プリンセス・エルはいずれ覚醒するんでしょうねぇ
その場合呼び名は歴代と被りますが、取り敢えずキュアプリンセス(仮)ということでw。赤ん坊から成長して…ってパターンはキュアフェリーチェ以来ってことになるのかな。
>「この子は泣かない子」って説明されてた子
南野奏(キュアリズム)ですね。『プリキュアぴあ』のp.109で、当時のSDだった境宗久氏が言及しておられます。
>神や死者を持ち出すと人間が本来行えるはずの領域を狭めて弱くしてしまう
主人公が再起を図るための動機付けとして「超技術で死者の声を聞いたから」と「死者の生前の言動に深く思いを潜め、自分なりの意味付けを行ったから」とでは、物語の説得力に天と地ほどの差がありますものねぇ…とつらつら考えつつ『カラ兄』のアリョーシャの回心描写を読み直してみたら、直前に見た夢の中での「亡くなったばかりの恩師ゾシマ長老との対話」が直接の切欠になっていたんですね。でもこれは別に死後の長老が不思議パワーで話し掛けた訳では無く(現に亡くなったゾシマ長老からは腐臭が漂い始めている)、あくまでアリョーシャの長老に対する思い入れの強さが夢という形を取って、彼に「絶望の底からもう一度立ち上がる」よう働きかけたものとして描かれています(これってフロイトの言う超自我ってヤツなんでしょうか?)
そう言えば、担当編集者でもあった自身の友人を病気で亡くした体験を持つ中島岳志氏も似たようなエピソードを記しておられましたね(↓)。
◆◆◆
そんなある日のことです。仕事で帰宅が遅くなり、家に着いたのは夜の十二時過ぎ。とても疲れていてすぐにでも眠りたいところでしたが、翌朝までにどうしても書かなくてはならない原稿が一本あったことに気づきました。「まいったな」と思いながらパソコンの前に座り、一時間ほどで原稿を書き上げました。かつて書いたことのある内容を引っ張り出してくることで、ほとんど迷わずに書くことができたのです。
ところが、「やれやれ、これで眠れる」と思いながら送信ボタンをクリックしようとした、その手がふと止まりました。なぜか、亡くなったはずの友人のまなざしを感じたのです。「見られている」という気がしました。……
彼とは生前、酒を飲んでばかりで、彼が私にとって倫理的な対象になるなどと考えたことがなかった。それが亡くなってみると、彼はいい加減な仕事をしようとしている私に「それでいいのか」というまなざしを投げかけてくる。…… 私は、この体験をもとに「死者と共に生きる」という文章を書きました。大切な人の死は大きな喪失で、心の中にぽっかりと空いた穴に戸惑うけれど、死者はいなくなったわけではない。あとから必ず「出会い直し」がやってくる。その「出会い直し」を契機として、死者とともに生きていくことが、大切なのではないか ― (NHKテキスト100分de名著『オルテガ・大衆の反逆』p.74~6より)
◆◆◆
>反穀物の人類史
仰る通り大変読みにくい本なんですが、著者の主張を思い付くままに列挙すると、こんな感じですかねぇ(↓)。
・狩猟採集民の方が栄養学的に見て遥かに豊かな暮らしをしていた。
・当初農耕も定住も、あくまで生存していく上での「選択肢の一つ」でしか無かった。
・人類が労働集約的な農耕や家畜の飼育に大きく依存するようになり、国家が誕生したのは穀物栽培と定住が開始してから実に4000年以上も後のこと。
・農耕民に比べ狩猟採集民の方が平均労働時間も少なかったらしい。
・農耕民は単一作物を常食とするため栄養が偏り易く、また密集して暮らすため感染症が蔓延し易かった。
・農耕民が育てる作物の収穫時期は決まっているため、外部の狩猟採集民が収奪する格好の標的となった。
・農耕民は作物の豊凶に拘らず国家から税を徴収されるため、飢饉の年には都市からの脱走者が絶えず、場合によってはそのまま国家は滅亡した(初期の国家が生まれては消えてを繰り返したのは、そもそもこの時期の国家というシステムが極めて脆弱なものだったから。因みにかの万里の長城の建設目的も、半分は蛮族(=遊牧民)の侵入を防ぐためで、もう半分は臣民の脱走防止だったとか)。
じゃあ、そんなに「(ごく一部の支配者層を除いて)全然いいところ無し」の農耕が何故肥沃な三日月地帯一帯に広まったのか?それは…まだよく分かっていないらしいですw。正直肩透かしを喰らった気分ですね~。
◆◆◆
つい最近まで優勢だった説明は……いわゆる耕作農業「背水の陣」理論だ。耕作農業は通常、同じカロリー量を得るために必要な労働量が狩猟採集と比べて格段に多い。この反論のない前提から出発して、ボーズラップは、完全な栽培は機会としてではなく、ほかの選択肢が不可能な場合の最後の手段として始まったと推論した。人口の増加、狩猟で得られる野生のタンパク質や採集できる高栄養の野生植物の減少、あるいは圧政などが組み合わさって、人びとは仕方なしに作業量を増やして、利用可能な土地から抽出できるカロリー量を増やそうとしたに違いない。…… 一見すると経済的な論理なのだが、この背水の陣理論は、少なくともメソポタミアや肥沃な三日月地帯については、入手可能な証拠と整合しない。この理論でいけば、最初に耕作が採用されたのは、追い詰められた狩猟採集民が周囲の環境収容力の限界に達してしまった地域だと予測できる。ところが、耕作が始まったのは、欠乏ではなく豊富さを特徴とする地域だったようなのだ。また、先に指摘したように、もし [毎年の川の氾濫で堆積する肥沃なシルトに種を播くだけの]氾濫農法が行われていたのなら、耕作は多大な苦役を必要とするボーズラップの議論は、中心となる前提が無効になってしまう。最後に、初期の農耕が猟銃や採食の消失を伴っていたという確固たる証拠もなさそうだ。農業の背水の陣理論は、少なくとも中東に関しては綻びだらけなのだが、農耕の広がりについて満足のいく代替説明はまだない。(p.68~9)
