未知なる物への憧れが、生物学的本能(高所恐怖症)すら凌駕するラストはやっぱり感動的だなぁ(『重力の使命』)
>冒険と科学、知的好奇心の絶妙なブレンドがいい味出してました
思いの外楽しんで頂けたようで何よりですw。ハル・クレメントの作品(寡作だったことに加え邦訳作品は十指にも満たない)は他に幾つか読んだ記憶がありますが(異星人との「バディもの」の元祖とされる『20億の針』とか)、そのキャラ的魅力度においてバーレナン船長に優る登場“人”物はありませんでしたね~。
因みに英文法ではof + 抽象名詞 = 形容詞の意味を成すため(例:a man of ability = an able man [有能な男性] )、原題のMISSION OF GRAVITY = GRAVE MISSION [重要な使命]というほどの意味です。舞台となる高重力惑星メスクリンと引っ掛けた、まぁそれほど出来の良くない駄洒落ですね(苦笑)。
>ましろは『成瀬は天下を取りにいく』の島崎とよく似ています
>引っ張られる関係に見えて実は二人三脚
あ~言われてみれば確かに(笑)。“お騒がせ主人公”成瀬の言動に振り回される一方と見えた“常識人”島崎が、見事に最終話で化けましたものねぇ。最終話で成瀬が「今まで、いろんなことに巻きこんでしまったな」と反省し島崎に謝罪するも、逆に感謝されて困惑しつつ喜ぶ件がありましたが(↓)、これなんかまさに今回のソラとましろの関係性そのものでしたね。
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「わたしはずっと、楽しかったよ」
島崎の穏やかな表情を見て、成瀬は黙ったままうなずいた。成瀬もずっと、楽しかった。(p.198)
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「ゼゼカラ(注:成瀬と島崎が結成した漫才コンビの名前)、解散するの?」
「だって、島崎が引っ越すと言ったじゃないか」
「わたし、ゼゼカラやめるなんてひとことも言ってないよね? 夏祭りの日には帰ってきて司会やるつもりだったんだけど?」
今度は成瀬が驚く番だった。(p.200)
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こういう状況を表す諺って何か無いのかな?「木乃伊取りが木乃伊になる」は違うし、「類は友を呼ぶ」でも「朱に交われば赤くなる」でも無いし…う〜ん。
>興味があるならさっさと始めるのが無難
ピアノそのものに興味があるというよりも、定年退職後はメンタル面での健康を維持するため何らかの社会的繋がりが必要なのでは無かろうか、そのためのツールとして習い事なんかはどうだろう…程度の、今のところ極めて漠然とした思い付き以上のものではないですね。一番やりたい読書は現時点でもある程度は出来ているし、(読書会にでも参加しない限り)流石にこれは社会性とは無縁な趣味ですから(地方には私が参加したくなるようなマニアックな読書会は恐らく無い)。
>パトロンに食わせてもらってた人が労働を語るの片腹痛い
マルクスは正妻との間に生涯7人の子供をもうけるも妻の苦悩も家庭の経済的困窮も一切顧みること無く執筆に没頭し、4人は乳幼児のうちに死亡、成人した残る3人の娘も心労が祟り1人が若くして病死(享年38歳)、2人は自死しているんだそうです。なお家政婦の間にも密かに息子を1人もうけているが、生涯自分の子供だとは認知せず、代わりに独身だったエンゲルスに認知させたんだとか(↓)。まぁ控えめに言ってもクズですね(苦笑)。
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イェニー・マルクス(注:マルクスの妻)は重い病にもかかわらず晩年には比較的なごやかな日々を送ったのだったが、彼女の娘たちの運命に目を向けるとき、その平和な日々にも深い影が差し込んでくる。イェニー・マルクスが誇らしげに自分の人生における「輝き」にたとえた三人の娘たちは、その後、非常に問題の多い「遺児」となってしまった。娘たちの歩んだ道は、母親がかかえていた問題をもう一度、陰鬱に反映して見せている。母親と同じく美人で情熱的で才能のあった娘たちは、熱狂的な「父親っ子」という点でも母親そっくりのコピーとなってしまう。魅力的な父親であったに違いないカール・マルクスは、家にいる時は娘たちの偶像となった。その一方で、娘たちから母親に対しては高慢で、せいぜいのところ悪意のない微笑が向けられるのみだった。そうした関係はしかし、娘たちが母親の過ちをくりかえすさまたげとはならなかった。三人の娘たちは自己犠牲において母親を上回りさえしたのである。神にまつりあげられた父親に対して、また、父親が同志たちの群のなかから選んで彼女たちに伴侶として与えた夫たちに対して。(前掲書 p.69より引用)
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読み進めるにつれてどんどん気が滅入ってくる本でしたね~、なので正直おススメしません(苦笑)。