし単純化させやすい。一方で、なんでも屋的な正義の組織は警察と意味合い的に変わらないから追求しだすと現実の組織と同じ問題が噴出する。作品によっては腐敗したり組織のトップがラスボスになるってのもあるわけで。
そうするといくら自浄作用を効かせてもそれは「今後コンプライアンスの徹底に努め、信頼回復に全力を上げたい」と記者会見している企業と同じになる。組織人として内部改革を目指すか、独立してフリーで働くかっていうのもサラリーマンと同じ。ヒーロー兼サラリーマンをやっているパトレイバーは個人と組織それぞれの限界としてわかりやすい。
テセウスの船で言うとトヨタが紡績屋から車屋に業種チェンジしたようなもんでヒーローを組織的、継続的事業にしようとするとなおさら会社と論点が変わらなくなる。
私がヒーローは事件が解決したら出ていけ、組織はいっそ解体したらいいじゃんって言うのはヒーロー自身が異端ってのもあるけど、そうしないと会社を経営するかサラリーマンをするかっていう話になって、じゃあそもそもお前それやりたいか?っていうヒーローとはまた別の問題が生じるから。主人公がどこまで意識して視野を広げているかって話でもあるね。
>各人はその能力に応じて働き、各人はその必要に応じて受け取る
>マルクスの思い込み
マルクスのウィキペディアで「エンゲルス」を検索すると金の話多くて草。パトロンに食わせてもらってた人が労働を語るの片腹痛いよね。
>自由を手に入れたらやってみたいこと
私がボードゲームに興味も持ったのも在職中でしたね。仕事にかこつけて結局辞めてから始めましたが。でもまあ、興味があるならさっさと始めるのが無難。歳とると意欲下がるし学習能力も落ちるし。最悪死ぬし。