Life goes on.(人生は続く)
>小説が人間世界を描写しているのに対して、映画は物語が個人(ジョージ)に帰してしまう
成程、映画を観て私が感じた違和感の一つはそこか…。先日伊藤計劃『ハーモニー』の映画版を観た時に抱いたのと同じ違和感ですね。あちらもラストが改変されていて、伊藤氏の投げ掛けた「人類にとって意識とは何なのか」という壮大な問題提起が、単にミァハとトァンの百合的な関係性に矮小化されていたのにガッカリした記憶があります(今思い付いたのですが、そう言えば「己が犯した罪を自覚しない(出来ない)天真爛漫&天衣無縫な相棒に対し、主人公が断腸の思いで裁きを下す。」という構図面で両作品は良く似ていますね。尤も『ハーモニー』の場合はほぼ主人公の私的な復讐に拠るものですが)。
あと私が、御大の言う「物語が個人(ジョージ)に帰して」しまっていた映画版を観て抱いたもう一つの違和感は、原作には無いラストシーンの付加ですかね。映画ではジョージがレニーの射殺後に農場を去り、月光の差し込む夜行列車の貨車の中を一人まんじりともせず膝を抱えて座り込み続ける描写で終わります(確か)。恰も「これまでレニーを支えていたのは俺だとばかり思っていたが、俺の方こそレニーが居ないとダメだった」ことを窺わせるかのように…まぁ一つの解釈としてアリだとは思うんですが、万人向けの分かり易さを意識し過ぎているというか、個人的にはちょっとなぁ、という感じでした。
さて、スタインベックと言えば次はいよいよ『怒りの葡萄』の出番ですかね~w(チラッ)。
>負動産を捨てられるようになりました
これ、私もGW頃に偶々知りました。私の場合は実家の土地(母が独り暮らしをしていて、私の家族は県外に住んでいる)について②の「相続土地国庫帰属制度」が当てはまりそうかな。
将来的に取り敢えず相続だけはしておいて、やっぱり要らないなと判断したらこの制度を活用しようかなと考えています(ところで実家の土地の一部が竹林なんだけど、それでも引き取ってもらえるのかしら?引き取ってもらえるとしても負担金(10年分の土地管理費相当額)とやらが相当掛かりそうだなぁ(苦笑))。
まぁどうせこれから全国的に続々と判例が積み重なっていくでしょうから、またぼちぼち判断させて頂きます。
>そこで彼が行ったのはアンダーグ・エナジーによる治療
>つまり今の彼女はアンダーグ・エナジーによって生かされている
どの道バッタモンダーの介入が無ければ隊長はそのまま○んでいた訳ですから…「今や悪の力によって露命を繋いでいるに過ぎない隊長を見るに忍びない。ゾンビ化した師匠を葬り去ることこそ武士の情けでありヒーローの務め」ってソラのように純粋じゃない私は考えるかな(苦笑)。女児向け教育番組とは全く無縁の解決法ですが。
>今週の読書
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E5%90%9B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%B8-%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A3%E5%AD%90%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E5%8C%BB%E3%81%AE%E8%B4%88%E3%82%8B%E8%A8%80%E8%91%89-%E4%B8%AD%E4%BA%95-%E4%B9%85%E5%A4%AB/dp/4120049213
読書好きの小学校高学年向けを想定して書かれたらしく、本編は80ページ程度の分量で文章も極めて平易。しかし「いじめが進行していくプロセス」の的を射た分析の深さには思わず唸らされました。著者によるといじめは「孤立化」「無力化」「透明化」の三段階で進行していくのだとか。ラストの「透明化」の章から以下一部引用してみます(↓)。
◆◆◆
…この段階では、被害者は孤立無援で、反撃も脱出もできない無力な自分がほとほと嫌になり、少しずつ自分の誇りを自分でほりくずしていきます。…… 被害者はだんだん、「その日ひどくいじめられなければいいや」と思うようになります。いじめのない日はまるで神の恵みのようです。やがて被害者はこの恵みを、加害者からのありがたい贈り物だと感じるようになります。……
こうなると、加害者はたとえば今日だけは勘弁してやるという「恩恵」で、「透明化作戦」に被害者自身を協力させることだってできます。そんな時、被害者は大人の前で加害者と仲良しであることをアピールしたり、楽しそうに遊んでみせたりします。加害者といっしょに別のいじめに加わることもあります。その時、加害者は被害者がいじめる側に加わっていることをまわりの人にわざと見せます。このことで、被害者は「自分は被害者だ」という自分の最後の拠り所さえ奪われます。……
この段階までくると子どもは、大人から「誰かにいじめられていない?」と聞かれると激しく否定し、しばしば怒りだします。…… それは「何を今さら」「もう遅い」という感覚ですが、それだけではありません。
自分のことは自分で始末をつけるということは、人間としての最後のイニシアティブの感覚です。ここで大人に「もう自分はだめだ」と自分を委ねてしまうことは、大人の介入によって自分に最後に残った感覚をあてどなく明け渡してしまうことです。激しい否定と怒りは、その時に感じるだろう喪失感を先取りするためでもあるのです。
明け渡しても得るものは期待できそうにない。それなのに自分の中に残っている最後のパワーをむざむざ明け渡してしまう。この喪失感は、そうした目に遭ったことのない幸福な大人には理解しがたいものかもしれませんが、ぜひ理解しなければならないものです。(本書p.52~60)
◆◆◆
「100分de名著」で紹介されたことが切欠で中井氏の著作は他にも読んでみましたが、患者や事象全般に対する洞察力が半端無いという印象でしたね。他の著作も追っかけてみようかなと改めて思いました。
>スキップとローファー
終盤でもう一捻りあるかなと思ったんですけれどね…まだ原作が完結してないのかな?
>江戸前エルフ
こんな見るからに「異形の存在」が、関東大震災前後や先の大戦時をどうやって生き延びたのかが不思議で仕方が無いw…あ、エルフは不死身だから平気なのか。