◆◆◆
ただ、農耕が広まった理由は良く分からないとしながらも、農耕が世代を超えて持続し発展した理由は書かれています(↓)。
◆◆◆
わたしは、端的な答えは定住それ自体にあると考えている。狩猟採集民と比べて全般的に不健康で、幼児と母親の死亡率が高かったにもかかわらず、定住農民は前例がないほど繁殖率が高く、死亡率の高さを補って余りあるほどだったのだ。…… 定住しない人々は、たいてい意図的に繁殖力を制限している。…… 対照的に定住農民のあいだでは、移動性の狩猟採集民が経験したような、短い間隔で子どもを作ることによる負担が大幅に軽減されるほか、あとで見るように、農作業の労働力として、子どもの価値が高くなる。定住によって初潮が早まるほか、穀物食では離乳して軟食になるのが早まる。排卵が促進され、女性の生殖寿命が延びる。…… [狩猟採集民に対する]農民の繁殖率のわずかなアドバンテージが圧倒的な差となったのである。(p.107~8)
◆◆◆
要するに四大文明は「貧乏人の子沢山」の結果ってことかしら?(←身も蓋も無い) … まぁ似たような話題は既に読んだユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』の3章や5章でも取り上げられていますし、しかもハラリ氏の書き方の方が遥かに分かり易かったという印象でしたねぇ。
>今週の読書
https://www.amazon.co.jp/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7%E3%81%A8%E5%9B%9E%E5%BE%A9-%E3%80%88%E5%A2%97%E8%A3%9C%E7%89%88%E3%80%89-%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%BBL-%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4622041138/ref=sr_1_1?adgrpid=118241676200&hvadid=658895857604&hvdev=c&hvqmt=e&hvtargid=kwd-335196038781&hydadcr=14856_13524887&jp-ad-ap=0&keywords=%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7%E3%81%A8%E5%9B%9E%E5%BE%A9&qid=1689599774&sr=8-1
これはいい本ですね。中井久夫の訳文が丁寧かつ読み易いのに加えて、段落ごとに(恐らく原典には無いと思われる)小見出しが付いているので、かなり分厚い本ながら読み返すにも便利です。
性的虐待を受けた女性の心的外傷(トラウマ)に関する臨床研究を、かのフロイトが早くも19世紀末に手掛けていたとの記述には驚きました。しかし彼は程なくこの研究を打ち切ってしまいます(↓)。分野を問わず、創始者や先駆者なる人物には何らかの功罪が付き物のようですね。
◆◆◆
はやくも一年以内にフロイトはヒステリーの原因の心的外傷説をひそかに斥けていた。フロイトの書簡集を読めばフロイトが自分の仮説の社会的な意味合いの急進性にたじろいでゆくのがわかる。ヒステリーは女性にはありふれた病気であるので、かりに患者の語るところが真実であり、彼の説が正しければ、彼自身のことばを使えば「幼少児に対する倒錯行為」というものが蔓延しているという結論にどうしてもなってしまう。それもヒステリーを最初に研究したパリの無産者層だけならともかく、目下繁栄中のウィーンのご立派なブルジョワの家庭においても蔓延していることになってしまう。この考え方はまちがっている。信じられるものではとうていない。ジレンマに直面したフロイトは自分の女性患者たちの話に耳を藉すことをやめた。…… 以後一世紀になんなんとする期間、ヒステリー患者たちはまたしても非難にさらされ、口をつぐまされてしまった。…… ヒステリーの心的外傷説が廃墟と化した中から、フロイトは精神分析を創始したのであった。二十世紀の心理学理論の主流は女性たちの現実を否認した、その上に築かれたわけである。セクシュアリティは以前問診の中心的位置にあったが、現実に性関係が持たれた虐待(搾取)的な社会的コンテクストは完全に無視されるようになった。…… (p.14~5)
◆◆◆
>海面上昇とか誰も気にしてなくて環境破壊と不法投棄でボロボロになっている
私が小学生の頃に観たアニメ『銀河鉄道999』の一エピソードを想い出しますね(↓)。松本零士氏の残した数々の寓話の中でも完成度が高い部類に入ると思います。
https://note.com/monogusa_t/n/n8c156bc34561